第一章 ブラッドレッド人外学校

第1話 白血

 12月25日。今日は近年稀に見る大雪だった。いわゆるホワイトクリスマスというやつである。僕、吉野ヶ里大吉よしのがりだいきちは白い部屋にいた。ここは僕の部屋だ。嗅ぎ慣れた薬品の匂いがする。とそこで声がかけられる。


「吉野ヶ里さん、手術の準備ができましたので手術室に向かいましょう。親御さんも待っていますよ」

「もうそんな時間ですか」


 僕は眼鏡のブリッジを押し上げて病室の時計を確認する。部屋の隅には綺麗なサッカーボール。一度も蹴られたことのないかわいそうな友達だ。それから僕は処女雪のように白いベッドの上から足を投げ出したのちに立ち上がろうとした。そこですこしふらつく。


「だ、大丈夫ですか?」


 女性の看護師さんが慌てたように僕の身を案じて駆け寄る。僕はそれを手で制す。


「だいじょうぶです。僕は……だいじょうぶです」


 深呼吸してから僕は立ち上がる。看護師さんに連れられて気がつけば手術台の上に寝かされていた。眼鏡は外している。周りには心電図や血圧計などの医療機器が並んでいる。酸素マスクをつけられた。ライトがまぶしい。


「全身麻酔かけますね。数かぞえます。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ……」

 ねむい。さむい。その感覚を最後に僕の意識は一旦途切れた。

 そして次に僕の意識が覚醒したとき、周囲ではアラームがけたたましく鳴っていた。

花血川はなちかわ先生、血圧が著しく低下しています!」

「輸血は?」

「もう予備の輸血パックもありません!」

「他の病院から取り寄せてる分はどうなってん! A.S.A.P!」

「今こちらに向かっていますが、大雪による渋滞の影響でまだ時間がかかります! ドクターヘリも飛べません!」

「……ほんまか」


 静まり返る手術室にピッピッと心電図の無機質な音だけが響き渡る。僕の心臓はまだ動いている。僕の顔をのぞき込む花血川医師。通称、赤鼻あかはな先生の手術衣やゴム手袋、マスクには真っ赤な鮮血がべったりと張り付いていた。皮肉にも見た目はほとんどサンタクロースだった。しかし、気分はメリークリスマスというよりはメリークルシミマスだ。いや、苦しみすらない。


 僕はもう死ぬんだ。


 子供の頃からずっと病院暮らしで恋人いない暦=年齢。同室で遊んでいた子供たちは次から次へといなくなり、僕だけが白い大部屋に取り残された。時が止まったような白い巨塔。僕は籠の鳥だ。そして籠の中が終の住処となる。


 いったい。

 僕は何のために生まれてきたのだろう?


「バイタル低下! 心停止!」


 ツゥーツゥーと電話が切れるように心電図の波形が凪となる。虚ろな瞳で僕は手術台のまばゆい8個の無影灯を見つめる。まるで死神の目だ。すると今度は麻酔も関係なく意識が遠のいていく。血が足りていないのだろう。心臓の中が空っぽだ。血液が一滴もないのかもしれない。


 血が欲しい。血が欲しい。血が欲しい。命が欲しい。命が惜しい。命が狂おしい。

 もっと生きたかった。

 もっと生きられたら……生きられたなら、僕は……何者かになれたのだろうか?


 大吉という縁起のいい名前なのにツイてない人生だった。運がない。不幸だ。不公平だ。なんで僕がこんな目に遭わなければならないのだろう。願わくば、もし生まれ変われるとしたら好きなことをなんでもやってやるのになぁ。友達100人作って、恋人はひとりでいい。

 瀕死の刹那、僕の身体の中の何かが弾けた。その次の瞬間、僕の血まみれの体躯を照らす無影灯がバリーン! と、一斉に割れた。


「キャッ!」


 オペ看護師さんが悲鳴を上げて後ずさる。


「なんや?」


 真っ暗な手術台で花血川先生は目を細めている。

 僕は霞ゆく意識のなか割れた無影灯の破片がスローモーションに見えた。ガラスの破片は回転しながら僕の眼球に真っ逆さまに落ちてくる。ついには瞳孔に突き刺さろうかといったところで時が止まった。


 そのとき、僕は死んだ。死因は失血性のショック死だろう。

 幸か不幸か。

 そんなこと神は知ってか知らずか。

 自分が生まれた病院で僕は息を引き取った。


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