政見放送

@turugiayako

第1話

 暑い夜だった。

 僕の寝室は今、熱によって満たされている。リモコンをいくら操作してもエアコンは動かず、窓を全開にしても、風が全く吹いてこない夜だった。僕の半裸の肉体から止まることなく流れ出す汗を吸いむ布団は、どんどん湿り気を帯び、不快感を増す。

 眠れない。

 リモコンをつかみ、「点灯」と記されたボタンを、人差し指が押すと、部屋に明かりがついた。

 床に置いたリモコンから、机に置いた時計へと、視線を移すと、0時だった。シンやアニメを見よう。アニメを見ること以外しか、眠れない夜の時間の使い方を、僕は知らない。立ち上がって、寝室のドアを開き、居間へ向かう

 ドアを開き、闇の中を、手探りで壁のスイッチに到達して押すと、テレビとテーブルの置かれた室内に、光が満ちる。

 テーブルの上のリモコン向けてテレビをつけると、座ったおじさんと、立っているおばさんが、画面に現れた。

 おじさんは何か、難しいことを話していて、おばさんは、黙って手を動かしていた。

「……改革を進め、経済を成長させ、国民の生活を・・・・・・」

 座っているおじさんの上に吊り下げられた板に書かれている、「皇国民主党」という文字を見て、これは政見放送だと気づいた。

 そういえば、このおじさんは、総理大臣だ。手を動かしているおばさんは、手話通訳だ。

 今が、選挙期間中だなんて知らなかったけれど、どうでもいい話だ。

 僕は、チャンネルを、アニメを放送している局へと変えた。まだ、コマーシャルだったから、テレビをつけっぱなしにして、居間の隣の台所へと向かう。

 冷蔵庫を開け、押し寄せる冷気の気持ちよさを味わいながら、サイダーと棒アイスを取り出し、また閉めた。

 居間に戻ると、学園で、美少女たちが、部活動をするアニメが、始まっていた。

「ふえええ」

 画面の中で、奇声を上げたり、顔を赤らめたりしている異様に目が大きい美少女たちを見ながら、僕はテーブルに座り、サイダーを開ける。

 ぷしゅ、という快音。

 右手に持ってアルミ缶を、口につける。

 冷たい。

 冷たく甘い炭酸水が、僕ののどを潤した。

 美味い。

 缶を置いてから、袋をびりびりと開けて、青いアイスにがぶりついた。アイスの向こう側に、アニメを眺めながら。

「風紀違反ですう!」

 アイスを食べ終わるころには、僕はこのアニメに飽きていた。退屈極まりない駄作だ。

 特にダメなのが作画だ。

 表面上、小奇麗に仕上げているだけで、繊細さの欠片も感じられないし、人体に対する観察力が欠如している。

 かつて僕は、毎日のようにアニメを夢中になってみていた。僕が好きだった作品を制作していたアニメスタジオが、ガソリンを使って放火され、そこで働いていた何人ものスタッフが亡くなるまでは。

