黄昏夢物語
チヌ
黄昏夢物語
子供の笑い声が聞こえる。
笑い声は徐々に消え、代わりに波の音が聞こえる。
舞台中央の階段は神社のもの。
左右に屋台がある。
階段で千代が寝ている。
ゆう、歌いながら出てくる。
ゆう 通りゃんせ、通りゃんせ、後ろの正面だあれ…かーごめ、かごめ、こーこはどーこの細道じゃ…通りゃんせ、通りゃんせ…。
ゆう、歌いながら歩き回る。
ゆう、千代を見つける。
ゆう 後ろの正面だあれ…。
ゆう、千代を揺さぶるが、起きない。
ゆう、どこかから鍋の蓋を二枚持ってきて鳴らす。
千代、それでも起きない。
ゆう えぇー…嘘でしょぉ…。
ゆう、諦めて千代の隣に座る。
ゆう お姉さーん、もしもーし。風邪ひいちゃうよー? …困っちゃったなぁ。
ゆう、立ち上がってどこかに行く。
千代、起きて辺りを見回す。
千代 …あれ。
ゆう、毛布を持って戻ってくる。
ゆう あ、起きた?
千代 誰?
ゆう じゃ、お布団はいらないね。
ゆう、戻ろうとする。
千代、ゆうを止める。
千代 ちょっ、ちょっと待って!
ゆう なあに?
千代 ここはどこ? あなたは、誰?
ゆう お姉さん、迷子?
千代 そう、みたい。
ゆう 気持ちよさそうに寝てたのに?
千代 そんなに?
ゆう 全然起きなかったよ。
千代 嘘でしょ。
ゆう 本当だよ。
千代 信じられない。
ゆう あれ、鳴らしたのに。
千代 …お鍋の蓋?
ゆう ガッシャーンって。耳元で。
千代 …嘘でしょ。
ゆう どうして嘘つくの?
千代 それも、そうだよね…。
ゆう じゃあボク、お布団戻してくるね。
ゆう、千代に止められる。
千代 待って待って待って! 待って!
ゆう なあに?
千代 質問に答えてほしいんだけど。
ゆう 質問?
千代 ここはどこなの?
ゆう お祭りだよ。
千代 お祭り?
ゆう お祭り、知らないの?
千代 知ってるけど、でも。
ゆう お祭りだよ。ほら。
千代、初めて屋台が見えたような反応。
夕刻。
賑やかな音が聞こえる。
ゆう ね?
千代 本当だ…だから、お面をつけてるの?
ゆう 今気づいたの?
千代 だって。
ゆう じゃあ、ボク行くね。
千代 待って、まだ待って。
ゆう なあに?
千代 どこに行くの?
ゆう お布団、返してくるんだよ。
千代 どこまで?
ゆう あっち。
千代 あっちって、どっち?
ゆう あっちは、あっち。
千代 ここから遠い?
ゆう すぐそこだよ。
千代 一人になりたくないんだけど。
ゆう 怖いの?
千代 違うよ。
ゆう そういうことなら、一緒にいてあげる。
千代 だから怖くないってば。
ゆう お姉さんが泣いたら困っちゃうからね。
ゆう、布団を置く。
千代 泣かないよ。
ゆう 本当に?
千代 本当に。
ゆう そうだ。リンゴ飴買ってあげようか?
千代 子供扱いしないで。
ゆう お姉さん、いくつなの?
千代 …十六歳。
ゆう まだ子供じゃん。
千代 もう大人よ。
ゆう そうかなあ?
千代 生意気だね、君は。
ゆう ボク?
千代 そうよ。
ゆう 名前で呼んでほしいな。
千代 だって知らないもの。
ゆう 知らなかったっけ?
千代 聞いてないよ。
ゆう そっか、そっか。知らないのか。
千代 …初めまして、だよね?
ゆう わからない? それとも、忘れちゃった?
千代 えっと…同じ小学校だった、とか?
ゆう そうだよ。
千代 ごめん、全然覚えてない。
ゆう そっか、しょうがないね。
千代 名前、教えてくれる?
ゆう ゆう。
千代 ゆう、ね。覚えた。
ゆう じゃあ、お姉さんの名前は?
