達磨

海崎しのぎ

達磨

落ちた首と目が合った。



男は人形を彫って生計を立てていた。祖父から譲り受けた身に余る程の立派な家で一人、引き篭もって人形を彫っては天気の良い日に街まで売りに降りて行く。その繰り返しで生きていた。男の人形作りは祖父の代から受け継がれているものである。祖父は着物の色付けが上手かった。そして、その後を継いだ父も祖父と同じく腕の良い人形師として持て囃されていた。男はそんな二人の人形師の背を見て育ち、周りから男も人形師になるのだと期待された。男もそのつもりだった。

人形作りを教わり出したのは物心ついてまもなくだった。別々に作った部品を組み上げて色を付けた後の、最後に両手足を取り付けるのが何よりも好きだった。滑らかな着物の袖口から真っ白の柔らかい手が覗く。この瞬間、男は言い様の無い高揚感に包まれるのであった。男は時間の許す限り彫り刀を握り、祖父の真似をし、父の真似をし、独り立ちした今では自身の作る人形に強い愛着を持って、丹精の篭った一品が良い人に買っていかれる事をいつも心内で願っていた。いつか先代達のように自分の人形が愛される事を願っていた。忙しい日々に追われながら彫り刀を握って眠る、先代達と同じ顔をして見たかった。しかし先代達が認められ、活躍し始めた年を超えても未だ男が花開く気配はない。最善を尽くして日々人形を彫っているが、男が大成出来ない理由は先代達との作風の違いにあった。豪華で優美な居住まいを良しとする先代達に対し、男は飾り立てない美しさの中に気品と価値を求めた。先代達の人形に慣れ親しんできた者たちは多く、何処に行っても男は先代の人形を求められる。それを跳ね返せる程の技術や価値を、まだ男は持っていなかった。

男の作る人形は質素であった。柄が激しく主張しない着物に静かな佇まいの控え目な姿は品があって美しい。そして冷たい気品の中に時折人間味を感じる温かさがある、そういう人形を作りたい。男は常にそう考えていた。人に整えられた人に限りなく近い人形は、きっと魂が宿るのだ。それはさぞ美しい事だろう。男はいつも夢見ては、何処か物足りない自身の人形を見て肩を落とした。着物の質の良さと、人形の手の白いのに載せる温もりと肉感、そして人形の背筋に通る凛としたしなやかさを、男は作る度に模索し、再現出来た気になって満足し、やはり理想との相違を見つけて消沈するのであった。

飾り気のない男の人形は特に両手の丁寧な作り込みが好まれ、街に降りれば数日の生活はどうにか出来るくらいの数は売れていた。だからまずはその街に売りに行くのが男のいつもの道順であったが、この日はどうしてか街の先で栄える花街へ興味が向いた。

最近の男は人形作りの手が止まることが多く、その上納得のいくものが中々作れずにいた。何度作っても似通った顔の人形ばかり出来上がる日々に悩んでいた男にとって、花街の艶やかな騒々しさは魅力的に見えたのである。花街には先代達の作った豪華で優美な人形を、そのまま人間にしたような者も大勢いる。実際に目にする事で受け入れられなかった先代達の美的感性を多少理解できるのではないかと思った。新しい刺激と育った感性が人形作りを助けてくれる事を期待した。

しかし、花街は男の悩みを解決できる場所では無かった。花街で飛び交う欲と夢は、そこで生きる者達の人間味を生々しく主張した。男は人間に宿る魂の所在を見た気がした。男が人形作りに於いてどうしても譲れず、けれど表現出来ずに追い求め続けていた美しさと温かさが確かに存在していた。

男は人形を売り切らないまま帰宅した。普段であれば道の端に人形を並べて日がな一日往来をぼんやりと眺めたり道ゆく客から注文を取ったりして人形が居なくなるまで自由に過ごしていたのだが、この時ばかりは一日と居座れずに戻ってしまった。

