第5話 SF小説

「いたちごっこ」

 であったり、

「抑止力」

 という話は、坂口が、

「最近書き始めた、SF小説というもので、得意とするもの」

 であった。

 特に、

「東西冷戦」

 を思わせる、

「核開発競争と、核実験をどこで行うか?」

 という問題が、微妙に絡んでいるのであった。

 というのも、

「日本という国は、唯一の実戦における被爆国」

 ということで、さらに、ビキニ環礁においても、核実験で、

「第五福竜丸」

 という船が、その犠牲となり、

「核実験の恐ろしさ」

 というものを世界に示したといってもいいだろう。

 それから、地球上での核実験は、

「地下核実験」

 というものが主となったのだが、これも、

「完全に安全というわけでもない」

 それを思うと、

「宇宙における核実験も、同じことが言える」

 ということではないだろうか。

 そもそもの兵器開発の理由は、

「地球は狙われているので、超兵器を持つことで、攻めてくれば、一発でやっつけられる」

 ということと、もう一つには、

「地球に超兵器があることを侵略しようとする星が知れば、攻めてこなくなる」

 という、

「抑止力」

 という問題だった。

 だが、

「もし、相手がさらに強力なものを作ってくれば?」

 という質問に、

「こちらはさらに強力なものを」

 という論議にしかならない。

 つまりは、

「半永久的に、強さを競うという、まるで、コンピュータウイルスにおける、堂々巡りであり、これこそ、交わることのない平行線を描いているということを、証明している」

 ということになるのであろう。

 それを考えると、

「人間の愚かさ」

 というものが浮き彫りになる。

 普通に考えて、

「どうして、共存ということを考えようとしないのだろうか?」

 ということである。

 やはり、

「日本という国が、大東亜共栄圏というものを提唱したのに、それを、まるで悪だということで、勝者側の理論として、裁判にかけて、日本の大義名分を、打ち消しただけのことはある」

 といえるのではないだろうか?

