第3話

 事情聴取を終え、正善はメタアースからログアウトして夕食を取ることにした。

 食卓に座っていると家政婦ロボットが夕食を配膳してくれた。今日のメニューは魚の煮付けだ。すでに魚の骨は抜かれており、食べやすくなっている。


 食文化はメタアースが構築されて以降、大きく変わった。実世界では、AIが転移装置で解析した健康情報を元に不足している栄養を補う料理を作ってくれる。逆に仮想世界では、加工食品やファストフードなど美味しいけれど健康に害のある食事を行っている。仮想世界の食物は実体の栄養分にはならないので、味のみを楽しむことができるのだ。


「捜査の方は順調?」


 玄米の入った器を片手に、魚に手をつけると向かいに座る妻の奏音(かのん)が正善に話しかける。後で夕食をいただくのか彼女の前には何も置かれていない。


「すっかり行き詰まっている。でも、今夜に少しばかりか進展があるかもしれない」


「そっか。無理しちゃダメだよ。仮想世界だからって疲弊はするものだからね」


 奏音の言葉が正善の胸を強く打つ。彼女の言葉だからこそ重みがあった。


「奏音こそ、体調はどうなんだ?」


「よくぞ聞いてくれました。今日、やっとメンターの先生とパーソナル・バーチャル・スペースで対面できたの」


 奏音は高校時代に『仮想不適合症』を患った。


 仮想不適合症は精神病の一種だ。仮想世界でのトラウマが原因で、ログインの際に心拍数や血圧に異常をきたし、強制ログアウトを受けてしまうというのが主な症状だ。奏音は成人男性からの強姦を受けて以降、仮想不適合症を患い、メタアースにログインすることができなくなっていた。


「そうか。よかったじゃないか。これでメタアースにログインできるまでもう少しだな」


「でも、ここまで来るのに10年弱もかかったからまだまだ時間はかかりそう」


「ゆっくり歩んでいこう。人生は長いんだから。それに、近々『リモートアバター』も施行される。そうなれば、前とは違えどまたメタアースを堪能できる」


 リモートアバターは仮想不適合症の患者のために作られた新しいアバターだ。メタアースの世界に没入して憑依する一般的なアバターと違って、レトロゲームのように現実世界でコントローラーを使って自分の視覚情報を移す画面を見ながら操作していくアバターだ。これによって、仮想世界に半ログインという形で生活することができる。


「そうだね。は〜、楽しみだな〜」


 明るい未来に思いを馳せる奏音を正善は優しい目で見つめた。

 奏音のためにも今回の事件をなんとしても解決する。正善は持っていた箸を強く握る。


 正善が刑事になったのは奏音の影響が大きかった。二人は同じ高校に通っており、正善は奏音のことが好きだった。強姦事件で仮想不適合症を患った彼女の見舞いによく行っていた。ひどく落ち込んだ彼女の様子を目の当たりにして、正善は仮想世界の治安を守るために刑事になることを誓ったのだ。もう二度と奏音のように人生に絶望する人を生ないために。


 夕食を食べ終えると正善は純香に連絡を取り、メタアースへと再ログインした。

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