#22
次の日、本部の社員が再度お店に来た。
今度は宮本さんだけでなく、年配の社員がいた。人事部の部長だった。
僕と飯田さんが呼ばれ、その後の処遇について、話を聞くことになった。
結果から言えば、橋本さんは、懲戒免職扱いになり、また店長も同様に退職となった。そのことに飯田さんは、目玉が飛び出そうなくらいに驚いていた。
なぜそうなったのかというと、橋本さんは、金庫のお金を盗んだ次の日――僕が監視カメラの映像を確認していたその日に――警察に自首していたとのことだった。そして、人事部長が警察へ行き、話を聞いたところ、橋本さんは、店長との関係について説明し、店長に対して恨みを持っていたと、話したという。その話を受けて、橋本さんの懲戒免職はもちろんだが、トラブルの発端となった店長も退職する運びとなった。
また、橋本さんは、すぐに自首したことと、全額返金したことで、不起訴処分となった。
人事部長は、説明している間、終始怒っている様子だったが、誰に怒っているかはよくわからなかった。事件を起こした橋本さんか。あるいは、その原因となった店長か。
何より、本社の社員が気にしていることは、風評被害のようだった。
とにかく、このことについて、口外しないようにと、何度も何度も釘を刺された。
「まあ、その状況は分かったんですが、今後、どうするんですか? 店長不在じゃ、運営はきびしいでしょう?」
飯田さんが言った。
「たいへん、申し訳にないが、飯田さんと、西田さんに、力を貸してもらいたいと思っています」人事部長が言った。「宮本の方から聞いております。お二人はとても仕事のできる方々だと。そこで、少しの間、何とか、お店を回していただきたい。そして、早急に新たな店長を立てて、スタッフの募集を行います」
飯田さんは、眉をひそめて「閉めないんですか?」と言った。
「一度、お店を閉めるという決断は、なかなかに難しいんです」
その「難しいんです」という言葉にいったいどんな意味が含まれているのか、僕にはさっぱり分からなかった。
飯田さんは腕を組んで、しばらく考えてから言った。
「いいですよ。分かりました」
「ありがとうございます」
人事部長と、宮本さんが頭を下げた。
「ただ、条件があります」飯田さんが言った。「手当をつけてください」
人事部長が苦い顔をする。
「手当ですか?」
「そうですね……。そしたら、一日三千円。私と、西田君に特別支給をしてください。ただし、次の店長が決まるまでで結構です。どうかな、西田君」
「そ、そうですね。それでお願いします」
僕は、飯田さんの勢いにつられて返事をした。
人事部長は、ハンカチで額を拭きながら、宮本さんと顔を見合わせた。宮本さんは、少し笑っているようにも見える。
「……致し方ありませんね。緊急事態ですので、その条件、飲みましょう」
こうして、手当はもらえることになったが、どうやら僕と飯田さんは、これからしばらくの間、休みなく働かなければいけないようだ。
話し合いの後、宮本さんが帰り際、僕の耳で「飯田さんってすごいですね。しびれましたよ」と言い残していった。緊急事態だというのに、どこか楽しそうだった。
飯田さんも、これからうんざりするほど忙しくなることが決まったというのに、とても嫌そうには見えなかった。
「西田君。これから、たいへんだよ」
そう言いながらも、飯田さんは笑っていた。
どんな時も前向きな、飯田さんがうらやましかった。
僕は、正直、まだ気持ちの整理がついていなかった。
いったい、どうなってしまうのだろうか?
不安だけが膨らんでいった。
僕と飯田さんは、その日から休みなく働いた。
当たり前な話だが、店でごたごたがあった事など、客が知るわけがなく、相変わらず店は混雑していた。
疲労感はあった。
しかし、それほど嫌なものではなかった。
はじめは、僕か飯田さんがほとんどの仕事をこなしていたが、飯田さんが隙間を見て、アルバイトの人達にも、仕事を教えてくれたことで、徐々に僕にも余裕が出てきた。残業をしなくても済む日が少しずつ増えていった。
仕事終わりには、飯田さんと話しながら、コーヒーを飲むのが日課になった。
飯田さんとの会話の中では、作業を効率化する工夫についてや、接遇レベルの向上など、仕事に関する建設的な話から、テレビの話や、旅行の話など、いろいろなことを話した。
途中からは、仕事が忙しくなったことは、逆に良かったのかもしれないと思うようになった。やっぱり、ふと時間が出来ると、橋本さんのことを考えてしまったり、あの時、どんな言葉をかけて、どんな風にしていたら、あの事件を食い止めることができたのか、と頭の中で何度も同じ考えを反芻してしまっていたのだ。
忙しいおかげで、忘れていられる時間ができるのがありがたかった。
それに、ただ疲れているだけかもしれないが、以前に比べて、きちんと眠れる日が増えたように感じる。
あんな事件があった後で、あまり認めたくないことではあるが、僕自身は、ずいぶん気持ちが楽になっているのかもしれない。
また、そんな状況になっていることが、申し訳ないような複雑な気持ちでもあった。
ある日、北村さんと休憩が一緒になったことがあった。
「西田さん。店長と橋本さん、辞めちゃったんですね」
北村さんが言った。
もちろん、北村さんはなぜ辞めたかまでは知らない。あの金庫のお金が無くなっていたことに関しては、ただ単純に窃盗が店に侵入したということで、みんなには説明している。
「うん。そうだね」
「西田さんは、残念ですか?」
「まあ、残念だね。おかげで忙しいからね」
「ほんとに、それだけですか?」
「え? なにが」
「西田さんって、橋本さんのこと好きだったんじゃないですか?」
「そ、そんなわけないでしょ。だって、橋本さんは……」
僕は、言葉を飲み込んだ。
「あ、私、知ってますよ。橋本さんと店長は、不倫してたんですよね」
「う、うん。まあ、そうみたいだね」
「でも、私、思うんです。二人が辞めたのって、別れたからじゃないですかね? きっとそうですよ」
「なんで、そう思うの?」
「まあ、勘ですけどね」
北村さんは、そう言って笑った。
「西田さん。今がチャンスですよ」
「チャンス?」
「とぼけないでください。橋本さんに連絡取ってみたらどうですか?」
僕は、小さくため息をついた。
北村さんの学生ノリにつき合わされて、うんざりしているのもあったが、何より、橋本さんのことを思い出してしまったのだ。僕は、あれから何度か橋本さんへ電話をしたことがあった、しかし、繋がることはなかった。音沙汰がなく、今どうしているか、心配ではあった。
「それに、今度は西田さんが店長になるわけですから、出世して、男も上がって、橋本さんも、見直すと思いますよ」
「い、いや、僕が店長になるとは決まってないよ?」
「え? そうなんですか?」
「そうだよ」
「でも、他にいないじゃないですか? みんな言ってますよ。西田さんが次期店長だって」
「いやだよ。店長なんて。大変なだけだよ」
「なんでですか? 私は、西田さんが店長だと、すごい嬉しいですけど」
「あんまりやりたくないね。だって、北村さんみたいな人もきちんと指導しなくちゃいけなくなるからね」
「あ! それどういう意味ですか!」
僕は、北村さんの反応を見て笑った。
内心、冗談を言っている自分に驚いていた。以前よりは、幾分か元気を取り戻しているみたいだ。
北村さんに言われて、確かに僕が店長になることもありえるのかもしれないと思った。自分が店長になった時のことを想像してみた。
今よりも考えることも増えるかもしれない。お店をいかに回していくか、という事だけじゃなく、職員の教育や、売り上げのことにも頭を悩ますかもしれない。
それでも、なんとかやっていけるような気がした。
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