元盗賊の因果

満梛 陽焚

 梅花は咲きその匂いは漂い、海沿いの潮の空気と混じってセロトニンを誘引させる。いつになく霞がかった初春の陽光には厳しさがまるでなく、人も動物も植物も皆穏やかにしている。

 そんな長閑な昼下がり、漁港の古い田舎道を歩く憲兵がいた。 

 男の名前は隆吉という、歳は四十になる頃で、筋骨はそれ程でもないが背は高く、健康的な体躯の持ち主であった。

 隆吉の仮住まいは、漁港から社のある高台の方へ進み、勾配の緩い坂道を登ったところにある。傍から見れば、いつもと変わらぬように見えるが、今日は何やら秘密の用事があるようで、坂の手前で立ち止まるとあたりを見回し、人けのない事を確認して、被っていた軍帽を脱帽した。続け様、慣れた様子で呼吸を鎮め気配を消すと、帰路とは違う急な坂道を忍び足で登って行った。

 しかし、暫く坂を登ると普段であれば誰もいないはずの道祖神の前で、小さなわらべに呼び止められた。


 「ねえねえ、憲兵さん、此処で何してるの?」


 (まったく困ったものだ、子供はどこにいるか見当がつかんな。この辺りの漁師の娘だろうか、私に話しかけてくるなんて、童心とは恐ろしいものだ…)隆吉は心で呟きながら、その子供に微笑みかけた。


 「ねえねえ、誰か悪い事した?誰か捕まえた?ねえねえ、そうそう、わたし怪しい人達知ってるよ、この先の大きな欅の隣りのおんぼろな家で、その人達集まってるんだよ」


 「そうかい、教えてくれてありがとうね、じゃあこれからその悪い人達のところに行ってくるから、お嬢ちゃんは危ないからお家に帰りなさい」


 「はーい、憲兵さんも気をつけてね」


 子供が坂道を下って行くの見ながら、「こんな子供にも噂が広まるとは、困ったものだ…」と、独りごちて坂道を登った。

 この隆吉という男、憲兵の格好が様になっているが、実は憲兵ではない、隆吉は盗賊であった。大正時代に盗賊も珍しいが、殺さず犯さずのうえ、貧しきものからは盗みはしない昔気質むかしかたぎな盗賊なので、それは相当に珍しかった。

 大した犯罪もなく、治安のよいこの港町で憲兵など不思議ではあるが、時が時なだけに[敵対国との内通の疑いがこの港町にある]それでここに派遣されて来た。ということにしている。とはいえ、二ヶ月もぶらぶらとしていれば子供にだって怪しまれても仕方はない。つまりは長居をしすぎたのだ。

 そんな折、隆吉はあるぼんやりとした感覚に囚われたようで、今日は仲間にその思いを告げると決めていた。


 「お頭!おかえりなさい、心配しましたぜ、一体どちらへ行っていたんですかい、今日は待ちに待ったお勤めの日ですからね、待ちくたびれましたぜ」


 「そうさあ、いつまでもそんな憲兵の格好も大変だろう?お前さんらしくないよ、こんなお勤めさっさと終わらせてさ、明日から暫くの間、二人で黙りを決め込むとしようじゃないか」


 「へへ、そいつは恐ろしいぜ、咲姉と何日もねんごろなんて、命が幾つあってもたりゃしねえ」


 「こら!喜八!あんた一言多いんだよ、まったく」


 「ふふ、相変わらず元気がいいぜ…いいかお咲、喜八よ、よく聞いてくれ。俺は今日のお勤めが終わったらなあ、足を洗うことにしたぜ、今後の身の振り方に不安もあるかも知れねえが心配するな、銭はお前ら二人で半分ずつ持っていけ。大丸屋だいまるやの蔵の中には江戸の時代からたんまりため込んだ金品が山ほどあるんだ、そりゃ十分すぎるほど遊んで暮らせるぜ。なあいい話だろ」


 「お頭!な、なに言うんですか、うちらこれから天下の大盗賊になるって一番大事な時じゃねえですか、確かに今の時代には合わねえ仕事かもしれねえですが、うちら三人なら大丈夫だ。そういったのはお頭ですぜ」


 「そうだよ、喜八の言う通りさ、あたしらこんな窮屈な今の時代には付いていけないのさ、だからこうして昔かたぎな盗賊の仕事でもって、この時代を生きぬいて行こうって、そう決めてやって来たんじゃないか、いくら便利だって言ったて、こんな鉄くずだらけの世界じゃ、私たちみたいな出来損ないは生きていかれないのさ、それが一番わかってるのは、隆吉あんただろ、あんたがどう思って足洗うって思ったかはしらないけどね、あんたのことだ、どうせ大した理由なんてないんだろう、そうやってわたしたちの気持ちなんか存在しないようなものだと思って蔑ろにしやがって、このクズ野郎が!」


