大学と高校の大きな違いの一つに自分で授業を選択するという側面がある。もちろん自分がとりたい授業をすべて取れるというわけではない。『必修』といって絶対に取らなきゃいけない授業が最たるものだ。そういうのが分からない場合はサークルや部活の先輩たちに履修を組んでもらうのが大体だ。


俺は姉さんと同じ経済学部なので、姉さんの履修を下賜していただいた。おかげで、楽な授業とめんどい授業、後は先生の教え方が下手だったり、テストが楽だったりといったアドバイスを頂いて履修を組めた。


これでボッチライフを満喫できる!と思ったのだが、大学にはボッチの俺には大きな試練が待ち受けていた。というか嫌でも取らなきゃいけない『必修』があった。それはゼミだ。


ゼミというのは簡単に言うと教授の専門科目を学ぶための少数のクラスだ。例えば経済学と一口に言っても広い。金融、マクロ経済、ミクロ経済、統計学…etc


その中でも俺は経済史のゼミを履修しようと思っている。別に経済史が学びたいわけでもなかったが、三年生でこのゼミに所属している姉さんから熱く勧められた。もしかしたら人を誘ったら評価が上がるのかもしれない。姉さんには履修関係でとても世話になったので、金品以外で借りが少しでも返せるなら返しておきたい。


話を戻す。俺がなぜゼミを忌避するかというと、グループワークとかいう「二人組作って~」の強化版があることだ。特に一年生のうちはその側面が大きい。経済についてなんのいろはもない人間がいきなり専門について調べるなど不可能なので、まずは簡単なテーマをグループで考える、と姉さんが言っていた。


正直、ボッチを目指す俺としては相性最悪だ。できることなら無難に距離をおいて事務的な連絡のみに努めたい。


会議室に集まったので十人程度だ。各々、仲良くなった人たちとしゃべったり、スマホをいじっている。人気のあるゼミは面接等の選抜があるらしいが、経済史はあまり人気がない科目なので、そういうのは全くなさそうだ。


「よし、集まったな」


ビジネススーツをを身に纏い、カツカツとヒールを鳴らしてホワイトボードの前に陣取った女性が現れた。ポニーテールにしていて、眼鏡がとても似合っていた。バリバリのキャリアウーマンといった感じだった。教室に緊張感が走る。


「私の名前は花園時和はなぞのときわだ。専門は経済史、特に日本経済史。趣味は古書店巡り。先に言っておくが、うちのゼミは厳しい。しっかり勉強しない者には容赦なく『不可』を付けるからそのつもりだ。よろしく」


パチパチと乾いた拍手が起こる。一番最初は美人が来た!喜んでいた男子諸君も授業が厳しそうだと分かると乾いた笑みを浮かべていた。こりゃあこのゼミから逃げ出したくなった人間もいるだろう。姉さんから聞いた通りの人物のようだ。海外の大学で飛び級に飛び級を重ね、二十代で教授となったらしい。とんでもないエリートだ。


そして、一人ずつ自己紹介が始まった。これから先、ホワイトボードの前に立つことが多くなるとのことで、教卓の前で自己紹介をすることになった。


嵐山颯斗あらしやまはやとです。高校まではサッカーをやっていました。よろしく」


いきなりとてつもないイケメンが来た。女子たちの黄色い歓声が響く。無難な挨拶なのにイケメンというだけで注目されていた。俺とは関わることのない人種だろうから覚える必要もない。というかもう既に忘れた。


次々に行われる自己紹介。正直、どいつもこいつも同じようなことしか言わないので、何も覚えられない。ベルトコンベアーで同じような商品が流れてくるようなものだ。


その流れで俺も無難な自己紹介をしよう、という流れには乗らない。というのも人畜無害だと関わってくる人間がいるからだ。ソースは高校の時の俺。できるだけ誰にも近づかれないように、そして、同じグループになった人間には運が悪かったと諦めてもらえるようなキャラ、これが一番理想だ。


