推し過ぎた悲劇のラスボスと、同化しちゃった!

待鳥園子

第1話

「ここは素晴らしい世界だと誰かがどんなに熱心に説こうとも、俺には地獄でしかなかった。だから、終わらせる。世界がなければ、俺のように悲しむ人だって一人も居ないんだ」


 推しのラスボス、ディミトリは本当に良い声。人気ナンバーワン声優が中の人だから、それも当たり前なんだけど……演技も完璧だ。


 胸にしみ通るような、切ない声。


 病院で夕飯時を知らせる放送が鳴り、自作のディミトリ動画が映るディスプレイのリモコンで停止ボタンを押した。


「……はーっ! やだやだ。現実なんて、戻りたくない……ずっと、永遠に動画を観ていたい。もう、やだ」


 さっき、昼ごはんを食べたような気がするのに。


 気がつけば、窓の外は夕暮れ。どっぷりと世界に入りこんでアニメを観ていたら、何時間も経ってしまったようだった。


 両手を伸ばして、大きく伸びをしてため息をついた。そんな訳にはいけないことは、私だってわかっていた。


 食事を食べないと、当たり前だけど生き物は死ぬ。


 怖い看護師さんに「食べたくても、食べられない人だって居る」と説教されるより、私は何も言わずに食べることを選ぶ。


 けど、自分より可哀想な人が居るということが、崖っぷちにある人の救いになるだろうか。誰しも自分が辛い時は世界で一番不幸なのは自分だと、そう思わないだろうか。


 誰かの悲しみの数値を測るバロメーターなんて、何処にもある訳がないんだから。


 病院の個室にある大きなディスプレイは、親が私のために病院と交渉して持ち込んだものだ。


 幼い頃から高校生になる年齢までほぼ病室に居た娘に、あの人たちは出来るだけのことをしてくれた。


 けど、健康な心臓を私に移植するには、まだまだ順番待ちの列が長い。きっと、来たる時までには、間に合わないだろう。


 もうすぐ、私はこの世界から居なくなる。


 だから、もっともっと出来るだけずっと。推しのディミトリの姿を、観ていたかった。


 生まれた時から不遇にあり重なる不幸な偶然により絶望に堕ちて悲劇のラスボスと化しても、なおまばゆい輝きを放つ私の推し。


 ああ。もうすぐ、完結した本編を補完するという外伝だって発売だし。発売したら、これまでと同じように何度も何度もセリフが言えるくらい読み込むんだ。


 ディミトリが出て来るすべてのエピソードを読むまで、私は死ねない。


 心臓が致命的な不備のある欠陥品でも、それまではどうか空気を読んでもっていて欲しい。


 この世にある他の幸せを諦めても、それでも構わないから。考えたくない。もう、私は消えてしまって、彼のことを考えられないなんて。


 もう少しだけでも、良いから……私は生きていたい。神様。




◇◆◇



「リズウィン様ー! 頑張ってくださーい!!」


 黄色い声がしんとしていた闘技場に響いて、前の席に座っている子たちの中には振り返りディミトリ・リズウィンに声援を送った私の顔を確認した人がちらほらと居た。


 名前を呼ばれたあの人は彼の立場を思えば当たり前だけど、私の方を向いたりしなかった。


 はあ……形の良い後頭部やすっきりとした後ろ姿も、尊い……私の推しis今日も最高。


 選択で戦闘系授業を取っている生徒のみ参加の闘技大会は、一学年上でディミトリと接点の少ない私に取っては、たまにある楽しみだった。


 その他の生徒は自由参加だけど、戦闘系授業取ってる男の子ってモテる子が多いから、女生徒で応援目的の子は多い。


「……シンシアってさ。物好きだよね」


 隣に座っていた仲の良い男友達のヒューが、闘技場で今にも模擬戦を開始する二人組の片方へと好意的な声をあげた私に対し呆れた様子で言った。


「あら。ヒュー。この学術都市ドミニオリアに、リズウィン様より格好良い人が居る? ううん。居ない。ディミトリ・リズウィン様が一番。そういう動かし難い事実を考えれば、私は全然物好きじゃないでしょ?」


「それは、何の参考にもならない。シンシア一人の主観で独断による、格好良い人ランキング。現にディミトリ・リズウィンが闘技場に出て来ても歓声をあげたのは、君だけ。周囲を客観的には、見られないの?」


