日陰に幻

チヌ

01

 陰間茶屋一階。

 畳の部屋。

 奥には文机、その上に帳簿。

 行灯には店名「如雨露」の文字。

 暴れている五助とそれをなだめる旦那。


旦那 頼むから、大人しくしててくれよ。

五助 嫌だ!こんな仕事するなんて聞いてねえ!離してくれ!

旦那 とはいえだ。お前さん、他に行く当てもないんだろう?

五助 大きなお世話だ!ここにいるくらいなら、あの屋敷の旦那に頭下げて、雇い直してもらった方がマシだ!

旦那 まあ、まあ。そんなに大声を出すなって。今、上にお客がいるんだ。

五助 何だと!

旦那 落ち着け。何もお前さんに任せようってんじゃねえんだ。客からすりゃ、お前さんはまだどこの誰とも知らねえ馬の骨だ。

五助 はあ?黙って聞いてりゃ… !

旦那 考えても見ろ。確かにお前さんは整った顔立ちだ。だが、それ以外はどうだ?女を抱いたことはあるか?

五助 馬鹿にすんな!

旦那 だったら話が早い。いいか?お前さんがこれから相手にするのは男だ。つまり、お前さんが女の側になるんだ。女を抱くように男といたところで、男が喜ぶわけがねえ。わかるか?お前さんも、抱いた女がまな板の魚じゃ嫌だろう?

五助 それは… そうかもしれねえけど。

旦那 わかれば良いんだ。で、お前さんには今からそっちを学んでもらう。

五助 待てよ!俺は、女が好きだ!

旦那 奇遇だな、俺もだ。

五助 はあ?お前、こんな店やっといて…!

旦那 こんな店やってても、女が好きだっていいだろ?なあ、五助。俺は何も、お前

さんに男を好きになれって言ってるわけじゃない。お前さんに言い寄ってくる男に、

お前さんの体をちょっと貸してやってくれって言ってんだ。わかるか?この違いが。

五助 … まあ。

旦那 仕事以外なら、お前さんが吉原に行こうが、行きずりの女と交わろうがどうでもいい。仕事だけだ。その間だけ、男に体を売ったって、減るもんじゃねえだろ?

五助 … 。

旦那 ここだけの話、儲かるぞ。あの屋敷でこき使われるよりずっとな。お前さん、早く金を稼いで故郷へ帰りたいんだろ?どうだ?ん?

五助 … いくら儲かるんだよ?

旦那 そいつは、自分の体で確かめな。

五助 … ちっ。


 百尋、入ってくる。


百尋 ただ今戻りました。

旦那 おお、丁度良かった。

百尋 … その子は?

五助 俺は… 。

旦那 新入りだ。百、悪いがこいつに一通り仕込んでくれ。

五助 はあ?待てよ、俺はまだやるなんて一言も… 。


 旦那、五助の顔を百尋に向ける。


旦那 どうだ?なかなかの上玉だろう?

百尋 確かに。

五助 離せよ!畜生!


 五助、抵抗する。

 百尋、構わず五助に近づき顔をまじまじと見たり触ったりする。

 五助、固まる。


百尋 … まあまあかな。元が良いから、仕込めば相当になると思いますけど。

旦那 だろ?俺の目は確かだったな。

百尋 ところで、旦那様?

旦那 何だ?

百尋 俺は今から仕事なわけですけど、それを知ってて俺に頼むんですか?

旦那 それは上手くやってくれ。

百尋 … わかりました。君、名前は?

五助 … 五助。

百尋 俺は百尋。よろしく。

五助 … よろしく。

旦那 じゃ、後は頼んだぞ。


 旦那、出て行く。


五助 あ、おい待て!話は終わってねえ!… クソッ。


 百尋、身支度をしながら五助と会話する。


百尋 あまり乗り気じゃないの?

五助 誰が進んでこんな仕事やるかよ。

百尋 ま、そうだよね。でも諦めな。あの蜘蛛に捕まったら逃げられないから。

五助 蜘蛛?

百尋 旦那のこと。女郎蜘蛛、知らない?