帰る折、売れ残った籠の中の人形を見て男は酷く落胆した。活気溢れる花街と、そこで生きる人間達の姿が脳裏に蘇っては自作の人形を虚しく見せた。

籠に転がる全てが無価値な抜け殻だった。ただ形の整っただけの骸だった。

男は翌日から花街に通うようになった。花街の女の気品と、男の豪胆と、彼らが持つ瑞々しい活力の、その全てを人形に落とし込もうと躍起になった。その為には先代の作風を真似なければならなかった。今までの人形から一転、華々しく装飾を施された人形はよく売れた。注文の声も増え、忙しくも充実した日々を送るようになった。が、先代達と同じ顔は出来なかった。売れているのは自分の人形ではなく、先代達の人形である。こうなる事は分かっていたが、強い屈辱が決めた覚悟を嘲るように凌駕した。それに、どんなに花街のように飾り立ててもまだ人形は抜け殻だった。どこかの家にこの抜け殻が飾られている事を思うと恐ろしく気味が悪い。そしてそれを自覚しながら売っている自分も悍しかった。

いっそ辞めてしまいたかった。下らない矜恃が邪魔をした。それに、人形彫りは男の全てだった。何度彫り刀を捨てただろうか。それを何度拾っただろうか。諦める理由が欲しかった。理想を追い続けるこの心を、ぽっきり折ってしまう勇気が欲しかった。

花街を無意味に歩く日が増えた。人の行く姿を眺め、適当な店で蕎麦を食って一日を終える。家に帰ってもやはり制作する気が起きなかったので、一刻、一刻と花街に長居するようになり、とうとう夜まで帰らないようになった。家に無造作に置いてある、無理やり体を動かして作った装飾品達を見るのも嫌だった。男は自分の人形に魂を込めたかったのに、客はそれを許さない。日に日に増えて行く着飾った人形に吐き気がした。男の作る、装飾に頼らない静かな人形には価値もなければ魂も宿らない。嫌になる程突き付けられた現実に、男は納得できなかった。例え絵空事であっても理想を追う事を辞められなかった。人形師も辞められなかった。ならば彫り刀を握るしかない。分かっているのに握る手の震えは止まらなかった。

男が最初に夜鷹を買ったのは、そんな日が続いて暫く経った頃であった。

夜鷹は川の音が心地良く聞こえる場所で懸命に客引きをしていた。たまたま側を通った男も声をかけられ、自失気味だった男は何も考えず文句の通りに一夜買った。その夜鷹は男より一回りも若く見えた。幼さの強く残る少女の顔が月の下で青白く照らされる。あどけない笑みを浮かべる顔の、いかにも不健康そうなのが愛らしかった。飾り立てていない、質素だけれど所作の随所に品がある。豪華さも優美さも無いが、夜鷹は瑞々しく生きていた。男の理想が現実味を帯びた。夜鷹のような人形をずっと目指していたのだと、漸く明確に歩む先を認識した。

人形が売れる度に夜鷹を買った。金を作る為に彫り刀を握った。相変わらず人形に対する気味の悪い感覚は消えなかったが、夜鷹を想う間だけは些事に出来た。

限られた一夜の中で、男はずっと人形の話をした。今日はどんな人形を作ったとか、何が誰に売れただとか、男の独りよがりに語る様を夜鷹は毎夜律儀に聞いては相槌を返す。夜鷹は話を聞くのが上手かった。話すつもりのなかった悩みや理想まで口にしてしまった。きっと夜鷹には何も伝わってはいなかったが、男は夜鷹が熱心に聞いてくれるだけで満足であった。

赤裸々に語った後の思考というものは嫌に鮮明に回るもので、男は夜鷹を買った翌日は比較的良く人形が彫れた。抜け殻の中に僅かに魂をねじ込んだような温かみを感じられる。男は自身の成長に喜び勇んだが、二三日もすればその温かみは失われ、何をどうしたものか、いくら彫っても拙い抜け殻しか作れなかった。あの日夜鷹を見て感じた静かな美しさも気品も、毎回満足に反映出来ぬまま技術は衰えていった。

