猫日記

じょー

猫日記

 「もう起きなさい。遅刻しても知らないよ。」

今日も重い体を起こし、急いで朝の支度をし、何も言わずに家を出た。空はどよめき、黒い雲に覆われている。私は月宮星奈。いたって普通の高校二年生だ。ただ、ちょっぴり親とはうまくいっていない。

 「せーな!おはよっ。」

登校中に突然肩を叩かれ振り向くと、そこには結衣がいた。彼女は渡良瀬結衣。私と同じ高校に通い、小さいころからの幼馴染だ。もうかれこれ十年くらいは一緒にいると思う。

「もう朝からやめてよ。びっくりするじゃん。」

「へへへ。でもさ、元気に明るい方が人生楽しいじゃん!」

彼女はいつもこうだ。でも、彼女に会うとすごく安心する。

 つまらない授業を聞き流し、惰性のままに過ごしていると、いつの間にか授業は終わり、放課後も適当に時間をつぶした。そして、一人、薄暗い帰り道を歩く。家に帰りたくない。なんで帰らなければいけないんだろう。どうせ家に帰ったって、親にガミガミ言われるだけなのに。もう、家に――

 そんなことを考えているうちに、もう家の前についてしまった。ドアノブを掴む。心なしかいつもより重いような気がする。

「ただいま。」

自分にしか聞こえないほど小さな声でつぶやく。

「ただいまくらいはっきり言いなさいよ。そういえば朝も何も言わずに出て行ったよね。」

「もうなんでもいいじゃん。」

「なんでもよくなんかないでしょ。大体いつも言葉遣いは悪いし態度も悪い。もっと周りを見て生活しなさい。」

始まった。いつもこうだ。もうめんどくさい。いちいちうるさい。まずまずお母さん以外にはこんな態度じゃないし。不満ばかりが出てくる。そう思った私は、

「んー。」

ただそう言い放って自分の部屋に入った。持っていた荷物を乱雑に放り投げ、ベッドに座った。ふと、窓から外を見る。そこには、暗闇の中空を飛ぶ、カラスのようなものが見えた。私もあんな風に何にも縛られず過ごしたい。

「夜中になったら、外に出てみようかな。」

本当に小さな、ただたった一つの気まぐれだった。

 その夜私は、本当に家を出た。息を潜めて、親にばれないようこっそりと。そして少し歩いた時、突然目眩がした。それからのことはよく覚えていない。

 それから目が覚めたのは翌朝の事だった。日はすっかり昇り、辺りは明るい。それにしてもなんだか地面が近い。しかも周りがいつもよりぼやけて見える。というか何で私四つん這いなんだ。でも次の瞬間、自分の手を見て気づいた。ふわふわの小さな黒い手、手の平にはもちもちの肉球。そう、私は猫になっていたらしい。でも、これで自由……学校や家にも行かなくていいんだ。

 猫になった私は、とりあえず散歩してみることにした。普段と何ら変わりない街並み。行きつけのカフェ、憧れのレストラン、いつものスーパー。でも、視点がずっと低いからとっても新鮮に感じる。なんだか、すごく楽しい。そんなことを考えているのも束の間、背後から突然大きな高い声がした。

「ねこ!ふわふわ!」

小さな子供が走ってくる。私はそれに驚き、つかまりたくない一心で、迫り来る子供から逃げた。しかしその途中で、後ろからのバタバタと走る音が無くなった。立ち止まって振り返ると、さっきまで追いかけていた子供がぺたんと座り込んでいる。どうやら転んでしまったらしい。私はしょうがなく近寄り、心配し、声をかけるような素振りを見せた。もっとも、伝わることはないのだが。私が近寄ると子供は嘘のように泣き止み、私を撫でた。その手はとても小さかったが、とても優しく暖かかった。その暖かさにしんみりしていると、子供の親が来て、子供を引き取って行った。「ありがとうございました」

別れ際に放たれた子供の一言がとても可愛らしかった。

 それにしても、なんだか眠い。さっきまで眠っていたはずなのに。そう思った私は、近くにあったエアコンの室外機の上でお昼寝をする事にした。家の人には申し訳ないが、可愛い猫ちゃんに使って貰えるんだ。我慢してもらおう。

 「ウーッ」

その低く鈍い音に、私は起こされた。普段だったらこんな音で起きるのは有り得ないのに。そして目を開くと、そこには一匹の猫がいた。体は茶色の毛で覆われていて、大きさは私の二、三倍ほど、額に大きな傷がある。その目を見て、私は悟った。これはまずい、狩られる。彼女(彼?)の目には殺意がみなぎっていた。おそらくアレがいわゆるボス猫と言うやつで、私はそのナワバリにでも入ってしまったのだろう。私は走った。走って走ってとにかく走った。しかし、相手は普段から走り慣れている野良猫。猫になったばかりの私では到底敵わない。一生懸命走る私に対して、どんどん縮まっていく差。このままではまずい。そう思ったとき、物が高く積まれているゴミ箱ガ私の目に入った。これを倒せば……