 僕はその事件以来、アニメはおろか、テレビやネットさえ見なくなった。今こうしてテレビをつけているのは、異常なことだ。

 きっと、暑さのせいだ。

 風さえも吹かない、夜のせいだ。

 暑さ以上に、ひどいアニメを視聴することに耐え切れず、チャンネルを変えた。

「以上、日本共和党の、政見放送でした」

 政見放送をしていたチャンネルに。

 僕は、リモコンをテーブルの上において、サイダーに手を伸ばし、ぐび、と、缶の中身をのどに流し込んだ。

「『人類をほろぼす党』の、政見放送です」

 噴き出した。

 テーブルの上に、飛散する炭酸水。

「お話は、人類をほろぼす党代表、高杉しんじさんです」

 テレビの画面には、青単色の背景に「人類をほろぼす党代表 高杉しんじ」と白い字で大きく映し出されていた。

 聞き間違いでは、なかった。

 参院選比例代表 人類をほろぼす党。

 高杉しんじ。

 テレビには、そう書かれた看板と一緒に、たった一人で座る男がいた。この男が、高杉しんじという人なのだろう。

 若い。

僕と同じ、二十代くらいの年齢に見える。

 親近感を、彼に覚えた。まるで、ずっと昔からの知り合いが、テレビに出ているのを見ているような感覚。

 高杉しんじは、深呼吸をした後、叫んだ。

「すべての人類を、ぶっ殺す!」

 テレビが震えたかのような錯覚を覚えた。

 視線を一点に集中させ、口を限界まで開けて、両腕を掲げながら、彼は叫びを重ねた。

「一人残らずぶっ殺す! 老いも若きもぶっ殺す! 男も女もぶっ殺す!」

 そう叫んだあと、流石に四度も大声をあげて疲れたのか、息を荒げ、深くため息をついて突っ伏した後すぐに、顔を上げた。

「みなさんこんにちは! 人類をほろぼす党の代表、高杉しんじです!」

 満面に笑顔を浮かべ、朗らかに言った。

「皆さん、わが党の公約は、たった一つしかありません! さっきも言いましたが、大事なことなのでもう一度言います。どうかよく聞いてください」

 深呼吸をして、彼は再び叫んだ。

「あなたたちを、ぶっ殺す!」

 さっきとは、違う言葉だった。

 彼はまた、笑顔になって、言葉をつづけた。

「なぜあなたたちを、全ての人類をぶっ殺さなければならないのか? それは、あなたたち人類が一人残らず、生きた毒物だからです」

 ちょっと、沈黙を挟む。

「あなたたちが、呼吸して歩くダイオキシンだからです」

 沈黙。

「あなたたちが、ただ生きているというだけで死刑に値する犯罪者だからです」

 沈黙。

「なぜ、あなたたちが犯罪者なのか、説明します」

 僕はもう、サイダーを飲み終わっていた

「あなたたちは、昨日の晩ご飯が何だったか、思い出すことが出来ますか?」

 僕は、今日の、いや、もう零時を回ったから昨日の、夕食に出た豚肉を思い出した。

 タレのかかった、美味しい肉だった。

「それには確実に、他の生き物の命が含まれていました。動物であれ、植物であれ、私たちは他の生物を食べなければ生きてはいけないからです。そしてあなたたちは、生まれてからずっと、毎日それを続けてきたのです。」

 高杉しんじは、自分の前にある机を、ばん!と叩いた。

「いいですか皆さん! 毎日ですよ! ほかの生き物の命ですよ! 食べていたのですよ!」

 また、机をたたいた。

「大事なことなので、もう一度言います! 毎日ですよ! 他の生き物の命ですよ! 食べていたのですよ! あなたたちが食べるために、殺されたほかの生き物の命ですよ! あなたたちがいなければ、殺されずに済んだ命が、沢山あったってことですよ! あなたが生まれさえしなければ、殺されなかった命があるのですよ!」