 「お咲…そう言うな、なにもお前らの気持ちがわからねえ訳じゃねんだ、ただなあ、これから先、世の中にとんでもねえ荒波が来る気がするんだ、その渦中に巻き込まれるのはなにも俺たちだけじゃない、恐らく国やら人種やらそういう垣根を越えた大勢の人間がそうなる、今は作り話みたいなもんだが、本当にそうなる日が来る気がしてならねえ、こんな話は信じられないとは思うが、お前たちならわかるだろうよ、俺の勘が馬鹿みたいに当たることをよ、それでな、今日を最後にしねえと俺たちの未来は真っ暗闇の檻の中にも入れねえ、腐った筵にも成れやしねえ、そんな気がしたのさ、これから先、なにかでっけぇ夢があるわけでもねえが、お前たちを俺のわがままに付き合わせるのは酷だぜ、なあ…わかってくれ」


 「お、お頭…」


 「ふん、まったく隆吉らしいよ、話にまったく現実味がないねえ。あんた昔からそうだ、いつも突然人が変わったみたいに思いついたことに突き進んでいっちまう、でもね、今回ばかりは納得いかないよ、わたしだっていい歳なんだ、いまさら堅気の男の女房になんてなれたもんじゃないんだよ、あんたに女の気持ちなんて一生わかりはしないだろうがね。こちとら人生かけて盗賊やるって決めてんだ、それにね、あんたがわたしらを盗賊にしたんだよ。最後まで責任取ってもらわないとねえ、納得なんてできるもんかい」


 隆吉の神秘めいた理由の廃業宣言を突然聞かされて、二人は困惑や憤怒が入り混じった感情に包まれた。人生を仕切りなおすにはまだまだ時間があるようおもえるが、今更堅気の生活なんて想像もつかないし、したくもないのが正直な気持ちであろうことは、かしらである隆吉には痛いほどよくわかっていた。 


 「そうだよなあ、でもな、俺の気持ちがそれでも変わらないってことも、お前たちが一番よく知っているだろう、こればかりは人間生まれたらいずれは死ぬのと同じで、もう逆らえね自然の摂理みてえなもんだぜ」


 「そりゃねえよ、お頭、おいら寂しいぜ、こうやって三人で仕事出来なくなるのが寂しくて仕方ねえ、ましておれには家族なんてもんはいやしねえ、おまけに学もねえし、帰る田舎なんてもんもねえ、盗み以外に取り柄なんてもんはねえんですぜ。盗みができねえこの先のことなんか、なんにも考えらんねえよ、お頭頼む、頼むから辞めるなんて言わねえでくれ」


 「喜八、やめな、もう何言っても時間の無駄さ、こんな唐変木のちんちろけをこの世に現しちまったことが、神様のお間違いなんだ、諦めるんだね、もう金輪際関わらないのが身のためさ、道端の糞みたいに放っておけばいいのさ。いいかい、これからは二人で盗みを続ければいいんだ、もうたくさんだよ、こいつの我儘に付き合うなんてのはね、腸(はらわた)が煮えくりかえっちまってしかたないよ」


 「で、でもよ、咲姉、お頭の代わりはおいらには勤まらねえよ」


 「いいんだよ、隆吉の代わりなんてしなくたって、私がやってやるのさ、天下の女盗賊さ歴史に名の残るほどの大仕事をやってのけてやるのさ、なめんじゃないってんだよ三つで親に捨てられてそれからひとりでここまで生きてきたんだ、お天道様が毎日上ってくるなら私は生きていけるのさ、隆吉、あんたがいなくたって大したことないさね」


 「うむ、それえ聞いて安心したぜ、さすがは丈菊じょうぎくのお咲だ」


 こうして隆吉を頭とした盗賊団は今日をもって解散した。

 ともあれ、最後のお勤めである大丸屋の仕事だけはきっちりとこなしてから三人は分かれたのであるが、別れ際に隆吉がお勤めの成果を全て二人に渡そうとすると、お咲は断固として受け取らず、きっちり三等分で分けたのである。盗賊の頭としてこれから生きて行くお咲の決意と隆吉との決別を込めてのことだろう。お咲がどうしても引かないので、隆吉はそうするしかなかった。頼もしいほど義理堅く、頑なに昔気質な女盗賊は最後に、「世話になったね」そう言うと、喜八と二人遠く西へと消えていった。

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