男は感覚を取り戻す為に夜鷹を買った。話をする中で己が何を感じているのかを模索した。何度買っても一過性の成長しか得られず、躍起になって夜鷹を買い続ける内にとうとう金が底をついてしまった。身請けをしてずっと手元に置いたまま、話をしながらその場限りの技術をずっと振るっていたかった。しかし男には明日を生きる金も無い。せめてもの慰めとして、男は夜鷹そのものを彫る事にした。買えない夜は人形の夜鷹を聞き相手にして技術の衰えを補うつもりであった。思い立ってすぐに男は制作に取り掛かった。肉付きの悪い頬に華奢な肩、大きな目は常にはっきり開かれていて、真っ直ぐ通った鼻筋と引き結んで笑う口元が少女から女性への過渡期の不安定な美しさを醸し出している。男はそれを忠実に再現しようとした。俯きがちな顔の、視線は若干上向きに、口は微かに開いて声を出せるように、僅かでも違和感を感じる度に花街へ出て夜鷹に会いに行った。買う金は無いので物陰から客と語り合う夜鷹を目に焼き付けて帰宅する。飯も食わず寝る間も惜しんで違和感を潰した。彫り刀を持つ手が痙攣する。刀を持ったまま気を失い、日が高くなった時分に目を覚ます事もあった。売り物の人形も一緒に作っていたので思うように進まなかったが、夜鷹を彫る時間だけは毎日絶対に欠かさなかった。一日でも離れたら日々少しずつ再現に近付いている夜鷹の雰囲気の調整具合が分からなくなりそうで怖かった。

彫っている間に人形が売れた金で、男は久しぶりに夜鷹を買った。夜鷹は男を歓迎し、男は夜鷹がまだ覚えていてくれたことに安堵した。

「どうして最近おいでにならなかったのです。お人形ですか。」

夜鷹は拗ねたように男に問うた。子供が親の気を引こうとしてる調子だった。

「理想の人形を作る為の人形を作っていた。」

男は川の流れるのを眺めながらそれだけ答えて口を閉じた。まだ完成には程遠い人形を思うと夜鷹の顔を見られなかった。

「お人形を作る為のお人形ですか。それは、一体何がどう特別なの。」

自分の方を見ない男の腕に縋って、夜鷹も同じように川を覗く。見飽きた景色を見る夜鷹のつまらなそうな横顔を見て、男は頭を撫でてやった。

買い始めたばかりの頃の夜鷹は、男の理想をあまり理解しなかった。人形の白い手の本物らしいと思う感覚も、人形に魂を宿したいと望む思いも、夜鷹には意味が分からなかった。ただの置物が魂を宿したら人間になるのか、そうしたらどうなるのか、最初はそんなことばかり聞いていた。その夜鷹が久し振りの逢瀬の中で、男の感性を受け入れながら男の行動に興味を持つような事を言ったのが、男は少し嬉しくなった。

「俺が、心の底から欲しいと思いながら作っている。売るんじゃなくて、俺の手元に置く為の。」

「まぁ、貴方様はあんなに楽しそうにお人形を作ったり、苦しそうにお人形を作ったりしているのに、御自身の分のお人形は持っていらっしゃらなかったの?」

夜鷹は不思議そうに笑った。

「売り物では無い人形を持っていない訳ではない。出来の良い習作などは捨てずに置いてある。だが、今作っているものはもっと違う、特別なものだ。」

家に置かれている習作達の顔を思い描く。それらはただ男の枯渇している自尊心を満たし創作意欲を掻き立てる為だけに置かれていた。思い入れは強いが、大量に作っていた中で偶然生まれた産物も多く居た。

「もし、あの人形を納得のいく出来に作る事が叶ったら、俺の追い求めたものが手に入る筈なんだ。」

低く、唸るような声が出た。失敗は許されない事と、成功の先に確約された望みがある事を自分に言い聞かせている声音だった。

「それは、御魂の宿ったお人形の事ですか。まるで人のような温もりを持った。」

恐る恐る夜鷹が男に声を投げる。男の声に気圧されたらしい。

「私にはまだ分かりません。貴方様がお人形に抱く感性は、ほんのちょっとだけれど理解はしましたわ。けれど、それって本当に、本当にそんなに無理をして顔のお色を悪くしてまで大事な事なの。魂の宿った温かい人形というものがどんなに美しいのか、私、見たことがないけれど、人形って、品のあるのが正しいの?人に近いだけが価値になるの?」

縋ったままの男の腕に額を押しつけ、夜鷹は人目も気にせず涙を流した。

「少なくとも、俺の人形は皆、それだけが正しく、それだけが価値だ。魂の感じられない人形など器が良くともただ虚しいだけの抜け殻だ。それでも良いという者もいるだろうが、俺はそういう者ではない。」

