第4話 開かずの扉


 午後に到着する荷物を受け取るまでは家の掃除をしようと考えていた。

 が、過保護な伯父が手を回してくれていたようで、家中がピカピカに磨き上げられていた。


「療養に行くことを決めてから、たった一週間なのに。さすが、伯父さま。仕事ができる男」


 海堂グループのトップだけあって、彼は人を使うのがとても巧い。

 時間と労力は金銭で贖うのが賢い選択なのだと常々語っていたが、ここぞとばかりにお金を使ったらしい。


「開かずの部屋以外、隅々まで掃除してくれたみたいね」


 リリが幼い頃に使っていた客室も、ホテルルームなみに整えられていた。


「カーテンも洗濯済み、シーツも新品。ホコリひとつ見当たらない」


 ふぅ、とため息をこぼしながら室内を見渡した。

 祖母の秘密の部屋と同じく、この部屋の家具類もすべてアンティーク。

 子供部屋らしく、デザインは可愛らしい。角が丸く整えられており、ところどころにユリの花の彫刻が施されている。

 天蓋付きのベッドにクローゼット。勉強机はマホガニー製のライティングデスク。猫脚の丸いフォルムがチャーミングだ。


「荷物が届くまですることがなさそう……」


 仕方ない。少し早いが昼食にしよう。

 今日からは念願の一人暮らし。さっそく自炊を頑張ろうと思ったのだが。


「……伯母さまにお弁当を渡されたんだった」


 少食で胃弱な姪のために考えられたお弁当を美味しくいただく。

 炊き込みご飯のおにぎりとだし巻き玉子、高野豆腐に野菜の煮物。シンプルなメニューだけど、薄味でホッとする美味しさだ。

 パントリーで見つけたインスタントのお味噌汁も添えて、昼食を楽しんだ。

 いつもなら途中で箸を置く量だったけれども、今日は綺麗に完食することができて嬉しい。


「ごちそうさまでした」


 お弁当箱を洗い、のんびりとお茶を飲んでいると、インターホンが鳴る。

 窓ガラス越しに引越しのトラックが見えた。


「はい。いま、行きます」


 走ることができないため、なるべく早歩きで玄関に向かう。

 ダイニングから玄関まで、ほんの少しの距離なのにすぐに息を切らしてしまうのが情けない。


(でも、貧血で目を回さないだけ成長したと思う)


 ぐっと拳を握り込み、己を鼓舞するリリだった。



◆◇◆



 ダンボールから取り出した衣服をクローゼットに吊るし、お気に入りの本や文房具、雑貨類を片付けたところで引越し作業は完了だ。

 思ったよりも順調で嬉しい。

 心配した従兄たちからSNSアプリ経由でメッセージが届いていたので、ドヤ顔のネコのスタンプを送っておいた。

 夕食は蕎麦をたぐり、お風呂を堪能する。パジャマに着替えて自室に戻る途中、ふと足を止めた。

 廊下の先、曾祖母の部屋が目に入る。

 

「どうしてだか、すごく気になる……」


 違和感、というのだろうか。

 首筋のあたりがむずむずして、気になって仕方ない。おばあさまの秘密基地。

 わくわくするような宝物がたくさん詰まった部屋にもう一度、入ってみたい。

 鍵は見つかっていないのに、気が付けば開かずの部屋の前に立っていた。

 手を伸ばし、ノブを握る。試すだけだ。

 どうせ鍵が掛かっているのは分かりきっているけれど、諦めるために挑戦しよう。

 そう考えて、そっとノブを回してみた。

 かちり。何の抵抗もなく、ドアが開かれた。


「……え?」


 開かずの部屋のドアが開いている。

 驚きのあまり、頭の中が真っ白になった。

 曾祖母が体調を崩して都内の病院に入院してからずっと、閉ざされたままだったのに。

 呆然としたのは少しの間だけで、リリはすぐに冷静さを取り戻した。

 何となくだが、自分がここに「招かれている」のだと感じて。リリはそっと曾祖母の秘密の部屋へと足を踏み入れた。

 灯りはないはずなのに、淡い光に包まれている部屋を見渡す。

 うっすらと光を放つものがそこかしこにあった。

 水晶結晶に何かの鉱石らしきもの。幼い頃に目にした色石も淡い光を纏っていた。

 幻想的で美しい光景に、リリは言葉もなく見惚れる。


「ん、あれは……」


 ライティングデスクに転がる、小さな水晶玉。それが無性に気になった。

 ピンポン玉サイズの水晶玉にそっと指を這わせてみる。ひんやりとしており、気持ちいい。てのひらに握り込むと、不思議と心が落ち着いた。

 

「……明日、部屋の中を片付けよう」


 ずっと閉じられていたため、室内は埃っぽい。

 湿気も気になるので、空気を入れ替える必要がありそうだ。

 また鍵が掛かってしまうのが怖くて、ドアは閉め切らないことにする。念のためにドアストッパーでガードして、今夜は休むことにした。

 水晶玉は何となく手放し難くて、そのまま持っていく。

 天蓋付きの寝台に倒れ込むように横になり、持ち出した水晶玉を握りしめたまま目を瞑った。

 久しぶりに動いた所為か、とても眠い。

 心地良い疲労を感じながら、眠りの淵にダイブした。



◆◇◆



 夢を見た。

 それが夢なのは、最初から分かっていた。

 だって、大好きな曾祖母が優しくリリを抱き締めてくれたのだ。

 しかも、古い白黒モノクロ写真で見た、年若い頃の姿のままで。


「ああ、リリィ。私のかわいい子。ずっと、その体質のせいで苦労をしたわね」

「おばあさま」


 彼女のことを「リリィ」と独特な発音で呼ぶのは曾祖母に違いない。

 だが、この夢の中の美しい人は写真の中の姿と少しだけ違う箇所があった。

 リリはそっと手を伸ばして、年若い曾祖母の耳に触れる。……本物の感触だ。長い耳の先端が尖っている。

 ふふ、とその美しい女性が笑った。


「尖った耳が珍しいかしら? これが私の本当の姿なの」

「本当の姿?」

「ええ。私、異世界から転移してきたエルフだったの」

「エルフ」


 読書が趣味なリリはファンタジー作品もそれなりに履修している。

 だから、曾祖母の告白にさもありなん、と頷いた。

 疑ってはいない。だって、夢の中の彼女はまさに理想のエルフそのものの容姿をしていたので。

 すらりとした長身痩躯、腰まであるサラサラの銀髪に翡翠色の双眸をした透明感のある麗人。

 うん、エルフだ。

 エルフ以外、考えられないくらい正統派のエルフのイメージそのものだった。


「こうして語り合えるのも、これが最後。だから、よく覚えていてね。私の血を誰よりも濃く継いでしまった貴女に、遺産を受け取って欲しいの」


 己のそれと同じ彩度の翡翠の瞳をリリはじっと見据えた。

 遺産。遺産はもう貰っている。

 おばあさまが大切にしていた魔女の家と敷地内の物すべて。あとは幾許かの金銭と。


「そうね。それも遺産だけど、もっと大切なものがあるのよ」


 そう言うと、彼女──紫苑しおんおばあさまは悪戯を思い付いた子供のような表情でにんまりと笑った。


「正真正銘、大魔女シオンの遺産よ。すべて、貴女にあげる。上手に使いこなしなさい。そうすれば、きっと誰よりも幸せになれるから」

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