 あいつさえ生まれなければ、死ななかった命がある。

 そんな言葉が、僕の中に浮かんだ。ずっと前にテレビで見た、炎に包まれる建物と、僕が大好きだったアニメの映像とともに。

 あいつは、人を焼いた。

 僕が昨晩食べたのは、焼かれた豚肉だった。

「あなたたちは、虐殺者だ! 一人残らず、死刑になるべきだ! 自殺しない奴らは、みんな犯罪者だ!」

 高杉しんじは、一息つくと、また、落ち着いて語り始めた。

「わが党が、具体的に実行する政策は、刑法の改正です。現状の刑法の条文は、すべて削除します。その代わりに、新しい条文を、新しい罪を追加します。それは」

 彼は、机に隠れている部分から、一枚の大きな紙を取り出した。そこには、こう、大きく書かれていた。

 生存(せいぞん)罪(ざい)。

 そう、白地に赤い字で書かれていた。

「生存罪。これが、私たちが新たに追加したいと考えている罪の名です」

 紙を両手で持って、僕たち画面のこちら側にいる視聴者に見やすいように掲げながら、高杉しんじは言った。

「この罪の構成要件は、生きることです。刑罰は、最低でも死刑です。一切の例外なく、全ての人間に適用されます」

「皆さんは、きっと、こう言われると思います。そんな法律は間違っている。命は大事だからだ」

「私は、そんなことを言う人に対して、聞きたいのです。命が尊いというならば、何故他の生き物を食べるのですか?」

「何故、ネズミやゴキブリを駆除するのですか?」

「何故、ただ路上を歩いているだけのワンちゃんやネコちゃんを、保健所に連れてきて殺すのですか?」

「人間の命は大事だけれど、人間以外の生き物の命は、大事ではないのですか?」

「なぜですか?」

「私は子どものころから、ずっとそう聞き続けてきたのです。でも、誰も答えてはくれませんでした」

「私が保健所で働いていた時も、誰も答えてくれませんでした」

「私がかつて、保健所で働いていた時、一匹のワンちゃんが、連れてこられたのです」

「黒くて大きなワンちゃんでした」

「飼い犬だったけれど、飼い主の手で、持ち込まれたのです」

「なぜ飼い主は、黒くて大きなワンちゃんを保健所に連れてきたのか?」

「『大きくなっちゃってもうかわいくないし、黒い犬はインスタ映えしないから』と、彼女が言ったのを、私は今でも覚えています」

「そのワンちゃんは、結局、殺処分されました」

「もう大きすぎて、引き取ってくれる人がいなかったからです」

 ひどい話だ。

 黒いペットは、インスタ映えしないから捨てられやすいというのは、聞いたことがあったけれど。

「数日前、その飼い主と再会しましたよ。電車の中で。彼女は、妊娠していました。大きいボテ腹をさも自慢げにひけらかして、私に対して、座っている優先席を譲るように、言ってきましたよ。きっと、私の顔なんて、もう覚えてなかったのでしょうね」

「よくもまあ、要求できたものです! 何の罪もないワンちゃんを実質殺しておきながら、自分の胎児のために他人に席を譲れ、などと! あまりにも腹が立ちましたからね」

 そこで、高杉しんじは、言葉を切って、く、く、く、と、ちょっと笑いをこらえたかと思うと、言った。

「思いっきり、殴ってやりましたよ。彼女のボテ腹をね。凄く苦しがっていたなあ。いい気味です」

 高杉しんじは、「いい気味です」といい終えたところで、爆笑しだした。

「みなさん」

 笑い終えて、彼は言った。

「これが人間です」

「こんな人間が、ワンちゃんを身勝手な理由で殺すような人間が何も罰せられず、あまつさえ妊娠したからといって優先席に座る権利を与えられるのが、人間の社会です」

「人間以外の生き物の命のことなんて、全く考えていないのが、この人間の社会です」

「皆さん、こんな社会をつくった人類を、許せますか?」

「私は、許せません。ですから、人類は滅ぼさなければならないのです」

「人間の命は尊いという、狂った妄想は捨ててください、皆さん」

 高杉しんじは、机を、だん、と叩き、叫んだ!

「人を殺すことは、良いことだ!」

「人をたくさん殺すことは、良いことだ!」

「とにかく、ワンちゃんを身勝手に殺す人類をほろぼすことは、良いことだ!」

「特に妊婦は重罪です! 新しく人を生むという意思を、明確に示しているからです。みなさん、外でボテ腹を自慢げに見せている犯罪者を見つけたら、全力でそのブッサイクな腹を、ぶん殴ってやってください! 可能なら、いつも金属バットを持ち歩いて、ボテ腹をフルスイング出来るようにしていてください!」

 高杉しんじは、また、く、く、く、と、笑い始めた。口元を片手で抑えて、必死に抑えようとしてきたが、それでも笑いが漏れ出てしまうように見えた。

「ボテ腹を・・・・・・、金属バットで・・・・・・、フルスイング・・・・・・」

 その笑い声と共に、画面が切り替わった。

 「人類をほろぼす党 高杉しんじ」という文字だけが、映し出される。

「人類をほろぼす党代表、高杉しんじさんの、政見放送でした」

 アナウンサーの声が、流れた。

「この時間は、三つの政党の政見放送を、お伝えしました」

 「終」という字が、画面に表示された。

 テレビを消した時、暑さは少し、和らいでいた。

 テーブルの上にあるサイダーの空き缶と、アイスが入っていた袋を、台所に持っていき、分別してごみ箱に捨てて、居間の電気を消した後、寝室へと戻っていき、ドアを開ける。

 風が、吹いた。

 開けっ放しにした窓の向こうの、夜の闇から、涼しい、優しい風が、吹いてきた。ずっと願っていたのに、窓を開けていたのに、一度も吹いてくれなかった風が、今、僕の部屋に吹き込んでいる。

 涙が、出た。

 ずっと、こんな風に、吹かれたかった。こんな風が吹いてくれるほど、世界はまだ、やさしかったのだ。電気を消す前に、僕は、壁にかかったカレンダーを見た。

 選挙の投票は、いつだって日曜日に行われる。

 人類をほろぼす党へ投票できる日曜日への待ち遠しさを胸に抱きながら、僕は布団の上に横たわり、深い眠りへと落ちていった。黒いワンちゃんと一緒に、踊る夢を見ながら。

 