千代 私は千代。
ゆう 千代?
千代 どうしたの?
ゆう ボクの妹と一緒の名前だ!
千代 本当?
ゆう 嘘だよ。
千代 え?
ゆう お姉さん、意外とピュアだね。
千代 からかわないでよ。
ゆう ごめんね。千代って良い名前だね。
千代 そう?
ゆう 長生き出来ますように、って意味でしょ? 千年続く代、って書くんだから。
千代 …あれ、名前の漢字、どうして知ってるの?
ゆう 違った?
千代 合ってるけど。
ゆう 良かった。ボク、これしか知らないんだよね。
千代 ひらがなかもしれないのに?
ゆう お姉さんは、ひらがなっていう感じじゃなかったから。
千代 何それ。
ゆう うーん、雰囲気?
千代 ゆうは?
ゆう 何?
千代 名前の漢字は?
ゆう 何だと思う?
千代 わからないから聞いてるんだけど。
ゆう 考えてみて。
千代 そんなこと言われたって。
ゆう たくさん言えば、一個くらい当たるって。
千代 でも、ゆうって読む漢字はいっぱいあるでしょ? 一文字だったら、優しい、の優とか、有力の有とか、夕方の夕とか、あ、あと幽霊の幽とか?
ゆう あ、正解。
千代 え? どれ?
ゆう 一番最後。幽霊の幽。
千代 そうなの? 珍しいね。
ゆう まあね。もし、幽霊の霊って名前の人がいたらちょうどいいかも。
千代 …そう、だね。
ゆう どうしたの?
千代 私のお兄ちゃん、漢字は違うけど、れいって名前だったから。
ゆう そうなの? どんな漢字?
千代 …ひらがなだったの。お兄ちゃんの名前。
ゆう 本当に?
千代 …どうして?
ゆう お姉さんのお兄さんも、ひらがなっていう感じはしないけどな。
千代 会ったことあるの? お兄ちゃんと。
ゆう 同じ小学校だったって、言ったよ。
千代 ありえない。だってお兄ちゃんは。
ゆう お兄さんは、何?
千代 私と八つ違うのに。
ゆう 運動会とか、学芸会とかには来てたでしょ?
千代 それだけで覚えてたの?
ゆう ダメ?
千代 ダメじゃないけど。
ゆう 記憶力はいいんだよ。
千代 どうして覚えてたの?
ゆう なんとなく。
千代 なんとなく?
ゆう 人数少ないと、家族まで覚えちゃうでしょ。
千代 少なくはなかったと思うけど。
ゆう 全校生徒で百人とちょっとは、少ないよ。
千代 百三十はいたよ!
ゆう 知ってる。でも、どんどん減って、今は確か、どのくらいだっけ?
千代 八十とちょっと、かな。
ゆう そうそう、そうだった。少子化だからね。特にこの辺りは。
千代 ゆうは、まだ小学生?
ゆう どうだと思う?
千代 またそれ?
ゆう すぐに教えたらつまんないでしょ。
千代 わかんないよ。
ゆう わかるよ。考えて。
千代 …考えたくないな。
ゆう なら、答えはお預けだね。
ゆう、布団を持つ。
千代 どこに行くの?
ゆう お布団、片付けなきゃ。
千代 また戻ってくる?
ゆう お姉さん、泣いちゃうの?
千代 泣かないよ。
ゆう じゃあ、一緒に行く?
千代 …いい。ここで待ってる。
ゆう わかった。すぐに戻ってくるね。
ゆう、いなくなる。
千代、屋台を見て回る。
千代 リンゴ飴、百円か…。
千代、いつもの癖で肩に提げているはずのカバンを探る。
千代 あれ、私のカバン…。
千代、カバンを探す。
なな、千代のカバンを持って出てくる。
なな お姉さんが落としたのは金のカバン?
千代 え?
なな それとも銀のカバン? それとも、このカバン?
千代 そのカバン!
なな お姉さん、正直だね。特別に返してあげる。
千代 ありがとう。
なな、千代にカバンを渡すふりをする。
なな やーめた!