 涼しい顔立ちのヒューは黒縁の丸い眼鏡の真ん中を押して上げて、ディミトリが出て来たからと私がはしゃいだことに、冷めた反応を見せた周囲を見渡した。


 自分のこれからを考えるなら、同級生から奇行と思われるような軽率な行動を自重しろという、ヒューが言いたいことはわかるんだけど。


 けど、私は誰に何を思われようが、別に良かった。


 例え、あのディミトリ・リズウィンが「種族や思想で差別し合うことなく、学問を学び高め合う」という崇高な理念で作られた学術都市ドミニオリアで学ぶ学生だと言うのに……周囲から遠巻きにされてしまう、邪悪な性質を持つと迫害される種族ダークエルフの血が、その身に流れていたとしても。


 私は推しキャラのディミトリをこれからも応援するし、なんなら世界を敵に回してでも、彼を応援する一番の味方で居たい。


「……リズウィン様と誰も喋ったりもしてないし、彼の内面だってほぼ知らないのに、種族というカテゴリだけで安易に彼を判断して、遠巻きにしているだけじゃない。ヒューだって、リズウィン様と直接話したことある? きっと、一度もないでしょ?」


 ヒューは私の主張にふうと息をついて、座席横に備え付けられた肘掛けに頬杖をついた。


「……それは、君だって同じだろう。そもそもディミトリ・リズウィンが誰かと親しく話しているところは、僕は一度も見たこともない」


「た、確かに話した事はないけどっ」


 図星を突かれ、私は慌てた。尊くて無理すぎて近寄れないけど、ヒューのいう通りだもの。


「誤解を招くという理由なら、リズウィン本人だって問題があるんじゃないの。自分の気持ちを何も伝えてくれないのに、そんな奴を誰が望んで理解してくれると言うんだよ」


 国中の頭の良い子を集められた学術都市ドミニオリアでも秀才として名前が知られているヒューに、このままだと完全論破されてしまう。


 期末試験の点数はクラスでも下から数えた方が早い私は、うぐっと言葉に詰まってしまった。


 私がディミトリを好きな理由は、深く深くやんごとなく、数え切れないくらいある。


 周囲から遠巻きにされているディミトリが、自ら進んで親しい人を作ろうとしないのは……幼い頃お母さんを目の前で殺されてしまったという悲しい過去があるから。


 それがトラウマな過去となってしまい自分と関わる人が不幸にならないかと、ディミトリはいつも不安になってしまうから。


 けど、彼と話したことがない私がディミトリの過去や内面を知り、それすらも愛している理由は、ヒューには絶対に知られるわけにはいかない。


 この世界でも有名な学術都市ドミニオリアで、前世の記憶を持つという世界的に珍しい個体で体の隅々まで観察され、生態を追求される研究対象になんて……絶対に、なりたくはない。


「そっ……それは、うん。確かに……私だって、まだ話したことはないよ……ないけど……うん」


 あわあわとわかりやすく挙動不審になってしまうのは、仕方ない。


 ここでヒューにその場しのぎの嘘をついても、記憶力の良い彼は矛盾を逃さないだろう。ドジなことに定評のある私のことだから、後々致命的なボロが出してしまうこと必至。


 ファンは尊い推しには、存在を認識されたくない。そんなものである。


 ディミトリが毎日幸せで、辛いことなど何もなく楽しく過ごして欲しいけど、私のような小さな存在が彼の時間を奪ってしまうなんて……罪悪感で大好きなお菓子だって、喉を通らなくなるかもしれない。


 何故かというと、ディミトリ・リズウィンは前世に私の心を完全にとりこにしてくれて、ほぼ病室で一日を過ごすという辛かった毎日に潤いを与えてくれた、とても素敵な推しだから。


 ただ生まれて来てくれて、今まで生きてきてくれたことだけで、私としては感謝して満足なのだ。


 ディミトリの亡くなってしまっているご両親にも、感謝を捧げたい。あんなにも尊き存在を、生み出してくれて本当にありがとうって。


 私はディミトリには、世界で一番に幸せで居て欲しいと願ってる。それは私以外の誰にも、理解されない感情なのかもしれないけど。


 誰かに理解されたい訳でもない。


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