 そんな超兵器を持つことによって、究極の堂々巡りが繰り返される話を書いたのだが、その続編を書いた人がいた。

 その人が、ちょうど、同じ会社の人だったのだが、二人は、そうとは知らずに、ネットでの、

「小説同好会」

 のようなものに所属していた。

 近くだということで、

「遭ってみよう」

 ということになった。

 それ以前に、その人は、坂口の小説を好きだったようで、

「続編を書いてみたいな」

 といっていたのだ、

 その中で、この、

「超兵器と抑止力」

 という話に共鳴したようで、

「いたちごっこの堂々巡り」

 というテーマであることが、半永久的な話になってしまうということを、危惧したことから、

「何か、続編では、解決編のような話にしてみたい」

 といっていたのだ。

「その話の内容が、どういうものになるのか?」

 ということを楽しみにしていたのだが、

「解決編を書いた時、会いに行って、直接手渡ししよう」

 といってくれたのだった。

 ただ、彼がそれを、手渡ししてくれることはなかった。それは、

「彼が、会いに来るといっていた、数日前に、亡くなった」

 からである。

 彼の死は、自殺だった。

 遺書らしいものは、直接あったわけではないが、何と机の上には、坂口宛の、小説の続編の原稿があったという。

 一応、捜査で、

「どう見ても、自殺なのだろうが、念のため、原稿は少しの間、警察が保管する」

 ということになったのだ。

 っとりあえず、指紋を取ったり、内容の中に、遺書を思わせるようなものがないかということを検証したようだったが、警察としては、

「怪しいというところはない」

 という結論になったようだ。

 何といっても、現状から見て、

「自殺に間違いない」

 ということであったのだが、しいていえば警察として気になったのは、

「遺書がない」

 ということだったのだ。

 遺書もなく、別件の原稿が置かれているということで、

「とりあえず、遺書の代わりではないか?」

 と考えるのも無理もないこと。

 そこまで考えておきながら、実際には、深く内容を読んでいるわけではないようだった。それを見て。

「警察も政治家と一緒だな」

 と感じた。

「どうせ何もしない連中というのは、とりあえず、やってますアピールというものをすることで、自分たちの体裁を整えようとする」

 というだけで、言い訳らしいことには、

「さすがに長けているのが、政治家や警察」

 ということで、

「どうせ、警察になんか、分かるもんか」

 と思った。

 しょせん、事件となって、その検挙率に関係がなければ、

「すぐにでも、自殺として処理するのが、面倒くさくなくていい」

 ということになるのだろう。

「国民全員が、死ぬまでに一度は感じるであろう、警察や政治家に対して思うことではないか?」

 といえるであろう。

 彼が付け加えた、

「続編が、やっと、返ってきた」

 警察が押収したとはいえ、あて名は坂口であり、しかも、その内容は、坂口が書いた小説の、、

「続編」

 ということである。

 確かに、商業本ということでもなく、ただの趣味の域を出るものではないが、立派な、「著作権を有する小説」

 ということである。

 警察の捜査に必要なのかどうか分からないが、本来であれば、捜査令状のようなものがあってもしかるべきだろう。

 死んだ人のものに、捜査令状は関係ないのだろうが、少なくとも、あて名は、

「生きていて、著作権所有者なのである」

 それを考えると、警察といえども、粗末に扱うことは許されないはずだ。

 しかも、これは、

「死んだ人間の遺品でもあるのだ」

 一種の、

「形見」

 あるいは、

「遺言」

 といってもいい。

 それを粗末に扱うなど、ありえないだろう。

 その内容がどういうものなのか、返ってきたものを見たのだが、

「どうせ警察に分かるわけはない」 

 というものであった。

 もし、それが、探偵小説であったり、ミステリ^であれば、まだ、

「何かの参考になる」

 といえるかも知れない。

 と思ったが。

「それも、逆かも知れない」

 と感じた。

 というのは、

「警察官というのは、とにかくプライドが高いものだ」

 ということである。

 以前見た推理サスペンスドラマなどで、探偵が出てきたのだが、その時の担当刑事が、やたらと、探偵に対して、

「牙をむいている」

 というのだ。

 ライバル意識をむき出しにしているのが見て取れるのだが、見ていて、その過敏さに、

「必要以上の感情だ」

 と思わせたのであった。

 しかも、探偵がどんどん、謎を解いていくものだから、

「探偵に出し抜かれてばっかりだ。警察のメンツにかけて、ここで一つ大きな発見をしないと」

 といって、捜査員の尻を叩いているという感じだった。

 ただ、不思議なことに、最後には、

「事件を解決した探偵」

 に対して、深々と頭を下げ、

「いやぁ。お見事でした。我々に解決できそうにもなかったので、私は、どこかに飛ばされるところでしたよ」

 といって、最後に感謝しているのが、印象的だ。

 やはり、

「警察というのは、権力に弱いところだ」

 といってもいいだろう。

 それだけ、

「探偵の歯切れのいい推理、さらには、警察の無能さというのが浮き彫りになり、日ごろから威張り散らしているように思う警察に対して、スカッとさせられるところが、サスペンスの醍醐味だ」

 といってもいいだろう。

 超兵器を持っていることで、

「相手よりも優位に立つことができる。

 というのは、当たり前のことである。

 だからこそ、相手は、

「こっちよりも、強い武器を持とうとするわけであり、それにより、お互いに、攻撃をすれば、すべてが終わりだ」

 ということは分かり切っている。

 そのうえで、

「抑止力」

 として、その武器を使う。

 もっといえば、

「使わなくても、持っているだけで、平和が守れる」

 という、

「三段論法的な発想」

 というものが、当たり前のように言われるようになったのだ。

 これこそ、前述の神話というもので、一番怖いのが、

「偶発的に起こる事故」

 というものである。

 天災による、不慮の事故というのもあるだろう。

 しかし、人災による不慮の事故というのは防げない。

 確かに、

「兵器の発射ボタン」

 というのは、

「一人では押せない。押したとしても、それが、作動するには、数人が、持っているボタンが押されないといけない」

 ということになるのだ。

 それこそ、

「金庫の鍵を持っている人物と、金庫を開ける暗号を知っている人物が別」

 ということで、厳重に開かないように仕組みを考えているのと同じで、

「地球を、破滅させる兵器のボタンというものは、最高に厳しい状態にしておかなければいけない」

 ということだ。

 確かに、

「ボタンがいくつもあれば、それだけ厳重なのだろうが、それだけ用心していることで、問題となるのは、心のゆるみ」

 というものだ。

 一番怖いのは、そういう、

「人の心に入り込んでくる、安心感であったり、油断というものである。それを、車のハンドルなどにおける、遊び部分と一緒に考えるということができないであろうか?」

 いくら、油断してはいけないといっても、押さえつけるだけでは、どうしようもない。

 何といっても、

「人間が頭で考えて見つけた答えでなければ、うまくいくはずがない」

 というのは、

「ハンドルの遊び部分」

 のようなものではないか?

