第15話 白夜の悲惨を知る

 幼い頃の白夜は、小さく痩せていて、喋り方が変で目立っていただけだった。

 華があったわけでもなく、貧相な外見の女の子であった。

 だが、年齢を重ねる内、例えれば、痩せた芋虫がさなぎから、華麗なる美しい蝶へと羽化したかに、変貌した。

 白夜は、歩けば誰もが振り向くほどの、美しい女となった。

 僕は、自分の視界から、白夜を遮断したので、その変化をまるで知らない。

 白夜に関わらないようにしていたのは、僕だけではない。実際は、自分たちが彼女を苛めていた事実を、胸の内では、当然解っていた子供たちも、いつか白夜に名指しされるのではないかと、恐れていた。だから、びくびくしながら、白夜を遠巻きにし続けた。

 だが白夜は、遠巻きに眺めるだけでは勿体ないほどの魅力的な女に、成長した。不幸にも。

 口を閉ざした魅惑的な美少女、白夜は、次第に、年頃の少年たちに口説かれるようになった。

 少年だけではない。

 相談に乗ってやろうかと、偽善者の仮面の下に、下心をだらだらと滴らせて白夜を誘う男は、大勢いたに違いない、と、祖母は言う。

 白夜は、口を閉ざし、心を閉ざし、更に身体も閉ざし続けた。誰にも、その美しい身体を開こうとはしなかった。

 悲劇は起きた。

 何故、白夜は、叫ばなかったのだろう。

 何故、助けを求めなかったのだろう。

 誰かが気付けば、そんな悲劇は起きなかっただろうに。

 チンピラだった、らしい。

 祖母にも、他に言葉が見付からないのだろう。

 それも、三人だった、らしい。

 白夜は犯された。

 犯されたとも、白夜は言わなかった。泣きもしなかった。喚きもしなかった。なに一つ、説明しなかった。

 でも、犯された。服は破れ、露わになった肌は、あちらこちら擦り剝けていて、強い力で押さえ付けられたような痣が、白い二の腕、両方の手首、足にも、痛々しいほどに残っていた。太腿は精液に塗れていた。

 白夜は、いっさい語りはしなかったが、隠しもしなかった。

 だから、精液塗れで、痣だらけの肌を露出したまま、町の中を徘徊し、保護された。

 犯人は、判明した。しかし白夜は、「こいつらに犯された!」という、真実の言葉さえ、発しなかった。

 三人組は、都合よく話をでっち上げた。

「誘ったのは、この女だべ? なあにを俺等を疑う? 九十九白夜だあ? 名前なんか、知らねえ。身体合わせるのに、名前なんかいらねえ」

「なあ。あんな色っぽい流し目送られたら、誘ってるとしか、思えねえよな。喋らなくっても、解るわなあ。ボディランゲージっての? 抱いてくれって、まあ、身体から出てた出てた!」

「抵抗だって? しなかたよう。無理強い? してねえわ。痣? だってなあ、ちょっと激しかったかんねえ」

「感じてたべさ。喜んでたべさ。喘ぎ声だけは、やたら聞いたような……こっちも、よくは覚えてねえわ」

 警察に語ったであろう話を、犯人たちは、世間にも広めた。余裕綽々と。

 白夜を知る誰もが、白夜は乱暴に犯されたと解っていた。本人さえ、言葉を発してくれれば、警察は、三人を逮捕できた。きちんと、法の上の裁きを受けさせられた。

 しかし、どうしても白夜は、言葉を発しなかった。語られた言葉はすべて、犯人たちの口からだった。

 レイプはあった。だが、なかったことにされた。

 世の中は、苛酷である。そんな酷い事件が、誰の目にも明らかであるなら、白夜を守ってあげようと動くのが、町であり、社会であり、人である。僕はこの歳になるまで、信じていた。

 人間関係の希薄な都会では難しくても、青森の田舎なら、町に住む人が、町に住むすべての人を知っている。だから、父のような警察官や、祖母のような心優しいお節介が、弱い者を守ると……

 なんて、身勝手なのだろう。

 なんて、浅はかなのだろう。

 自分自身は、過去を封印し、過去と向き合わないために、さっさと人間関係の希薄な都会に、逃げ出したというのに。

 一度目の事件は、言葉を発しない美少女、白夜は、「簡単にやれる!」という噂だけを、世間に広めた。

「その後、白夜がどれほど、そういう目に遭ったかなど、知らねえ。知りたくもない。嘘だと思いてえのよ。ただの噂だと、信じたいのよ。本当に、救ってやりたかったの。だけども……なにもしてやれなかった」

 祖母は、また泣いた。

(だったら、救えただろうに! どんな方法だって、あったはずだよ! なんで、知らない振りをしたんだよ!)

 罵りたかった。でも、言葉は飲み込んだ。

 僕に、罵れるはずもない。元凶は、きっと僕だから。

 僕も、泣くしかできなかった。

「泣いたところで、救えなかった事実は変わらない。泣いたところで、罪は軽くはならない。私だけではない。この町で、白夜を知る人は、みんな本当に罪深い」

 祖母は、泣き続けた。僕の代弁をしているようだった。

 白夜は、噂が流れ続けたある日、町から姿を消した。

 なにも言わないまま。忽然と姿を消した。まだ、最近のことらしい。

 死んだのではないか、と、誰もがそう思ったそうだが、生きて出て行ったのは確かのようである。

「今も、どこがで生きてると思いてえ。死んでたら、自分が殺したと思わねばならねえがら。勝手だな。手も差し伸べねえでな。ほんに、この世の者とは思えねえほど、綺麗なおなごなんだよ、白夜は。だげんど、美貌が却って白夜を不幸にすたんだ。神様は、口がきけねえ娘に、宝さ与えたつもりか知らねが、美貌がなけりゃ、まんだ幸せだったに違いねえんだ」

 祖母は、それだけ述べると部屋に引っ込んだ。祖母にとっても、白夜は、封印したい過去なのだろう。

 僕は、途方に暮れていた。

 祖母の罪どころではない。僕のせいで口を閉ざした白夜は、その後、不幸へ、不幸へと、道を転がり落ちた。

 僕は逃げたのに! 僕こそが、罪深い。

(どこにいるのだろう。本当に、生きているのだろうか)

 夏の一日は、いつまでも太陽が僕等を照らす。ようやく傾き始めたものの、日没までには、まだ、だいぶんある。

 僕は、早く真っ暗闇に、身を浸したい気分だった。今の僕に、太陽は似合わない。

「トオルくん、ちゅっごい。トオルくん、ちゅっごい」

 あどけなく、キラキラした瞳で僕を見詰めた白夜。

「なに? そんなに僕、すごいかなあ」

 キラキラした瞳で見詰められ、得意になっていた僕。

 そんな二人は、もう、どこにもいない。

 

                                つづく

 


 

 

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記憶の感触 四十万胡蝶 @40kochou

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