第178話 新しい農業

ベルル人たちは、地上から隔絶された地下での生活を長年続けていたため、室内農作業の技術に非常に精通していました。彼らは限られたスペースと資源を最大限に活用し、自給自足の生活を維持するために高度な農業技術を発展させてきました。この技術は、一馬にとって非常に魅力的でした。


エターナル・ホープに新たに建設されたビルの一つでは、一馬がベルル人から学んだ室内農作業の技術を試みるため、農作業のスペースが設けられていました。この場所は、まるで近未来の実験室のように整然とした環境で、壁一面にLEDライトが設置され、植物に必要な光を均等に与えるシステムが構築されています。LEDライトは、植物の成長に最適な光スペクトルを放ち、昼夜を問わず植物が健康に成長できるように設計されていました。


一馬はまず、レタスの栽培を始めることにしました。彼はベルル人から教わった通りに、種を栄養豊富な培養液に浸したスポンジに植え付けました。この方法は、水耕栽培の一種で、土を使わずに水と栄養分だけで植物を育てることができます。スポンジは、植物の根に十分な酸素と栄養を供給しながら、しっかりと支える役割を果たします。


次に、一馬はビル内の気温と湿度を厳密に管理するため、温度調節システムを起動しました。このシステムは、植物が最も快適に育つ温度と湿度を維持し、成長速度を最大化することができます。さらに、一馬は空気循環システムを利用して、ビル内の二酸化炭素濃度を適切に保つようにしました。植物は光合成を行うために二酸化炭素を必要とするため、この管理は非常に重要です。


一馬は毎朝早くから、このビルにやってきてレタスの成長を観察し、必要に応じて調整を行っていました。彼は植物の葉の色や形を注意深くチェックし、成長が順調であることを確認しました。また、栽培中に見つかった問題点や改良の余地についてもメモを取り、次の栽培に活かすことを心がけていました。


数週間が経過する頃には、一馬のレタスは見事に成長していました。葉は鮮やかな緑色で、みずみずしい質感があり、見るからに栄養が詰まっているように感じられました。一馬は、初めて収穫したレタスを手に取り、その感触を確かめました。彼の努力の成果が目の前に現れた瞬間でした。


一馬はこの経験を通じて、ベルル人たちの技術がいかに優れているかを再認識しました。そして、彼はさらに多くの作物を育て、この技術をエターナル・ホープ全体に広めることを決意しました。彼の目には、今後この技術が街の食糧生産に革命をもたらす可能性が見えていました。このようにして、一馬の農作業は、エターナル・ホープに新たな生命を吹き込む一つの柱となっていったのです。


一馬は、ベルル人から学んだ技術を活用し、エターナル・ホープの住民たちに新しい形の農作業を提唱しました。しかし、彼が提案したのは、単に食料生産を目的とする農作業ではありませんでした。それは、観賞用の野菜を育て、人々を癒すための活動でした。


「私たちの生活には、緑の癒しが必要です。けれど、それを実現するのに広大な土地や、特別な施設が必要だとは限りません」と、一馬は人々に語りかけました。彼が提案する観賞用野菜の栽培は、屋内で簡単に行えるもので、従来の農業とは異なり、ビニールハウスなどの大掛かりな施設も必要ありません。むしろ、身近な空間に少しの工夫を加えるだけで、家庭の中に美しい緑のスペースを作り出すことができるのです。


一馬は、室内農作業の魅力についても説明しました。この技術を使えば、天候に左右されることなく、一年中安定して植物を育てることができます。また、農業に必要な土地や設備への投資が最小限で済むため、予算を心配する必要もほとんどありません。これによって、より多くの人々が手軽に農作業に取り組むことができるのです。


さらに、一馬は、観賞用野菜が人々の精神的な健康にもたらす効果についても強調しました。色とりどりの葉や花が、家庭やオフィスの空間を彩り、見る人々の心に安らぎと喜びをもたらすのです。彼は、「ただ育てるだけでなく、楽しみながら育てることができるのが観賞用野菜の魅力です。これを通じて、皆さんが日常の忙しさやストレスから少しでも解放されることを願っています」と言いました。


エターナル・ホープの住民たちは、一馬の提案に大きな興味を示しました。多くの人々が、初めての農作業に挑戦し、家や職場で観賞用の野菜を育て始めました。その結果、街の至るところで小さな緑のオアシスが生まれ、人々の生活に新たな彩りが加わりました。観賞用野菜の育成は、単なる趣味や癒しを超えて、エターナル・ホープ全体に新しい文化として根付いていくのでした。


一馬は、エターナル・ホープでの観賞用野菜栽培が広がり、街のいたるところに緑が増えていく様子を静かに見守っていました。彼の心には、次第に平穏と満足感が広がっていきました。これまでの人生では、効率や結果を追い求めることが重要だと信じていた彼にとって、観賞用野菜の育成は新しい発見でした。


ビルの中に広がる小さな緑のオアシスを眺めるたびに、一馬はその美しさと静けさに心を打たれました。日々の忙しさの中で忘れられがちな自然の存在が、彼の心にやさしく語りかけてきます。それは、すぐに結果を求めず、ただ育てること自体に価値を見出す、新しい生き方の象徴でした。


ある日、彼はオフィスの窓から広がる緑を見つめながら、ふと思いました。「こういうスローライフもありだな」と。これまでの彼の人生は、常に目的達成のために走り続けるものでした。しかし、観賞用野菜を育てるという、無理のない、穏やかな日々の中で、彼は初めて「ただ生きる」ことの価値を実感しました。


それは、時間がゆっくりと流れる瞬間を楽しむこと、結果を急がずに過程を大切にすること、そして何よりも、心の中に自然を取り戻すことでした。彼にとって、この新しいライフスタイルは、日常の中に新しい色彩と意味をもたらし、今までとは異なる充実感をもたらしました。


この時、一馬は心の中で静かに誓いました。「これからは、ただ成功や達成を追い求めるだけでなく、もっと穏やかに、もっと自分らしく生きていこう」と。観賞用野菜が彼の心を癒し、新しい生き方への道を照らしてくれたのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る