#3

 八日ぶりの休日に、僕は大学時代の友人に誘われ、飲みに行くことにした。

 その友人たちと会うのは、ほんとに久々だった。前に会ったのは三年、四年くらいも前だ。

 新宿駅南口で待ち合わせをした。十一月に入り一段と空気が冷たい。

 少し待っていると、友人の田村が手を振りながらこっちに向かってきた。

「よお。久しぶりだな」

 田村が言った。

「久しぶり」

「今日、仕事休み?」

 僕は、さも休みの日という感じでジーンズにセーターを着ていた。

 田村は、仕事帰りなのか、少し目立つような青色のスーツを着ていた。田村は日焼けをしていて、褐色の肌に青いスーツというなんともやり手の営業マンのような見た目だった。上に黒いコートを羽織り、首にはグレーの薄いマフラーをしていた。

「今日は休み。田村は仕事帰り?」

「まあね。でも、お前のために早めにあげてもらったよ。今日は久々だし、ガンガン飲もうぜ」

 もう一人の友人、中山もすぐに合流した。

 僕たち三人は、駅から歩いて五分くらいのところにある居酒屋に入った。

「ビールがうめえな」

 田村は、一杯目のビールを豪快に煽ると、そう言った。

「いや、ほんと。大学の頃はビールなんて、ほとんど飲まなかったけどな。最近はビールばっかり飲んでるよ」

 中山が言った。

「おっさんになった証拠だな」

 田村は、そう言ってグイッとグラスを煽るとさっそく一杯目のビールを飲み干した。すぐにもう一杯注文した。

「おいおい。ペースが速いな」

 僕が言った。

「いいだろ? 好きに飲ませてくれよ」

 田村が言った。

「何かあったのか?」

「ほんとに、仕事がきついんだよ」

 田村は、証券会社で営業をしていた。それも、全国でトップクラスに有名な会社だった。かなり激務という噂も聞く。

「田村のとこはほんとに大変だよな」

 中山が言った。

「いや、ほんときついよ。昨日も会社に泊まったからな」

「会社に泊まるの?」

 僕は言った。

「けっこうあるよ」

 田村が言った。

「俺も、時々あるな」

 中山が言った。

「お前のところも、大変そうだもんな」

「まあ、うちはベンチャーだからね。人手不足だよ。ただ、忙しいのはありがたいことだけど」

 中山は、アパレル系のベンチャー企業に勤めていた。中山が就職したときは、まだ社員が三人とか四人とかの規模の会社だったが、今では、五十人を超える大きさの会社に成長していた。中山は、立ち上げ当初から勤めていたこともあって、三十歳という若さで、役職がついていた。

「二人とも大変だな」

 僕は言った。

「いや、ほんときついよ。マジで。とりあえず、今日は好きなだけ飲ませてくれよ」

 田村が言った。

 それから、すごい勢いで、田村はグラスを空にしていった。僕もつられたのか、いつもよりも多くお酒を飲んだ――とは言っても、ビール一杯とチューハイ二杯程度で、田村と中山はその間に五杯も六杯もグラスを空にした。

それでも、心地良く酔いが回っていた。今日は気分が良かった。いつもよりお酒が、気持ちよく喉を通った。

「ほぼ、毎日怒鳴られてさ。先週また一人休職したよ。上司もいい加減気づけって話だよ」

 田村が言った。

「お前のとこ、かなり荒れてるな」

 中山はそう言って、苦笑いをした。

「株価が下がったからって怒鳴られても、俺らどうしようもないからな」

「確かに、それは理不尽だな」

「ほんとにきつそうだね。休職する人とかいるんだ」

 僕は言った。

「めちゃくちゃいるよ。今年だけで三人はいるんじゃないか。中山のとこもいるだろ?」

「まあまあいるね。今年はまだいないけど、去年は二人くらいだったかな」

「すごいね」

「普通だよ。普通。まあ、あんな環境で働いてたら誰でも病むわ。俺もそろそろかもな」

 田村はそう言って、グラスを空にした。

「飲みすぎだろ」

 中山が言った。

「頼むから、飲ませてくれ!」

 田村が、あまりに必死に言うものだから、僕と中山は笑った。

「相当、大変なんだね」

 僕は言った。

 二人の仕事が大変そうな話を聞いて、もちろん同情する気持ちもあったが、半分は嬉しい気持ちになっていた。仕事に関して、僕もとても満足しているとはいいがたい環境で、正直いつ辞めてもおかしくないと思いながら、毎日重たい体を引きずって出勤している。そんな自分の気持ちもわかってもらえそうな気がした。