昨今のラノベのモブは本気度が足りない。一人になりたいなら、針の穴を通すくらいに絶妙な位置を狙わなければならない。


「次」


「はい」


俺の順番が来ると、ホワイトボードに大きな正方形を書いた。そしてそれを九つのマスにわける。○×ゲームを思い出してもらえれば分かりやすいと思う。そして、俺は真ん中に自分の名前を書いた。様々な視線が俺に集中した。


「高坂氷真です。さっそくですが、この大学を受けた時の受験戦略を語ろうと思います」


ざわっとなる。今まで退屈な自己紹介ばかりだったその空間に突然受験戦略の話だ。頭が可笑しいと思われても仕方がないだろう。


「この大学の受験倍率は約9倍。つまり、9人に1人しか受かりません。言い換えれば他の8人を落とせば受験に受かると言っても過言ではありません」


そして、俺はホワイトボードの俺の名前の周りの八マスに×を付ける。


「これは受験会場における俺の席の位置です。つまり前後左右斜め前後を落とせば、実質的に俺が受かることができます。あっ、先に断っておきますけど、物を奪い取るとかそういう話じゃありませんよ?」


それは犯罪だし、そもそも試験監督がいるから、そんなことはできない。


「なので、俺の周りの受験者たちには集中力を乱してもらうことにしました」


殴りかかるとかそういうものではない。そんなことをしたら一発退場だ。


「休み時間の間、少年誌のエッチな漫画を堂々と読むことにしました。もちろん表紙を隠すなんて小賢しい真似はしません。後ろの人が集中力を乱せるように一番のエッッッなシーンを見せつけてやりました」


完全なエロ本だとアウトだが、少年誌なら問題ないというロジックで『ToLove〇 〇ークネス』の十一巻を俺は持ち込んだ。ヤ〇ちゃんが覚醒して、積極的に主人公のリ〇にエッなことをするのはとても衝撃を受けたのを覚えている。


仮に試験監督に何か言われても、平常心を保つためと言えばギリギリOKを貰えると思った。後は没収されたとしても、「試験会場にエロ本を持ち込んだ奴www」という評判が広がれば、教室中のベストパフォーマンスを落とせるし、万が一退場させられたとしても国立受験で受かればいいやという考えだったので、ぶっちゃけ退室させられても良かった。


結果、この大学にしか受からなかったのだから、存外危ない橋を渡っていたっぽいけど…


「以上で、俺の自己紹介を終わりにします。ありがとうございました」


最後に頭を下げると、拍手すら起こらない。ヤバイ奴認定をされたようで良かった。これで俺に積極的にかかわろうとする人間はいないだろう。目論見は上手くいったようなので、心の中でほくそ笑んだ。


…のだが、


「‥‥クク、アハハハハハ!」


一番前に座っていたイケメンが腹を抱えて笑いだした。イケメンのあまりの奇行に周囲も驚いている。


「ヤバイやつだなお前」


涙を拭きながら俺にスマイルを向けてくる。


「ああ、そんなわけなので俺と関わるのは最小限にした方がいいぞ」


「そりゃあ無理な相談だ。俺はお前のことが気に入ったしな」


「きしょいぞ、山田」


「嵐山だっての!ほら、連絡先交換しようぜ。氷真」


「うぇ…いきなり名前呼びかよ。これだからイケメンは」


前歯がキラーンとしている。なぜ一番関わる必要がなさそうな人間に絡まれなければならないのか。ここまで絡まれたら、俺も断ることなんてできるわけがない。嫌なやつ認定されてしまうと、ボッチにはなれるが、イジメ等の嫌がらせを受けることになる。だからこそ仕方なく関わらなければならない程度の人間になろうと思ったのだが、嵐山の琴線に触れてしまったらしい。


「高坂…そうか。お前が高坂美波の弟か…。なるほど…」


花園先生が何か納得しているが、あまりいい意味ではないだろう。俺のことをメモに滅茶苦茶書くのをやめてほしい。これからのボッチライフに支障がありそうだ。


それからはゼミ内でアイスブレイクがなされた。俺は話す気がないのだが、嵐山がとても関わってくる。けれど、その嵐山はイケメンで性格も良いので、すぐに引く手あまたになる。俺はそのままフェードアウト。スマホでもいじって時間を潰そうと思ったのだが、嫌でも周りの声が耳に入ってきてしまう。


