第62話 ただいま


 ほんのちょっとだけ眠るつもりだったのだけど、目が覚めると朝だった。

 ころりと寝返りを打った先にふかふかの毛玉があって、無意識に抱き寄せたところでリリの意識は覚醒した。

 腕の中には艶やかな漆黒の毛皮の持ち主が丸まっている。黒猫のナイトだ。

 起こさないように、そっと身を起こす。

 周囲を見渡してぽつりとつぶやく。

 

「……知っている天井です」


 どうやら、昨日はあのままキャンピングカーで爆睡してしまったようだ。

 後部座席に座っていたはずだが、ちゃんとシートは倒されてベッドに寝かせてくれていた。

 空間魔法で拡張されている収納棚から取り出したのだろう、新品のお布団が敷かれている。どうりで快適に熟睡できたのか。


 車窓のカーテンを開いてみると、車を止めているのは我が家の庭先だった。

 車の揺れが心地よくて寝落ちてしまったリリをそのまま眠らせておいてくれたのだろう。

 魔法の家に運んでくれたら良かったのに。

 一瞬、そんな風に考えてしまったが、そういえば魔法のトランクはストレージバングルに収納したままだった。


「お店の二階に空いている寝室がないから、そのままキャンピングカーで寝かせてくれていたのですね……」


 曾祖母シオンから受け継いだ魔道具は、すでにリリのものとして再登録されている。

 ストレージバングルは、他人が勝手に使うことはできなかったのだ。


「気を遣わせてしまいました……」


 ずっと留守番を任せていた使い魔の三人にも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 きっと、首を長くして待っていてくれただろうに、肝心のリリが呑気に眠ってしまっていたのだから。


(お詫びに美味しい朝ご飯を用意しよう)


 すやすや愛らしい寝顔で眠る黒猫をひと撫ですると、リリはそっと車から降りた。

 庭に魔法のトランクを置いて、ホームを展開する。


 シャワーも浴びずに眠ってしまったので、念入りに【生活魔法】の【洗浄ウォッシュ】で全身を綺麗にすると、部屋着に着替えた。

 心配性な曾祖母が様々な付与を施してくれたワンピースは最強の冒険者装束だったけれど、室内ではまったりしたい。

 ゆったりとした、もこもこのルームウェアにエプロンを装着して、キッチンへ向かった。



◆◇◆



 日本から持ち込んだ時計の針が午前七時半を示した頃、賑やかな足音が聞こえてきた。

 軽いノックの音が響き、リリが「はーい」と答えると、四人と一匹がやって来る。


「リリさま! おかえりなさいまし!」


 真っ先にリリに飛びついてきたのは、クロエだ。背中から生える漆黒の翼が感極まったかのように忙しなく羽ばたいている。


「……おかえりなさい、リリさま。さみしかった……」


 クロエの反対側から、そっと腕を絡ませて懐いてくるのは、ネージュ。

 白黒のツインテール双子は意外と情熱的だ。

 ぎゅっ、としがみついてくる二人の背をそっと撫でてやる。


「ごめんなさい。心配をかけました」

「ほんと、心配したんですから! そっちの怖い二人はリリさまに会わせてくれないし」

「ふふ。寝落ちてしまったから、起こさないように気を遣ってくれたんですよ」


 ぷりぷりと怒りながら訴えてくるのは、キツネの獣人姿のセオだ。

 こちらはカラスの姉妹のように抱きついてはこないけれど、リリの周囲をそわそわと歩き回っている。

 どうやら怪我がないか、確認していたようで、ひとしきり観察すると納得したように離れてくれた。

 ともあれ、まずは真っ先に口にしなくてはいけなかった言葉を皆に告げることにする。


「ただいま」



◆◇◆



 全員が揃った、久しぶりの食卓はとても賑やかで楽しい時間を過ごすことができた。

 ふかふかのパンケーキにベーコンエッグ、ミモザサラダにポトフの朝食。

 頑張って作った料理は、我ながら良い出来栄えだった。

 

(夕食を食べ損なったので、ついたくさん作ってしまったけれど……)


 たくさん焼いておいたパンケーキを皆はぺろりと平らげてくれた。

 日本から持ち込んだパンケーキの素を使ったので、リリでも素敵に膨らませることができたように思う。

 ふわふわの食感に、皆はとても驚いてくれた。


「パンのケーキ。納得の名前ですわ。やわらかくて、幸せな味がします」

「この白くて甘いクリームと一緒に食べると、すごい」

「ベリージャムとも合うよね! こんな豪勢な朝食が食べられるなんて、ニンゲンの貴族になった気分だ」

「いや、こんなに旨い朝食はニンゲンの王族だって食べられないだろう」


 使い魔たちだけでなく、ルーファスまで手放しで褒めてくれた。

 市販の粉が最高なのです、と口に出しにくい雰囲気だ。


『ボクはシンプルにバターと蜂蜜で食べるのも好きだな。リリ、また作ってね!』


 くるる、と喉を鳴らしながらパンケーキを食べていたナイトにおねだりされて、次はバニラアイスを添えてあげようと思う。


 食後の紅茶を飲みながら、この一週間にあったことをお互いに報告し合った。

 雑貨店『紫苑シオン』の在庫はどうにか足りたようで、混乱もなく営業できたと聞いてホッとする。


「リリさまの方こそ、ダンジョンで怖い思いはしませんでしたの?」

「ん、痛い思いもダメ」

「ふふ。心配ありがとうございます。頼りになるボディガードもいましたし、シオンおばあさまのワンピースと魔道具のおかげで、怪我もなく快適にダンジョンに挑めました」

「うむ。リリィは頑張っていたぞ。レベルも15まで上がったからな」


 なぜか、ルーファスが胸を張っている。

 リリもその隣でえへん、と胸を張ってみたのだが、なぜか室内が静まりかえっていた。


「……?」


 小首を傾げていると、白黒美少女姉妹が悲壮な表情で嘆いた。


「「「レベル15……」」」


「リリさまは私たちが守るから!」

「ん、頑張る、わたし」


 唐突な宣言に、リリはさらに首の角度を深めた。


「? はい、お願いしますね?」


 急にどうしたのだろうか。

 戸惑うリリに向かい、ダークブロンドの少年がおずおずと口を開く。


「まさか、リリさまがこんなに弱かったなんて……。護衛体制をもう一度考え直しますね」

「…………」


 レベル15程度では、伝説の大魔女の使い魔たちにとっては、か弱すぎたようだ。


「自分ではすごく強くなった気がしていたのですが……」


 ショックだ。


『仕方ないよ、リリ。こっちの世界では、にほんと違って子供の頃から魔獣を倒してレベルを上げるから……』


 尻尾でぽんぽん、と肩を叩いてくれる黒猫を愕然としながら見上げた。


「まさか、異世界でのレベル15って……」


 答えてくれたのは、赤毛のドラゴンだ。


「十歳くらいの子供たちの平均レベルだな!」

「じゅっさい……」


 肩を落としたリリは、また休みの日にダンジョンブートキャンプに再挑戦することを、こっそりと心に誓った。


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