 あの時、スナックで、坂口が、

「遊び」

 という言葉をフラっと出したことで、その時に、他の二人、大迫と、殿山二人は、

「同時に、何かを感じた」

 ということであった。

 殿山が、

「余裕がある」

 という方の遊びを思い浮かべたのは、一種の、

「年の功」

 なのかも知れない。

 それだけ、たくさんの経験をしているということであり、

「その分、勉強もしているということで、他の二人とは違うんだ」

 と、その時に、感じることで、心の余裕というものを、自分が得たのだと感じたとしても、それは無理もないことであろう。

 しかし、あの時に、大迫も、あかねも、それぞれ遊戯であったり、風俗のような遊びを考えたというもの、無理もないことだ。

 それぞれ、

「普通なら頭に浮かんでくるであろう」

 という、遊戯、

 たぶん、大迫は、

「遊戯と聞いて思い浮かぶものが、何なのか?

 ということで、最初に思い浮かべものが何かによって、自分を顧みるということをしたのではないだろうか?

 ただ、一つ言えることは、

「自分が経験したことのないものは、絶対に想像することはないだろう」

 ということで、まず最初に、除外されるであろうことは、

「風俗関係」

 であった。

 これは、もちろん、最初に感じる時から、まったくないことであったが、あとから思い浮かべた時には出てくるものであった。

 というのは、

「後から思い浮かべたという時があって、その時には、風俗経験があった」

 ということであり。それは、逆に、

「後から思い浮かべたのは、風俗経験をしたからだ」

 という逆の発想から生まれたものなのかも知れない。

 そんなことを考えていると、大迫が、初めて行った風俗の印象がどうだったのか? ということを思い出させた。

 それは、

「思い出した時、つい最近のことだったはずなのに、かなり前のことのように思えた」

 というものであった。

 それは、かなり前ということではなくて、少なくとも、坂口が、

「遊び」

 という言葉を言った時に、思い浮かばなかったことだというのが分かったからだ。

 未来のその時に感じた時というのは、

「何か月経っていたのか?」

 という感覚に、

「半年くらいなのか?」

 それとも、

「一年は経過していないと思うが」

 と、一瞬にして、いろいろ思い浮かんだような気がした。

 この感覚というのは、まるで、

「夢を見ている」

 という時に似ている。

 夢を見る時というのは、いろいろなことを言われるが、それも無理もないことで、自分が感じることが、どれほどのことなのか、考えさせられるというものであった。

 そんな夢というのは、

「目が覚める前の、数秒で見るものだ」

 という、

「よく言われていることで、頭の中に、神話のように感じさせる感覚が、まず最初に考えさせられるものであった」

 ということだ。

 そして、次に思うのが、

「夢というのは、怖い夢ほど、覚えている」

 ということであった。

 怖い夢というのは、印象に深いのは分かってることであり、その夢が、

「夢という形で、思い出せた」

 ということだと考えると、

「夢を見る時というのは、怖い夢しかないのかも知れない」

 とも思えるが、逆に、印象が深いだけに、

「覚えているという感覚が、怖い夢に集中するだけで、実際に、目が覚めると、覚えているのが、怖い夢だというだけで、楽しい夢も見ているのだが、覚えきれていない」

 という、一種の、

「都合のいいのが夢だ」

 といえるのかも知れない。

 だから、夢というのは、

「実は毎回の睡眠で、必ず見るものであり、覚えていない夢がそれだけ多いというのは、基本的に、怖くない夢を見ることが多い」

 ということになるのかも知れない。

 覚えている夢が、印象に深いということであれば、何かの感覚が、自分の中に同調することで感覚がマヒしてしまい、すべてが、夢の中だけで完結するということになり、だから、覚えていないという、

「覚える必要のないこと」

 ということで、都合よく忘れているともいえるだろう。

 それを考えると、

「夢というものを使って、SF小説を書けないだろうか?」

 と、思った。

 しかし、それを考えたのは、坂口のようで、坂口は、その時の心境を、

「夢を使う」

 という発想を思い浮かべたのは、

「大迫だったんだよな」

 ということを感じていたのだという。

 それが、

「俺の夢の中に大迫が出てきて、俺にいうのさ、それが、SF小説って、いくらでも、話題が埋まっているような気がするんだ。俺が書ければいいんだけど、できないから、坂口さん、書いてみてよ」