今、この教室は三つの派閥に別れている。一つは俺。大学に入ったのにボッチを目指している異端者。そして、嵐山颯斗を中心とするハーレムグループ。そして、最後の一つが、


「柳瀬川さん、連絡先交換しようぜ」

「サークル何に入るか決めた?」


大学デビューを目指して、背伸びしている男子達がある女子を囲っていた。


柳瀬川凛音やなせがわりおん。腰まで伸びた黒髪は美しく、顔は黄金比をなぞったかのように整っていた。突然、こんな美人が現れたら、誰もが近づきたくなるだろう。俺とは全くかかわりのない殿上人だ。これから先一生関わることはないだろう。


「ごめんなさい、貴方たちには全く興味がないの。できればあまり踏み込まないでほしいわね」


中々の切れ味だ。興味がないと言われた男子たちはびしっと固まっていた。嵐山に夢中になっていた取り巻きたちも柳瀬川の方を見ていた。まさか断らわれることがないと思っていたのだったらどんまいだ。丁度鐘の音もなったし、授業も終わりだ。花園教授も途中でいなくったし、そそくさと帰ろう。


「そういえば氷真。これからゼミのメンバーで飯を食いに行くことになったけど行くか?」


目ざとく俺を見つけた嵐山から声をかけられるが俺みたいなのがいたら邪魔だろう。そもそも俺はボッチを目指しているんだ。そんな陽キャだらけの集まりに行きたいわけがない。


「悪いな。これから用事があるんだ」


「そうね。さっ、帰りましょうか。ヒョウ」


いつの間にか俺の背後を取っていた柳瀬川。ニコニコと俺を見ていてぎょっとした。会議室中の人間からの視線が集中する。さっきまで男子の誘いを断っていた柳瀬川が自己紹介でやらかした男を名前で呼ぶ。関わってくるとは思わなかったので、冷や汗が出た。


「え~と、柳瀬川さんとの用事なんてないんだが…」


「ッ」


「人違いだと思う。それじゃ」


「ま、待って!」


俺は制止を振り切って逃げるように会議室を出た。そして、棟を出て後ろを振り返る。追いかけてこないのが分かるとホッと一息。


「なんであっちから関わってくるんだ…?」


━━━俺は柳瀬川凛音に嫌われている。


━━━


「…もう『リネ』って呼んでくれないのね…」


会議室に起こった修羅場らしきものに、空気が固まっていた。誰かがこの空気を壊してくれないかと責任転嫁をする異様な空間になっていた。柳瀬川は固まって震えながら、こぶしを握っていた。


「氷真と何かあったのか?」


嵐山が全員の疑問を投げかけた。


「ええ…同じ高校で部活が一緒だったのよ」


「部活が同じ?あいつはサッカー部じゃないのか?」


「いえ、将棋部よ。ただ、中学の時はサッカーをやっていたと言っていたわ」


「なるほど…どうりで見つからなかったわけだ」


「そういう嵐山君もヒョウと知り合いなのかしら?」


「中学の時に試合でちょっとな。ただ、あっちは忘れてるっぽいけど」


「そう…」


会話が途切れる。それ以上に悲壮な表情を浮かべている柳瀬川の表情が辛そうだった。すると、その空気に耐えかねた男子の一人が、


「そ、それにしたって、あの態度はないよな」

「あ、ああ。いくらなんでも他人のフリはないわ」

「あいつ頭おかしいと思ったけど、性格も悪いんだね」


「やめて!」


柳瀬川の鋭い声が教室に響く。


「全部、全部私が悪いの…だから」


「柳瀬川さん!?」


柳瀬川は涙を浮かべながらさっさと教室を出て行ってしまった。


「一体、何をしたんだ。あいつは…」


嵐山のつぶやきが虚しく木霊した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る