 それから数日が経った。あの日から、私は結局追いつかれ、深い傷を負い、少し疲れていた。また、それと同時に、どうして、なぜあの日に私が猫になってしまったのか。そして、どうすれば人に戻れるのか、について考えてみた。別に私は、特別猫が好きな訳でもないし、特別猫と触れる機会があった、という訳でもない。考えても全く分からない。でも、私が突然いなくなって親は心配しているのかな。いや、親のことなんて知らない。そんな風に、野良猫に追いかけられては逃げ、考えては何も分からず、と何とか生活し、孤独に対する寂しさを感じつつも、猫になってから十日ほどが経過した。

 その日、もうすっかり日が落ちた後、私は人気の少ない公園で丸まって寝ていた。その最中、何か不思議な気配を感じ、目を覚ましたが、周りを見渡しても何も見当たらない。私はふと、空を見た。今日は満月らしい。普段は下ばかり見ているせいで、いつもと同じはずの星空が、光り輝く月がとても綺麗に見える。

「ねーこちゃん!」

「ウニャ!」

「へへ、猫がびっくりしてるのかわいいな。」

いきなり私の後ろから声がして、情けない声を出してしまった。しかし何故だろう。私はその声を聞いて、突如泣き出しそうになってしまった。そして私は即座に後ろを見て、声の主を確認した。いたのは、結衣だった。

「もうほんとに猫かわいい!もふもふ!ぎゅーってしたい!」

「ニャニャニャ!ニャ!ニャー!(びっくりしちゃうじゃん!しかももう夜なのにテンション高いよ!)」

猫に対してもこんなにテンションが高いのかと半ば呆れつつも、これ以上被害者、いや被害猫?を増やさないように精一杯の声を上げた。

「へへ。あんまいじったから怒っちゃったのかな。ごめんね。でもこの感じといい反応といい、なんか――」

少し寂しそうなその言葉を聞いた瞬間、少し胸がどきっとした。もしかしたら私は、結衣のことも悲しませてしまったのだろうか。

「撫でても、いい?」

そう聞かれた私は、どうしてだろうか、

「ニャ!」

と、強く短い言葉を言い放ってしまった。

「あっ、そうだよね。ごめんね、寝てたのに邪魔して。」

結衣はそれだけ言ってどこかへ行ってしまった。

「ニャ、ニャー!」

必死に呼び止め、謝ろうとしたが、無駄だった。やってしまった。友達にもこんな態度をとってしまうなんて。早く人に戻らないと。

 それから約一週間後、私は苦しんでいた。お腹が、空いた……それも、結衣と会ってから、ろくに食べ物も探さずに色々思い悩んでいたせいで、ほとんど何も食べることができていないのだ。そこで私は、最後の力を振り絞り、一度食べ物を探すため、街を歩くことにした。この低い視点にももう慣れたが、慣れてしまえば、それはいつもと同じつまらない景色となってしまった。そんな、輝きを失った私の目に、小さな鮮魚店が映った。ここから魚を盗んでしまおう。でもそれは、すんでのところで思いとどまることができた。脳裏に結衣が浮かんだのだ。ここで人の心まで失ってどうする。

 私は路地に入り、ゴミを漁った。そして、どうにか見つけた小さな魚の切れ端を大切に食べていた。その瞬間である。突然倒れるはずのないゴミ箱が倒れて来た。私は間一髪で避け、ゴミ箱があった方を見ると、猫がいた。その猫は、大きく茶色い体で、何より額に傷がある。つまりこいつは、私を最初に襲った因縁の相手だ。私は、すぐに逃げようとするから自分の足を止めた。それから必死に立ち向かった。助走をつけて体をぶつける。何回も。だがやはり相手は格上、本物には敵わなかった。

「すとーっぷ!けんかはだめだよ!」

突然声がしたその瞬間、私は走ってその場から逃げ出していた。

 もう猫になってからどれくらいだっただろう、私は暗い道を一人歩いていた。空にはもう、私を照らしてくれる月も無い。すると、いきなり目眩がした。あの日と同じ感覚だ。もしかしたら人に戻れるのかな。

 「え!うそ、星奈なの?星奈!起きて!」

目を覚ますと、目の前にはお母さんがいた。そして、起きた私を見て、抱きついてきた。

「そんなに抱きつかないでよ。でも、いつも家に居させてくれてありがとう。あと、ちょっと結衣のところに行ってくる!」

とにかく走った。疲弊しきっていたことなど忘れて。

「結衣!」

「星奈!?何でそんなに走ってきたの?」

「少し、言いたいことが、あって。」

「何?」

「本当にありがとう!いつも結衣に助けられてるんだって安心した!大好き!」

「そ、そう?」

結衣は笑いながら、少し困惑した表情で言った。そして結衣が続けて、

「てかさ?最近夜中に猫見かけたんだけどさ、それがなんかすごい星奈みたいで――

 それから少し経った後、私は猫について調べてみた。するとどうやら、猫というのはとても自由な生き物で、特に黒猫は、新月を思わせる生き物であったらしい。もしかすると、私が自由を求めていたから猫になったのかもしれない。だが今の私は、いつもと何ら変わらない日常があるだけでとても幸せで、とても安心する。

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