「そんな名前の政党は、ありません」

 選管の女性が、言った。

「嘘だ!」

 周りにいる、投票しに来た他の人たちの目線が、自分に集まる。

 日曜日に、僕は、選挙権を得てから初めて、投票所に足を踏み入れ、投票のための記入台に置かれた紙を見て、愕然とした。

 政党の一覧の中に、なかった。

 皇国民主党

 日本共和党

 労働者の権利を守る党

 女性差別に反対する会。

 無税党

 日本平和党。

 人民の党。

 ない。ない。ない。

 どこからどうみても、「人類をほろぼす党」という文字が、なかった。

 信じられなくて、僕は選管の人に言った。

 この紙、間違っていますよ。人類をほろぼす党の名前が、ありません。

 なのに。

「本当です。そんな党の名前、聞いたこともありません」

 彼女は、そう言うだけだった。

 そんなはずはない。

 僕は確かに「人類をほろぼす党」の政見放送を、代表の高杉しんじさんのお話を、聞いた。

「投票はなさらないのですか? 高杉真司(しんじ)さん」

 後ろからかけられる彼女の声に応えず、僕は、外へ出た。

 頭上から、熱い太陽に照らされながら、風さえも吹かない、暑い昼の中を、帽子も日傘も被らずに、僕は歩く。

 選挙ポスターが、沢山張られた掲示板の横を通り過ぎながら、「人類をほろぼす党」という文字列を探したけれど、なかった。

 だけど、高杉しんじさんの、顔は見つけられた。路上に立つ、カーブミラーの中に。

 きっと熱いから、カーブミラーとポスターを、間違えてしまったのだ。

 ガソリンをかけて燃やされて、フライパンの上で焼かれるような暑さの中を歩く僕の耳に、走る車の音や、すれ違う人の口から出る言葉が、聞こえてくる。どれもこれも、遠い世界から響いてくる小さな言葉だ。世界は、無意味な雑音で満ちている。少し、静かにしてほしかった。ただでさえ暑いのに、余計ストレスがたまるじゃないか。作られて何年もたって、すっかり古びて汚くなったガードレール。道端に生えている雑草は、みんなしおれている。建物の窓が反射する太陽の光が、目にまぶしいうえにますます暑さをきつくする。まぶしさから目をそらして、地面ばかりを見て歩く。すれ違う人たちの靴が見える。高そうな靴。安そうな靴。運動靴にハイヒール。大きなおなかに邪魔されて、足元が見えない人も……。

 妊婦と、すれ違った。

 僕は、振り返った。妊婦は「産婦人科」と書かれた建物に入っていった。その建物を、僕はどこかで見た記憶があった。そうだ、あの放火されたアニメスタジオだ。でもあれは燃えたはずだ。こんなところにあるはずがない。でも「産婦人科」と書かれた建物は、見れば見るほどに、燃え盛る炎に包まれているように見えてしまう。

 声がした。

 人を殺すことはいいことだ。

 人をたくさん殺すことはいいことだ。

 人間は生きた毒物だ。

 妊婦は特に重罪だ。

 ぶっ殺さなければ、いけない。

 ずっと前に見た、炎に包まれる建物が、アニメスタジオだったのか産婦人科病院だったのか、もうわからない。黒い煙が、空を覆いつくす。煙を出すのは、地上で燃える建物だ。中からは悲鳴が聞こえる。アニメーターの人たちの悲鳴。妊婦の悲鳴。燃える女の腹の中から、赤ん坊の泣き叫ぶ声が聞こえる。人間のシルエットを抱いて燃える炎の形が、巨大の黒い犬の形になってゆく。黒い犬の姿は煙となって、空を覆い、あの憎むべき太陽を、僕をその熱で焼き殺そうとする太陽を隠してくれる。空は黒い雲にさえぎられる。黒い雲の下で、優しい風が吹き始める。

 次の瞬間、僕の目の前には、産婦人科病院の建物だけが立っていた。

 燃えてなどいない、大きな建物だった。入口から、中が見える。妊婦が、多くいた。正常な世界を汚す人間という毒物を、その体内に抱いたまま、うごめいているその姿に、夏に大きな石を持ち上げた時に見つけてしまった、汚い虫の群れを連想した。あるいは、風呂場の排水溝にこびりついた、絡まった髪の毛を連想した。

 財布をポケットから取り出して、中身を確認した。ガソリンを買えるだけのお金があるかどうか、確かめるために。

 

 風が、吹き始めた。



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