五助 それは知ってるけど。

百尋 ここの茶屋、如雨露って変な名前でしょ。あれ、旦那が女郎蜘蛛から名前を取ったんだ。

五助 へえ。だから蜘蛛か。確かに蜘蛛みてえな顔だしな。

百尋 あの人は商売も蜘蛛だよ。念入りに巣を張って全部絡め取るんだ。君も食われないように気をつけな。

五助 それを言うならお前だろ。細い体つきしやがって。女みてえ。

百尋 今から君もそうなるんだよ。さっきも言ったけど、俺は今から上で仕事だから、悪いけど最初は別の子から教えてもらって。

五助 別の子?

百尋 適任だと思うよ。あの二人の方が。

五助 どういう意味だ?


 二階から女性が二人降りてくる。


 藤城 百尋。いるならそう言ってくれないと。

 百尋 今来たところですよ、藤城さん。

 藤城 その子は?

 百尋 五助です。お二人にお願いがあるんですけど、彼にいろいろと教えてやってくれませんか?俺は今から仕事があるので。

 五助 は?

 藤城 わっちらに教えられることなんて… 。

小日向 いいじゃない、姉様。面白そう。

 藤城 小日向、遊女と陰間じゃ、違うのよ。

 百尋 大丈夫です。深いところは後で俺がやります。お二人には、序の口から。

 藤城 まぁ、そういうことなら。

 百尋 ありがとうございます。

 五助 え、あの… 。

小日向 百尋、あの人、今日は機嫌が悪いの。気をつけて。

 百尋 いつもだよ。ありがとう。


 百尋、二階へ行く。

 藤城、小日向、五助を挟んで座る。

 小日向、五助にべたべたする。


 五助 ちょ、あ、えぇ!?

小日向 姉様、この子、案外しっかりした体してる!

 藤城 小日向、おやめ。初めっからそれじゃ、怖がられるだろう?

小日向 あ、そっか。ごめんね。


 小日向、五助から手を離す。


小日向 でも、本当に良い体。私が抱かれたいくらい。

 藤城 小日向。わっちらはこの子を誑かしに来たんじゃないんだよ。

小日向 わかってますよ、姉様。この子を私たちみたいにしてあげるんですよね。

 藤城 五助って言ったかい?

 五助 あ、あぁ。

 藤城 そんなに怯えることはないよ。詳しいことは百尋が教えるだろうし、わっちらがやるのは、そうだね、お喋りでもしようか?

 五助 え… そんなんで良いのか?

 藤城 ふふ。拍子抜けしたかい?

 五助 いや、だって… 。

 藤城 言いたい事はわかるよ。でもね、あんたのとこに来るお客は、学のある人が多いんだ。その時、あんたが何も喋れないとなっちゃ、お客もがっかりするだろう?

 五助 でも、俺、学なんてねえし、今から身につけるったって… 。

 藤城 だから、上手くあしらうやり方を教えてやるんじゃないか。ねえ、小日向?

小日向 そうですよ。こちらが喋れないようなお話だったら、お客さんにたくさん喋ってもらえばいいんです。

 五助 へえ… ?

 藤城 曖昧な反応だね。まあ、ものは試しだ。あんた、何か喋ってみな。

 五助 何かって言われても… 。

 藤城 あるだろう?ここに来る前の話とか、生まれ故郷の話とか。

 五助 俺の話なんか聞いたって面白くねえだろ?

 藤城 面白いよ。

 五助 はあ?

小日向 お客さんは、私たちのことを知りたがるんです。だから、そういうお話をすると、とても喜ばれるんですよ。

 五助 そういうもんか?

 藤城 そういうもの。

小日向 まあ、私たちはなるべく話さないようにするんですけどね。

 五助 はあ?何で?

小日向 何でって… 。

 藤城 秘密があると、男はそれを知ろうと躍起になるんだよ。狙いはそれさ。

 五助 でも、俺には自分のことを話せって。

 藤城 そりゃそうさ。これはあんたの練習だから、わかりやすくそういう話を出してるってだけ。本当にお客と話すときは、違う話をしてやればいいさ。

 五助 ふうん。なるほどな。

 藤城 わかったらわっちらに教えておくれ。あんたのこと。

 五助 えーっと、俺は… 。


 五助たちが話している間に、部屋は暗くなる。

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