千代 ちょっと!
なな ただ返すのはつまんない!
千代 困るよ、返して。
なな 返すよ。お姉さんが勝ったらね。
千代 何かするの?
なな かくれんぼ!
千代 かくれんぼ?
なな ななが鬼!
千代 え?
なな いくよ! いーち、にーい、さーん、
千代、慌てて隠れる場所を探す。
なな しーい、ごーお、ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅう! もういいかーい?
千代 ま、まーだだよ!
なな もういいかーい?
千代 もういいよ。
なな よし! お姉さんはどっこかなー。
なな、千代がいる場所に迷わず向かう。
なな みーつけた!
千代 見つかっちゃった。探すの、早いね。
なな みんなが手伝ってくれるからね!
千代 みんな?
なな みんな、みーんな、ななのお友達なの!
千代 ななちゃん、っていう名前なの?
なな ななはななだけど、ななだけじゃないの。みんなでななだから。
千代 どういうこと?
なな 次、お姉さんが鬼だよ! 目、つぶって! いーち、にーい。
千代 さーん、しーい、
なな、隠れる。
千代 ごーお、ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅう。もういいかい?
なな もういいよ!
千代、ななを探す。
ななが隠れた場所を探すが、いない。
千代 嘘でしょ…ななちゃん、どこ?
子供たちの笑い声が聞こえる。
千代 お願い、出てきて。私の負けでいいから。
笑い声が聞こえる。
なな こっちだよ!
千代、声の方向に行く。
ゆう、戻ってくる。
ゆう …お姉さん?
ゆうは千代を探しに行く。
屋台の周りにはがらくたが積み上がっている。
千代、走ってくる。
千代 ななちゃん? どこ?
なな、何も持たずに出てくる。
なな お姉さんが落としたのは金のカバン?
千代 ななちゃん!
なな それとも銀のカバン? それとも。
千代 私が落としたのは、普通のカバン。
なな 違うよ。
千代 何が違うの?
なな 全部、全部、違うよ。
千代 違わないよ。私のカバン、返して。
なな カバンだけじゃないでしょ。
千代 え?
なな もっと大事な、大事なものから、手、離したでしょ。
千代 何の話。
なな わかってるくせに知らんぷり。目があるのに見ようとしてない、耳があるのに聞こうとしてない。
千代 そんなことない!
なな 嘘つき! ずるいよ、ずるいよ! お姉さんは生きてるのに! せっかく目があるのに、せっかく耳もあるのに! 使わないなら代わってあげる。お姉さんの代わりに、ななたちがちゃんと使ってあげる。ねえ、いいでしょ? 代わってよ、代わってよ、代わってよ! 代わってくれないなら、一緒に行こう?
子供たちの笑い声が聞こえる。
なな、千代の首元に手をかけようとする。
ゆう、出てくる。
ゆう ダメだよ。
笑い声が消える。
ゆう そのお姉さんは、諦めてくれないかな。
なな 嫌。
ゆう そこをなんとか。
なな 嫌!
ゆう あ、リンゴ飴、買ってあげようか?
なな そんなのいらない!
ゆう 困っちゃったなぁ。
なな 邪魔しないで、ゆう。
ゆう なな。それじゃ、何も解決しないよ。
なな うるさい。
ゆう 寂しさがどんどん増えていくだけ。
なな うるさい。
ゆう お姉さんを連れて行っても、何も変わらないよ。
なな うるさい! そんなのわかってる!
ゆう ううん、わかってない。だって君たちはまだ子供だから。
なな ずっとだよ、ずっと! ずーっとこのまま、子供のまま! そんなの嫌だ、嫌だよ!
ゆう ボクたちだって、ずっとこのまま、子供のままだよ。
なな 嫌だ、嫌だよ…なんで、なんで…。
なな、泣き崩れる。
千代、慰める。
千代 ゆう。
ゆう なあに、お姉さん?
千代 これは、本当にお祭りなの?
ゆう お祭りだよ。
千代 何の為の?
ゆう 今日…全部がなくなったあの年の今日を、忘れないため。
千代 ゆうも、ななちゃんも、流されたの?