 ということであった。

 坂口は、それを夢の中で聞いたということで、目が覚めるにしたがって、その時の、小説のヒントが、頭の中に浮かんできたのだった。

 そして、無意識に、机の上にあるメモを取って、目覚めの間に、思い浮かんできたことを、紙に書き写していた。

 完全に目が覚めた時、

「何かの暗号のようなものを、殴り書きしているようだ」

 と思えたのだが、そのうちの一つが、解読できると、次第に、内容が固まってくるのだった。

 時系列になっているということであったが、その内容を結びつぃけて考えてみると、

「どうやら、その夢の内容というのは、

「夢を共有できるか?」

 ということに対しての発想のようだった。

「自分が、相手の夢の中に出演している」

 という発想であるのか、あるいは、

「相手が自分の夢に出演してくるのか」

 ということである、

 だから、お互いに夢の中では、

「自分が主人公だ」

 と思っている。

 普通であれば、

「自分が主人公だ」

 などという発想が生まれるはずがない。

 もし、その発想が生まれたのだとすれば、それは、

「自分が、人の夢に入り込んでいるのか?」

 それとも、

「自分の夢に誰かが入り込んできているのか?」

 と考えさせられる。

 だから、生まれてきたその発想というのは、

「夢の共有」

 というものであった。

「夢」

 という発想を、SF小説として考えるのか、それを考えると、

「夢というのは、曖昧なものであり、ジャンルとして、いくつかに分かれることもあるだろう」

 というものであった。

 特に、曖昧という発想と、

「幅の広さ」

 とを考えると、その正反対性ということを考えると、

「幅が広がれば広がるほど、薄くなっていく」

 というものであった。

 そして、薄くなればなるほど、仲が透けて見えるようで、

「破ける」

 というところまではいくわけではないが、その発想が、自分の中で、いかに繋がれるかということを考えるのだ。

「いかにも、破けそうに見えているのだが、その分、薄く透けて見える。その正体がどこからくるものか?」

 ということを考えると、

「その正体が、曖昧であればあるほど、都合よく感じさせるものだ」

 といえるのではないだろうか>

 都合のいいという発想が、

「夢の共有」

 という発想に結びつける。

 だから、

「遊び」

 という言葉を聞いて、

「どこまでが、自分で考えたことなのだろうか?」

 と感じた。

 自分であれば、

「風俗に最近行ったとはいえ、最初から知らないことを思い浮かべることはできないとしても、それを夢のせいという感覚はなかったに違いない」

 と思うのだった。

 そして、自分が結局見たはずの夢の都合のよさは、

「俺が、見てみたい」

 と思ったことは、今までであれば、夢に出てきた気がすると思うからだ。

 だから、その後に、

「夢で見た」

 と感じたことで、自分から、風俗に行ってみようと思ったのではないだろうか。

 そうでなければ、

「自分から行ってみよう」

 ということを感じるほど、

「勇気が持てる性格ではない」

 と思ったからであった。

 そして、その、

「夢の共有」

 において、坂口が一番意識したことは、

「大迫が、俺の何か秘密を握っている」

 ということであった。

 坂口という男は、

「俺は二重人格だ」

 という意識があった。

 だから、

「二重人格だから、小説が書けるのだ」

 とも思ったのだが、それが、

「夢の共有」

 という発想の正体だと思っていた。

「人と、何かを共有するということは、普段の坂口であれば、絶対に嫌だった」

 といえる。

 しかし、これが、もう一人、自分の中に別の自分がいるとすれば、

「都合よく考える」

 ということで、

「もう一人の自分の暗躍」

 というものがあるとしても、それは無理もないといえないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「二重人格が、夢の共有を実現させ、都合よく思えるように、もう一人が暗躍する」