震える夜鷹の肩を抱きながら男は懸命にそう告げる。日頃から親しくする友人の一人も居ない故の下手な喋りを男は今ほど恨んだ事はない。

「私は心配しているのです。貴方様が体を壊すんじゃア無いかって。そればっかりが心配なんです。」



完成した木彫りの夜鷹は今にも喋り出しそうな出来上がりになった。夜鷹をあやしながら共寝してから数日後の事であった。素体を作り、柄を彫り込んで色を付け、最後に手足を嵌める瞬間の興奮を、男は一生忘れないだろう。両手の平に乗る程度の大きさだが、確かに己の手の上にあの夜鷹が座っている。小さい体を猫背がちに丸め、伏せられた睫毛の間から伺うようにこちらを見上げる視線は柔らかい。美しい人形だった。掌から夜鷹の肉の温かさを感じた。魂の宿った人形だった。

男は用意していた座布団の上に人形を座らせた。安い着物のほつれた袖口から白く滑らかな手に、骨張った人差し指をそっと添える。連日彫り刀を握り続けて皮が剥けている指を見て、彼女の美しい手に触れさせたのが急に恥ずかしくなった。

夜鷹の出来上がりと共に、男は自身が求める美しい人形への手立ても知った。男に必要だったのは夜鷹との対話や自己の感覚の分析などではなかったのだ。時間と手間をかけて語り相手として作った夜鷹はその役目を果たす必要が無くなったが、男は理想実現の糧となったこの夜鷹を部屋に飾っておくことにした。夜鷹は日に日に愛しく、美しく男の目に映る。魂が宿っているから成長しているのだと思った。漸く叶った理想に男は歓喜した。体はとうに限界を超え、今にも意識を手放してしまいそうだったが、早く次の人形を彫りたくて仕方がなかった。

男は夜鷹を作り上げた日を境に、花街に降りて人形の元となる人間を探すようになった。幾つか目についた人間の、良いと思った各部分を適度に落とし込んで人形を彫る。以前よりも骨格や肉付きに現れる人間らしさを意識するようになった。

男の人形は安定して理想を映すようになった。そして、自らの手で彫った人形に抜け殻を視ることは無くなった。

人選びを始めて最初に選んだのは花街の中でも大きな遊郭の中流遊女だった。ほっそりとした色気のある大人の女性の顔立ちで、何よりも立ち姿が綺麗だった。彼女を素体にして別の遊女から装束や結った髪の形を持ってきて一つの人形を作り上げた。複数の要素をより合わせた人形故に夜鷹の出来には多少劣るものの、音なき声で歌を歌い、三味線を弾き出しそうな人形は作った次の日に客に買われていった。次に作ったものも、その次に作ったものも、一つ残らず客達の家に迎えられた。

男は試しに人形の装飾を減らしてみた。簪を一本ずつ抜いた。その代わりに着物の質がよく見えるように手を入れた。客が買う人形と、男が作りたい人形の間を見極めて、出来る限り作風を戻した。男が自身の作風で作った人形はまだ売れ残る事が多いが、以前のように先代達の作風をそのまま踏襲しなくとも生活が立ち行くようになった。

男はまた頻繁に夜鷹を買うようになった。長年の悩みが解消されすっきりした顔で通う男を夜鷹も快く迎え入れた。男は今度こそ身請けをしようと思ったが、一人分の生活費と仕事に使う金を差し引いたら身請けの分も、その後の生活を保証出来るだけ分も残らなかったから、足繁く通い共寝をするだけに留まった。

夜鷹と共に過ごす時間の中で人形作りに思考を占領されることが無くなった代わりに、男は家に置いている夜鷹の人形のことを気にかけるようになった。自分は夜な夜な夜鷹の元へ行き静かな川の流れに耳を傾けながら他愛ない話に花を咲かせ、あの日の夜から夜鷹に食事や睡眠の心配をされながら互いの体温を共有している。が、あの夜鷹はどうだろう。こうして暖かな多幸感に浸かっている間、彼女は独り暗い部屋で冷たい座布団に座りながら、質の悪い着物の襟を引き寄せながら何を見ているのだろうか。

共寝する度に暗い部屋で俯く木彫りの夜鷹の顔が頭をちらつくものだから、男は彼女を憐れむようになった。家を出る前に必ず声を掛け、布の切れ端で拙いながら羽織りものを作って着せてやった。少しでも寒くないようにできるだけの配慮をして家を出た。

自分に夜鷹という話し相手がいるように、彼女にも共に過ごす人形が必要だった。そして、その相手として自分自身を彫る事を決めた。男が諦めざるを得なかった、夜鷹の身請けという願望の簡易的な実現でもあった。