ゆう いろんなものと一緒にね。
千代 ななちゃんは、その。
ゆう 「なな」は一人の名前じゃない。小さいみんなが集まった「名無し」の「なな」。
千代 名前がないの?
ゆう あったけど、わからないくらい、小さかったから。
千代 それは、もしかして、ゆうも?
ゆう ななは女の子、ボクは男の子のみんな。正真正銘、幽霊の「ゆう」なんだ。お姉さん、大正解だね。
千代 私も、もしかしたら、ななちゃんと一緒になってたのかな。
ゆう そうなの?
千代 お兄ちゃんがいなかったら、今頃きっと。
ゆう そっか。お姉さん、助かって良かったね。
千代 …良くないよ。
ゆう え?
千代 良くないの! 私だけ助かったって、何も。
ゆう どういうこと?
千代 …私だけだったの。海が降ってきたあの日、あそこから逃げられたのは。
ゆう お兄さんは?
千代 …まだ、見つかってない。
地鳴りのような波の音、人々の悲鳴が聞こえる。
千代 あの日、学校が終わった私は一人で家にいました。その時、低く唸るような地鳴りに、家が壊れそうなほどの激しい揺れが起き、家の中のものが自我を持っているかのように動き回り始めました。「地震が起きたら、高台へ避難しましょう」避難訓練で教わったことが頭に浮かんでも、幼い私は怖くて、不安で、机の下から動くことができませんでした。
なな お兄ちゃん!
千代 兄は私を見つけると、すぐにおぶって高台へ走り出しました。荷物は何も持たず、とにかく急いで高いところへ。
なな お兄ちゃん、どこに行くの?
千代 私を高台に連れてくると、兄は「家へ戻る」と言いだしました。家に置いてきてしまった通帳や、貴重品を取ってくるというのです。二階建ての家、沿岸からも距離があるあの家までは、津波は来ない。兄はそう、自分に言い聞かせるように。
なな ダメだよ、行かないで!
千代 兄は、泣きながら駄々をこねる私の頭を優しく撫で、「すぐに戻ってくるから」と笑いました。
なな お兄ちゃん! お兄ちゃん!
千代 それが、兄の最期の言葉になりました。あの日、あの時、私が手を離したから、兄は。
波の音。
なな、がらくたで遊んでいる。
千代 お兄ちゃんの時間は、そこで止まってるの。
ゆう でも、お姉さんは違う。
千代 進みたくないの、ここから先には。
ゆう どうして?
千代 お兄ちゃんの時間を追い越しちゃうから。
ゆう お姉さんのせいじゃないよ。
千代 ありがとう。慰めてくれて。
ゆう 自分を責めないでよ。そうなってしまったのは、誰のせいでもないでしょ?
千代、ゆうから遠ざかりななに近づく。
千代 …ねえ、ななちゃん。
なな なあに?
千代 お願いがあるの。
なな お願い?
千代 ななちゃんにしか、頼めないこと。
なな いいよ! 何するの?
千代 私を、一緒に連れて行って。
ゆう お姉さん!
千代 ななちゃんだって、そうしたいんでしょ? 代わりたいんでしょ? お願い。
なな 嫌。
千代 …どうして? さっきまでは。
なな 今はもうダメ。泣いちゃうから。
千代 誰が?
なな ゆう。
千代 ゆう?
なな お姉さんは、お祭りが好きなんだよね。
千代 昔は好きだったけど。
なな 知ってるよ。頑張って、頑張って、嫌いになりたいんだよね。
千代 …そんなんじゃない。ただ、今は嫌いなだけ。
なな 嘘ばっかり。
千代 どうして嘘だって言い切れるの?
なな だって、ゆうがね。
ゆう なな。お口チャック。
なな ダメ?
ゆう ダメ。お姉さんが気づかないと。
なな だって。
千代 …そう。
なな、あやとりを見つけて遊び始める。
ゆう、紙を見つけて紙飛行機を折る。
千代、しばらく二人を眺めていたが、やがてゆうに近づく。
千代 ゆう。
ゆう なあに?
千代 何か、隠してるの?
ゆう ボクが隠してるのはこの顔だけだよ。
千代 そういうことじゃなくて。
ゆう どういうこと?