「西田はどうなんだよ? 仕事は順調か?」

 中山が言った。

「まあ、そうだね……」

 僕は、一瞬、躊躇した。

 特に理由があるわけではないけど、僕は、愚痴や弱音を吐くことが苦手だった。誰かに自分の本音を話して、理解してもらえなかったらどうしよう。そんな考えが何より先に浮かぶのだ。

 だけど、この場では話しても良いような気がした。

「いや、それがさ、僕も結構大変なんだよ」

「喫茶店で働いてんだよな?」

 田村が言った。

「うん、そう。まあ、なんていうか……。店長が人使い荒くてさ……。あれこれ押し付けてくるし、アルバイトの学生とか主婦の人達はさ、結構、言うこと聞かないっていうか……。わがままでさ。扱いに困る人もいるし……。昨日なんかも、家に帰ったら九時過ぎてて、あとは寝るだけって感じの毎日で、正直、しんどいんだよ」

「そっか……。飲食業っていうのは、大変だよな」

 中山が言った。

 田村は、相変わらずグビグビをお酒を飲んで、一息つくと言った。

「まあ、どこも大変なんだろうけどさ、まだマシじゃね」

 僕は、グラスを握った自分の手が固くなるのを感じた。

 田村は、顔を赤らめて、饒舌に続けた。

「他の飲食業のやつら見てみろよ。死ぬまで働かされてるやつもいるし、休みなんて月に四日以下とかざらだぜ。いや、お前はまだマシな方だよ」

 田村が悪意なく話をしていることは分かっていた。それでも、田村の言葉が、強烈に、僕の頭に響いていた。


 ――お前はまだマシ。


 僕は、言葉を飲み込んで、黙り込んだ。

「まあ、確かにまだラッキーな方だったかもな」

 中山が言った。

「そうそう。だって、どこだっけ? この前ニュースでやってたけど、あのチェーンの居酒屋で、こき使われた店員が店長を包丁で刺したって事件もあったしな」

「西田は、まだ良い方だよ」

 どうしてか、耳鳴りがして、僕は二人の会話を聞き取ることが出来なかった。

 僕は、一口お酒を飲もうとグラスを持ったが、口まで運ぶことなくテーブルに戻した。

 少し時間が経つと、耳鳴りが止んで、まるで空中に浮いていた心臓がもとの位置に戻ってきたみたいに、落ち着いた気分になった。僕は、チューハイを一口飲んだ。

 そして冷静になった頭で思った。

 僕は、確かにまだ「マシ」なのかもしれない。

 一応、月に八日は休めるし、残業があると言っても、十時より遅くなることはない。ノルマに悩まされることもない。理不尽に怒鳴られることもない。

 田村や中山が言うように、僕はまだ「マシ」なのかもしれない。

「まあ、確かにそうだよな……。確かに、良い方だよな」

 そう言って僕は笑顔をつくった。

 確かに、まだまだ、「辛い」言えるほどではないのだ。

「ほんとに、仕事辞めようかな……」

 田村が言った。

「身体壊す前に辞めろよ」

 中山が言った。

「まあ、でもそう簡単には辞められない理由があるんだよ」

「なに?」

「家買ったんだよ」

「すごいな!」

 僕も、思わず吹き出しそうになった。

「田村はまだ、結婚してないよね?」

 僕は言った。

「そうそう。まだしてない。というかその予定も特にないけど、家を買ってしまったんだよ」

 田村はそう言って、豪快な笑顔を見せると、ビールを飲んだ。

 それから、田村の建築中の家の話を聞いた。

 家族が出来る想定ではあるが、自分の趣味が色濃く出ている造りにするらしく、木製のバーカウンターを作ったり、書斎を作ったり、家の隣にはハワイ風なロフト付きのガレージを造るのだそうだ。話の中で何度も田村は「大人の秘密基地みたいな」という言葉を使った。どうやらそれがコンセプトらしい。

 僕は、適度に相槌を打ちながら、時々は驚いて見せたりして、話を聞き流していた。

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