大きな姿見に自分を移しながら人形を彫る。痩せて落ち窪んだ頬も、骨と皮しかない癖に嫌に角ばって威圧感のある図体も、到底人形には向かない不細工さであったがそれでも男は我慢して彫り続けた。かつては自分の話し相手として作られた彼女に、今度は自分を話し相手として彫っている。男はそれがなんだか随分と滑稽に見えた。馬鹿馬鹿しく見えた。そんな理由で美しくない人形を彫っている。そう何度も認識しては、制作を止めようとも考えた。が、座布団の上に静かに独り佇んでいる夜鷹を見る度に男は自然と彫り刀を手に取っていた。

夜鷹を作った時のおよそ半分の時間で男の人形は完成した。否、最後の両手の取り付けを一応終えただけで、男の中ではまだ未完だった。何度もやり直した。完成を目前に一から彫り直したこともあった。けれど、どうにも納得のいく人形に仕上がらない。完璧な夜鷹の隣で孤独を癒す人形に、男は一切の妥協も許せなかった。

組み上がった人形はきちんと温もりを感じられた。けれど違う。似ていない。温かいだけの抜け殻である。男は人形を作るにあたってすっかり自分の顔の微細な特徴を記憶してしまった。作り上げた人形は、鏡に映した顔とも男の記憶にある顔ともぴたりと一致する。だというのに、男は満足出来なかった。整い過ぎているのだ。この人形を男を写したものだとするならば、その佇まい理想が過ぎる。己の理想が反映され美しく整えられた人形が、さも真の写しみた顔で夜鷹の隣に鎮座している。その虚栄は邪魔だった。

装飾の一切ない人形から邪魔な虚栄を削らなくてはならない。

思案した末、叩き鑿と金槌を手に男は足を叩き割った。

男は売りに出る以外は殆ど家に篭っており、出る先も得意客のいる街と、その向こうの花街だけである。先代のように至る所を練り歩いて流行を追う努力もしなければ気分転換に庭先に出ることすら全く無い。男を写すというならば、無いも同然の足など寧ろ生えている方が違和感があった。

足を失った人形は、いくらか現実に近付いた。

男は腕を叩き割る。

男は人形の彫り師ではあるが、祖父や父のように大成するどころか良い年になって漸く満足のいく人形を彫れるところまで辿り着いた。男の人形を生きているみたいだと言って買って行くものはいるが、それが人形を並べて道端で一人、誰にも見向きされずぼんやりしているのを哀れんだ人達が同情の元に買っているのを男はよく知っている。夜鷹に入れ込み価値だなんだと言っておきながらその実、男の人形に価値を見出して買う者はあまり居ないのである。男がまともに人形を彫れるようになってからはそれなりに売れるようになったが、男が自分の理想通りに彫ると途端に売れなくなる。客の望みを受け入れられないのであれば、人形師を辞めるべきだった。ならさっさと辞めれば良いものを、男は腕が生えている限り人形師を辞められないのだ。それだけが男の生であると執着しているからである。何にも目を向けず、ただそれだけに縋り、辞めたいと踠きながらきっと死ぬまで辞めないのだ。しかし理想と現実の間で苦しみ屈辱の中で人形を彫る男は人形師に向いていない。男を写すというならば、その人形は人形師ではいけなかった。

腕を失った人形は、もっと現実に近付いた。もう一息。

男は錐に持ち替えて目を潰す。

花街へ降りた男はその目で生きる人形達の華を見た。ずっと否定し続けた先代達の人形と同じ容姿をなぞり、そして男は大いに成長した。男は先代達が示した人形の在るべき姿を見、体験までしておきながら、確実に成長の糧にしておきながら、男の視線の先はいつも夢ばかりの絵空事が広がっていた。下らない理想しか見ない無意味な目。人形師にしがみ付く原因を担う愚かな目。男を写すというならば、必要無い、ではなく、存在してはいけないものであった。

こうして何もかも削ぎ落とされた人形は着実に男の写しになろうとしていた。

男はしばし手を止める。思いつく限りの無価値な部分を取り払って構成要素を削り、確かに近いものになってきてはいるがまだ自分に重ならない。何かがずれていた。男にはそれがどうしても分からなかった。

分からないならば、きっとそれが、最後の異物なのではないか。

男は徐に立ち上がる。手持ちの中で一番大きな彫り刀を持ってきて、静かに人形に向かい合った。

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達磨 海崎しのぎ @shinogi0sosaku

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