 といってもいいだろう。

「もう一人の自分というものが、いかに、その存在をアピールしてくるかというのは、夢の中でしか、確認できないというものだということになるだろう」

 と考えるのであった。

 さかぐちは、

「大迫に、自分の秘密の何かを知られている」

 と思っていた。

 その「内容は、正直わかtっていない。ただ、その内容は、決して悪いことだというわけではなかった。

 むしろ、

「知られているから、俺にとっては、まずいことではない」

 と言え、

「大迫が頭の中にとどめてくれていることを、俺が都合よく引き出すために、夢を使っているんだ」

 ということで、やっと、

「夢の共有の意味が分かってきた」

 という気がしてきた。

「そうだ、これを小説のネタにすればいいのではないか?」

 と、坂口は考えた。

 小説のネタというのは、結構、いろいろ転がっているのだが、

「ネタから、内容になって、オチに繋がっていく」

 というところまでは、

「そうは簡単にはいかない」

 と考えられるのだ。

 というのも、

「小説を考えていると、結局、最後は夢だった」

 という発想のものが結構あったりした。

 それを、

「夢落ち」

 と言われるようだ、

 それは、ある意味、

「小説の書き方のテクニックの一つ」

 と言われているのだが、

「それをいかにうまく読者を感心させるか?」

 ということが問題である。

 中には、

「伏線回収」

 であったり、その話が、

「当然のこととして、実は最初から書かれていた」

 ということでもあるだろう。

 または、

「辻褄合わせ」

 ということに使われる場合も多く。

「特に、夢のような話では、辻褄合わせが、その根幹にある」

 といえるだろう。

 辻褄を合わせるということは、その発想として考えられることは、

「デジャブ」

 というものであった。

 これは、夢に近い発想であり、ある意味、その範囲の曖昧さから、

「前世の記憶ではないか?」

 とまで言われるほどで、そこから、

「遺伝子」

 という発想が生まれ、夢というもので、意識のないものを、

「都合のいい解釈」

 ということで考えようとする発想は、

「前世の記憶」

 というものとして考えてもいいだろうという、発想に繋がっていくのだ。

 そうなってくると、

「デジャブや夢」

 というものは、その人だけに存在しているものではなく、

「その支配している時間を共有している人物が、同一の周波数のようなもので、結びついている」

 と考えると、そこにあるのは、

「個人」

 という発想ではなく。

「時間」

 という範囲を限ったものと考えると、その地理的範囲は、時間的範囲の曖昧さとは、

「関係のないもの」

 という発想になるのではないか?

 と考えるのであった。

 この発想が、

「夢の共有」

 という発想を、可能ならしめるということになり、

「曖昧さが、都合よく考えられる」

 ということになると、坂口は、

「自分が書こうと思っている小説が、湯水のごとくのアイデアを生んでくれるのではないか?」

 と感じるのであった。

 そうなってくると、

「ジャンルというのは、確かにSF小説なのだが、それだけではない、他のジャンルを凌駕しているように感じられ、これから書こうとする小説というものが、あずは、プロットを書くということに掛かっている」

 と思ったのだ。

 それまで、数本の小説を書いてきたが、プロットなるものは書いたことがなかった。

「きちっとしたものを書いてしまうと、早く結論にたどり着かないと、忘れてしまう」

 という発想に至ってしまうことで、結局最後には、支離滅裂となり、まったく何が言いたいのか分からないということになるのだ。

「そうだ、小説って、何かが言いたいから書くものではないのか?」

 と考えた。

 正直、小説を書くようになって、

「何かを言いたい」

 という発想になったことがなかったような気がした。

「何を言いたいのか?」

 ということを考えると、きっと、書いている内容が、カオスになってしまうことで、考え込んでしまい、

「それまで書こうと思った内容が、個々のイメージも浮かんでくるということがない」

 ということになってしまうのだ。

 今まで、小説を書いてきた中で、一つの共通点を思い出した。

「必ず、誰かが自分の考えを後押ししてくれているように思えた」

 ということであった。

 それが、最終的に、

「楽をしよう」

 という発想から、

「夢落ち」

 という形にされてしまうということを、自覚するのか、寸でのところで思いとどまることができるどころか、最初から思い浮かべていた小説の結末が、思い出されるのであった。

 つまり、小説の内容を書いている時というのは、

「夢落ち」

 をゴールのように考えていたから書けるということであったが、それが、結末近くまでくると、

「今度は、夢落ちしないようにするために、かつて思ったであろう発想が浮かんでくる」

 ということだが、

「それが、本当のことなのか?」

 と考えてしまうのは、

「夢落ち」

 という発想を、自分では、あまりいいことのように思っていないが、まるで、

「その気持ちを証明しているかのように感じられる」

 ということが、

「夢を都合よく導いて、それが、自分にとっての、SF小説だ」

 と感じるようになった。

 だから、今のところの、

「坂口の小説」

 というのは、

「最初から、夢落ちありき」

 だということになるのだろう。


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