静寂の声

蟾兎 燕

第1話 静寂の中の不安

カナが姿を消したのは、静かな日曜日の朝だった。




 郊外の町、真那美町まなみちょうは、のどかな田園風景が広がる場所だった。町の人々は穏やかで、日々の営みも変わり映えのないもの。カナはここで教師をしていた。生徒たちに囲まれ、優しく、真面目な彼女は、誰からも好かれていた。だが、その日、カナは朝早く家を出て、戻ってこなかった。




 彼女がいなくなってから48時間が経過した。カナの婚約者であるシュンは、不安と焦燥感に苛まれていた。彼は新聞記者で、日頃は事件やスキャンダルを追いかけては記事にするのが仕事だったが、自分自身が事件の渦中に立つことになろうとは思ってもみなかった。




 シュンは、カナがどこにいるのか全く見当がつかず、彼女の携帯電話は沈黙を守っていた。部屋を出て行った形跡もなく、車も駐車場に停まったままだった。彼女は何も言わずに、まるで霧の中に消えたようだった。




「単なる家出だよ」と、地元の警察署長は軽く言い放った。


「彼女は成人しているし、失踪の理由があるなら、そのうち戻ってくるだろう。ちょっと時間を置いてみたら?」




 シュンは、署長の無責任な態度に腹が立ったが、どうすることもできなかった。カナは家出をするような性格ではない。何かがおかしい、そう確信していた。




 その夜、シュンはカナの職場である学校へ足を運んだ。彼女の机の中には、いくつかのメモや書類が残されていた。だが、目を引いたのは、彼女のパソコンに保存されていた一つのファイルだった。ファイルのタイトルは「プロジェクトA」。




 シュンはパソコンを開き、そのファイルを確認する。そこには、カナが数年前に関わっていたと思われる大手企業「テクノクリア社」に関するメモや資料がずらりと並んでいた。彼女がなぜこの資料を持っていたのか、シュンには分からなかった。




「テクノクリア社…?」


 シュンは、その名前を見た瞬間、記憶の片隅から何かが蘇った。確か、数年前に不正が噂されていた企業だったが、大規模な調査が行われる前に突然話が立ち消えになった事件があった。




 カナがその件に関わっていたという事実が、シュンの胸に重くのしかかる。彼女はその後、なぜ教師としての生活を選んだのか、なぜその過去について何も話さなかったのか――シュンの頭には次々と疑問が湧き起こる。




 翌日、シュンはカナの同僚で親友でもあった美香に話を聞きに行くことにした。美香はカナと同じ学校で働く教師であり、彼女とは高校時代からの付き合いがあったという。




「カナが失踪する前に、何か変わった様子はなかった?」


 シュンが尋ねると、美香は困った表情を見せた。




「変わった様子…?」


 美香は一瞬考え込んだ後、ため息をついた。


「最近、少し疲れているようには見えたわ。でも、それ以上に気になることはなかったと思う。ただ…」




「ただ?」


 シュンが先を促す。




「…彼女、数週間前から何かを調べているみたいだった。誰にも言わずに。私が『何をしているの?』って聞いたときも、『ただの趣味よ』ってはぐらかされて。でも、何か重要なことを抱えているように見えたのは確かよ。」




 その言葉に、シュンは心の中で重い何かを感じた。カナは、一体何を隠していたのだろうか。




「もしカナが戻ってこなかったら…」


 シュンはその言葉を自分自身に問いかけるように口に出した。




 美香は彼をじっと見つめ、静かに首を振った。


「彼女は、何か大きな問題に巻き込まれているのかもしれない。」




 シュンはその言葉を胸に刻みつけ、カナの行方を探し続ける決意を固めた。そして、彼はこの調査がただの失踪事件ではなく、過去に彼女が関わっていた「テクノクリア社」の陰謀と深く結びついていることを直感した。




 カナの行方を追う中で、シュンは自分自身も危険な領域に足を踏み入れたことをまだ知らなかった。

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