「ストア派おじさん」のぼやき。肌感覚でわかるストア派の哲学

まりさろばーとそん

第1話 ストア派おじさんの世界へようこそ

カクヨムでの3作目のコンテンツになります、「ストア派おじさん」。古代ローマ帝国の国家イデオロギーであるストア派の哲学を、現存資料が限られる西洋古典の世界で、肌感覚でわかるようになるためのコンテンツです。


そのためのポイントを長年探してきて、多少わかるようになったので、かいつまんでわかるように説明するのが何より重要だと思いました。


専門家の中にもかなり前提を理解しないまま理解してる人が結構いるのです。それは何なのかと言えば、現存資料が限られているので、コンテクストを読むのが難しいのです。


古代ローマ時代の歴史や社会常識などを鑑みるだけでは、現存資料のみでは不十分ですので、様々な周辺的な資料に目を通す必要がある。それは時々、キリスト教の教父哲学文献だったり、直接ストア派の資料ではないがよく引用されるラテン文学だったりする。キケロのような、ストア派紹介が多い本だけでなく、ホラティウスの詩なども同時代の著作家はストア派の影響が強いので、ラテン語の格言まで広げて包括的に見ていく必要があって、かなり手間がかかるのだが、それでもそれくらいの手間をかけると、ストア派の全体像が見えてきてなかなか面白いのです。


例えばキリスト教の三位一体論の「聖霊」。アタナシウス派という三位一体論を認めるキリスト教の諸派がなぜニケーア公会議で正統として認められたのだろうか?という素朴な議論など。ストア派の哲学の前提がわかると、これがまた簡単に理解できる。


それは、「聖霊(ギリシャ語の原典ではハギオス・プネウマつまり聖なる霊)」というのは、その当時のローマ帝国のストア派の自然観では、音や光を伝えるのが「プネウマ」だと思われていて、ロゴスという内在的な「秩序」が受肉したのが、イエス・キリストという理解であるなら、それを運ぶのもまたプネウマだったと。何だか意味わかんない話をしてますが、当時の自然観(今で言うニュートンの万有引力の法則のようなもの)では違和感のない説明だったのです。


つまりストア派の自然観がローマ帝国の知識層の頭の中に前提としてプリインストールされていたので、その理解に基づいてイエス・キリストが神性と人性を持つという教義が確定したわけです。んで、ユダヤ教に近い神理解をしていた派は異端になってしまった。


ユダヤ教では、律法はイスラームのような文字通りの「神の法」ですが、ローマ人の法律観念は多少特殊です。それは、ストア派の哲学では法律というのは、植物などが季節に応じて変化するように、人間の中の自然の掟として法律がある=自然法という考え方だったのです。つまり、ニュートンの万有引力法則や惑星が軌道通りに運行する、科学的な「自然法則」の感覚で法律があるという感覚です。絶対者としての神がいて、それに従う人間という中東の一神教の感覚とはかなり違うので。


このように、ストア派の哲学がわかると、スルッとわかるものが沢山あるのです。


またアウグスティヌスの「神の国」と「地の国」の二分法も、ストア派の自然観の影響があるわけです。というかモロにキケロ。


このように、ストア派の包括的な哲学ですが、単に情報量を増やすのではなく、ピンポイントで重要な「前提」を掴む事で、スキッと理解できる所が沢山あるのです。


そういう所を紹介するのがこの企画です。現存する資料だけを読んでいたら気づけない視点なども沢山紹介したいのです。


先程のストア派の哲学の自然観は現代のニュートンの万有引力の法則並みに知識層にとっては当たり前だったという前提は、教父哲学の文献を読んで気付きました。その当時のキリスト教以前の感覚というのは、そういうのを読まないとなかなかわからないものです。


情報が散らばってる傾向のあるストア派の哲学を様々にかいつまんで紹介しますのでよろしくです。


----------ここまで----------

編集後記

「ストア派おじさん」というコンテンツ、時々書いてましたが一部の関係者には蛇蝎のように嫌われていたというのがわかりました。日本では結構マニアックなものなので、マイナージャンルオタク作品みたいな感覚で仲間を探しておりましたが、別の目線からだとそう見えるのですね。


ストア派のやり過ぎで、教父哲学の文献まで見る人はマイナーですよね。上智大学の出版局の「中世思想原典集成」にはかなりお世話になりました。教父哲学というと、このシリーズか教文館の「キリスト教教父著作集」しかありませんので。


ストア派のやり過ぎで初期キリスト教マニアの如くなるのは副産物ですよねぇ。ビザンチン神学なども東方ストア派に見えてくる脳味噌になったりします。


ストア派の基本の「き」がわかると、何となく伝統カトリック神学と、16世紀以降の西洋古典発掘後のヒューマニズム(つまり人文主義教育)としての「ストア派おじさん」の違いが何となくわかったりします。


何だか日本人にとってニッチな分野に感性が開けくる世界でした。


ついでにYouTubeで教会法の動画を見てると、スルスルとリボンを解くようによくわかったりと、世間でよくわからない感性が上昇します(笑)

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