高齢領主との結婚から逃げたい田舎の聖女ですが、都から来た美貌の青年と出会ったおかげで未来が開けそうです。
彩瀬あいり
第1話 その出会いは衝撃
先立つ不孝をお許しください
ふらついていた青白い顔の娘が、目の前で倒れる。
彼女のポケットから落ちた紙片。そこに書かれた文言を見た男は瞠目した。
◇
「うん。文字は合っているけれど、的確な文面とは言えないね」
「ほうれふか?」
くちいっぱいにハムを頬張ったままでレオナが首を傾げると、目前の青年は穏やかな笑みを浮かべ、机上のコップを指さした。
注がれた水で、くちのなかの食べ物を喉の奥へ押し流してから、再度問い返す。
「そうですか? 具体的にどのあたりが」
「えーと、先立つ不孝っていう書き出しは、自害するときに使われがちだが」
「死ぬつもりはありませんね」
「うん、だと思った」
だったら、こんなに食べないよね。
そんな言葉をくちにしない青年は、なかなか良い気質だとレオナは感じた。
エドアルドと名乗った男は、十八歳のレオナよりもおそらく年上だろうか。
顔はいい、性格もいい、そしてたぶん金持ちだ。
でなければ、見知らぬ娘にご飯を奢ってくれたりはしないだろうし、そのついでに持っていた手紙の添削をしてくれたりもしないだろう。
顔色が悪いのは空腹だからだと知ると、近くの店に誘ってくれた。
オープンテラスの軽食屋でカップを傾ける姿は上品で、ここは王都だっただろうかと勘違いをしたくなるが、テーブルに広げているのはレオナが書いた『夜逃げ用の書き置き』である。場違いにもほどがあった。
場違いといえばエドアルド青年も浮いている。彼は美青年すぎるのだ。
そんなひとが、オープンテラスに座っているのだ。陽光にアッシュブロンドの長い髪をきらめかせる姿に道行く娘たちの目が集まり、そのあとこちらに向く視線が痛い。
赤錆色のくせ毛髪のレオナは穴があったら入りたい気分でいっぱいだった。
穴を掘るのは慣れている。畑仕事は日常だ。
「では、夜逃げにふさわしい文面はいかがなものでしょうか」
「手紙を残すことは前提なんだね」
「だって心配ですもの。相手は
レオナは明日、結婚することになっているが、それは意に添わないものだった。
相手はこの地方を治めるラッセル卿。教会前に捨てられていたらしい身元不詳のレオナにとって、高位貴族との婚姻は降って湧いたような幸運だろう。
だが、相手はおっさんなのだ。
おっさんどころか、自分のおじいさんともいえる年齢なのだ。
自分より年上の孫が何人もいる相手に嫁ぐことを喜ぶ女子は絶対にいない。
たとえ生い先短い老人の後妻におさまって、遺産がガッポリ入ってくるとしても、だ。
加えてあくどいことでも有名だった。
都から遠い地方は王族の目が届きにくい。それをいいことに私欲に走る領主が多いが、ラッセル卿もそのひとり。
彼が領主の任について、かれこれ四十年以上。世代交代を許さずやりたい放題で、領民たちは「はやく誰か下克上しろよ」とラッセル家の親族たちにイライラしている。
領主一家の評判など地に落ちて久しい。悪辣領主を野放しにしている王室の権威にいたっては、ゴミ以下だ。
「ゴミ以下とは恐れいった」
「だってゴミのほうがマシですよ。燃やせば燃料へ転換できますし、生ごみは堆肥にすることが可能ですから」
「なるほど。王室の問題はさておき、悪評高い高齢の男が若い女性を妻に望む理由は、貴女が聖女のちからを宿しているから、かな?」
「でしょうね。どこで知ったんだがわかりませんが、いい迷惑です。私のちからなんてちっぽけですよ。すっごく中途半端。癒しのちからは弱いですし」
赤錆色の髪を指でくるくるいじりながら、深緑と藍、色違いの瞳を伏せる。
手をかざしただけで怪我を治してしまう治癒能力を持った者を、この国では聖女と呼んで崇めている。かつて大きな戦があった際に活躍した英雄が命にかかわる怪我をし、その傷を癒して救った女性を聖女と称したのが始まりだとか。
空の青、大地の緑、命の炎たる赤。
みっつの色を宿した者は、最上の聖女たる資格を持つことが知られているが、どの色も暗く濁っているレオナは「あー、そういえば一応三色だね」と慰められる程度の、かろうじて聖女っぽいだけの田舎娘だった。普段は教会の診療所で看護師の真似事をしていて、有名でもなんでもない。
「王侯貴族にとって、聖女は財産だからね」
「金を産むガチョウってことですか」
「……うーん、そういう側面もあるにはあるだろう。だけど、良識ある貴族は聖女を大事に保護するよ。国にとっても大切な存在だから」
知ってる。保護っていうのは、鉄格子の中だったり、地下だったり、出入り口がひとつしかない高い塔だったりするのだ。
「ええ、
「いまなにか違う単語が聞こえた気がしたけど」
「気のせいです」
ゆで卵が挟まったパンをかじって告げる。まろやかなソースが絡まって舌が嬉しい。こんな美味しいもの、久しぶりに食べた。
ああ素敵。これを最期の晩餐にしよう。
涙を滲ませるレオナに青年。
「こんな軽食を最後の晩餐にしてほしくないんだけど」
「なに言ってるんですか。私ひとりでこんなの食べたことが知られたら、みんなに恨まれます」
「みんなっていうのは、この手紙に出ていた子たちかな」
「そうです。教会で暮らす家族です」
ルンビーニ孤児院。教会に併設されているそこが、レオナの家だ。
母親がわりのシスター・アイラと、父親がわりの医者・モーリスを中心に、いまは子どもが十人ほど。レオナは最年長として皆の代表となって働いているのだが、それが発端だったともいえた。
領主の客人に急患が出て、モーリスが往診した。彼はかつて王都で開業していたことがあるらしい。
いったいなにをやらかして地方へ飛ばされたのか知らないが、腕は立つため、貴族街への立ち入りも許可されている。
買い出しついでに手伝いに出たレオナの姿を見た領主館の誰かが、「あの子は聖女の色を持っているのでは?」と言い、それがまわりまわって領主の耳に入ったようなのだ。
なにをいまさら、という話だが、領主らが住む貴族街にレオナが足を踏み入れることはなかったし、彼らが孤児院を訪れることもないため、顔を合わす機会が皆無だったのだから仕方がない。
領主はラッセルの家に聖女の血を入れたいと考えて、レオナに求婚したというわけだ。
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