第2話 海堂凛々の事情


 曾祖母が亡くなったのは、春の終わりの頃のこと。よわい百十二歳の大往生だった。

 いつも背筋をぴんと伸ばして矍鑠かくしゃくとしていた彼女は最期まで矜持を失うことなく、凛としていた。


 若い頃はとても美しいひとであったのだと、葬儀に参列した皆が惜しむように語ってくれたことを昨日のことのように思い出す。

 もっとも、曾孫である自分──海堂凛々かいどうりりにとっては、過去形ではなく現在進行形で美しいひとだったが。

 初雪のように美しい白銀色の髪を綺麗に結い上げて、翡翠色の瞳を細めて端然と微笑む曾祖母はどれほど美しいと評判の銀幕の女優よりも輝いていたように思う。

 目尻を彩るシワのひとつをとっても、チャーミングな女性だった。

 嬉しいことに、自分の容姿は曾祖母似だと彼女をよく知る人はこぞって褒め称えてくれた。

 白磁のようにきめ細かく、滑らかな肌。ぱっちりとした大きな瞳は翡翠色をしている。

 曾祖母似のパーツはリリの自慢だ。

 残念ながら、明るめの栗色の髪だけは似ても似つかなかったけれど。

 曾祖母──海堂紫苑かいどうしおんには異国の血が流れており、凛々は隔世遺伝でその色彩を少しだけ受け継いだらしい。


(どうせなら、ぜんぶ同じだったら良かったのに)


 両親が仕事で海外に移住していたため、幼い頃は曾祖母に育てられた。

 だから、親族の中でもリリは彼女にいっとう懐いていた。

 当時から祖父は多忙で、祖母は既に鬼籍に入っていた。なので、リリは曾祖母が暮らす小さな洋館で数年を過ごした。

 さすがに小学校に入学する頃には父方の伯父の家で暮らすことになったが、長期休みには必ず郊外にある曾祖母の家へと遊びに行ったものだった。

 生まれつき虚弱体質だった彼女のことを、曾祖母は最期まで心配してくれていた。

 

 葬儀が終わって一週間ほど経った頃、泣きすぎて熱にうなされていたリリの部屋へと伯父がお見舞いに訪れてくれて。

 その話を持ち出された時には、きょとんとしてしまった。


「──遺産? おばあさまが、私に?」


 曾祖母のことをリリは「おばあさま」と呼んでいた。実の祖母は物心がつく前に亡くなっていたので、リリにとっては彼女が「おばあさま」だったのだ。

 落ち込んでいたリリが久しぶりに表情を動かしたことに気付いた伯父が小さく笑う。


「そうだよ。あの郊外の洋館を、祖母がリリに遺産として遺してくれているんだ。療養も兼ねて、しばらくはそこで暮らすといい。大学への休学届は私は手続きをしておこう」

「……おばあさまの、あの《・・》『魔女の家』に、また住めるの?」


 涙をこらえて、そっと顔を上げると、伯父が優しく微笑みかけてくれた。


「もちろんだとも。敷地内の全てをリリに引き継がせると、弁護士立ち合いの下の遺言書もある。正確には土地と建物、建物内の家財をすべて。それと、相続に関する諸費用、税金諸々を二十年は支払えるだけの現金もある。私が後見人に指定されているから、煩わしい手続きは全てこちらで済ませておく。だから、安心しなさい」


 曾祖母だけでなく、この伯父も彼女にはとんでもなく甘い。

 だが、今はその気遣いが嬉しかった。

 大好きな「おばあさま」の気配が未だ濃く残る、あの洋館なら、安心して過ごすことができるはず。



◆◇◆



 そうして、幼い頃に住んでいた念願の家にリリは戻ることができた。

 六歳の時に伯父の家に引き取られたので、あれから十三年ぶりか。

 十九歳なので成人はしているが、虚弱体質なためにバイトもしたことがなかった。

 曾祖母と伯父一家にずっと守られて生きてきた箱入りだとは自覚がある。

 自分に何ができるかは分からなかったけれど、憧れの一人暮らしができるのは純粋に嬉しかった。

 過保護な従兄たちが心配してくれていたが、リリだってもう立派な大人なのだ。

 そう訴えてみたが、従兄たちはなかなか許してくれなかった。


「だって、リリ! 風が吹いたら頭痛に悩まされて、雨が降れば風邪を引く従妹が一人暮らしなんて気にするに決まっているだろう!」

「そうだぞ、リリ。雪なんて降ろうものなら、肺炎で死にかけていたじゃないか。そんなの心配するのは当然だ」


 我ながら、とても面倒な子供だったので、反論がしにくい。

 それほどに虚弱体質だったのだ。

 大学病院であらゆる検査を受けたけれど、原因は不明。

 文字通り、年に何度か死にかける厄介な居候であるリリを伯父一家は根気よく面倒を見てくれたので、彼らにはとても感謝している。

 従兄たちはもちろん、伯母にも「女の子が欲しかったの」とそれはもう可愛がってもらえた。

 その息子である従兄たちも本当の妹のように甘やかせてくれた。

 ぬくぬくと、その頼れる懐でずっと微睡んでいられたら幸せだったのかもしれないが、リリはそこから一歩を踏み出すことを自身で選んだのだ。


「おばあさまの『魔女の家』なら、上手に呼吸ができる気がするの。きっと空気が合うのだと思う。療養すれば、元気になれるわ。だから、お願い」


 真摯に訴えると、ややシスコン気味な従兄たちは仕方なさそうにため息を吐いて、家を出ることを許してくれた。


 許可が降りれば、準備はあっという間に終わった。

 荷物はそれほど多くはない。

 引越し先の家には立派な家具が備え付けられているので、着替えや日用雑貨などをダンボール五箱分にまとめて送る。

 足りない物は買い足せばいい。

 荷物は引越し日の午後以降の受け取り指定にして、早朝から移動することにした。

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