千代 誤魔化さないでよ。
ゆう 化かしは狐の得意技だから。
千代 ゆうは狐じゃなくて人間でしょ。
ゆう お面をつけてる間は、狐。
千代 だったらそれ、取ってよ。
ゆう そうしたら、ボクの呪われし闇の力的なやつがこう、なんとかなるからダメ。
千代 その設定、適当過ぎ。
ゆう 今考えたから。
千代 それで? 本当は?
ゆう あれ、誤魔化せてなかった?
千代 それで誤魔化してるつもりだったの?
ゆう お姉さん、単純そうだからいけるかなーって。
千代 また子供扱い?
ゆう つい、ね。懐かしくなっちゃうから。
千代 どういうこと?
ゆう、紙飛行機を投げるが、飛ばない。
ゆう 妹がいるんだ。ボクのこのたくさんの中に、妹がいた子がいるんだ。
千代 さっきは嘘って言ってたのに。
ゆう 狐は嘘つきだからね。
ゆう、紙飛行機を拾ってもう一度折り直す。
ゆう その子はね、お祭りの日は決まって狐になってたんだ。浴衣を着て、お面をつけて「こんばんは、お嬢さん」って、少し気取った口調で。そうすると、妹が喜んでくれるから。
千代 だから、今もお面をつけてるの?
ゆう そういうこと。
千代 でも、妹さんはここにはいないでしょ?
ゆう いることの証明は簡単だけど、いないことを証明するのは難しいんだよ。
千代 はいはい、お面を取るつもりはないってことね。
ゆう 理解が早くて助かるよ。
千代 このお祭り、いつまで続くの?
ゆう そろそろ終わるよ。
ゆう、紙飛行機を投げるが飛ばない。
ゆう ボクたちも、帰らないと。
千代 帰るって、どこに?
ゆう 海の底。
千代 …。
ゆう あぁ、嘘、嘘。そんな顔しないで。ちゃんとお空の上に帰るよ。
千代 からかわないで。
ゆう ごめんね。
ゆう、紙飛行機を拾って折り直す。
なな、あやとりを持って千代に近づく。
なな お姉さん、とって!
千代 えー…覚えてるかな…。
千代、ななあやとりで遊ぶ。
波の音。
ゆう なな、そろそろ。
なな はあい。
なな、あやとりを戻す。
ゆう お姉さんもだよ。帰らないと。
なな お姉さんも、帰っちゃうの?
ゆう そうだよ。
なな じゃあ、ちゃんとさようならしなきゃだね。
千代 …帰りたくないよ。
ゆう ダメだよ、帰らなきゃ。
千代 帰れば私の時間が進んじゃう。
ゆう ここにいたって、明日は来るよ。
千代 明日なんか来なくていい。
ゆう ボクたちにそれを言うの?
千代 だからお願い、私も連れて行って。
ゆう そのお願いは聞けないよ。
千代 ななちゃん、お願い。
なな ゆうが泣いちゃうから、ダメ。
千代 どうして。
なな それは、だって。
ゆう ななをいじめないでよ、お姉さん。
千代 お姉さんって呼ばないで!
ゆう ダメだよ。ちゃんと前を見て、進まないと。
千代 そんなの私の勝手でしょ?
ゆう お姉さんはいつまでも子供のままじゃない。ボクたちとは違って、ちゃんと時間が進んでるから。
千代 わかってる。
ゆう わかってない。お姉さんは逃げてるだけだよ。
千代 逃げちゃダメなの? 辛くて、苦しくて、どうしようもないことから目を背けないのがそんなに立派なことなの?
ゆう お姉さん。
なな 二人とも。
千代 だからお姉さんって呼ばないで。
ゆう それじゃ、何も変わらないよ。
千代 変わらなくたっていい。変わりたくない。
なな ケンカしないで。
ゆう お姉さん、ボクたちは変わりたいのに変われないんだよ。
千代 だったら私もそっちに入れてよ!
ゆう 出来ないよ。
千代 どうして?
ゆう ボクたちの気持ちも考えて。
千代 うるさい! いい加減おせっかいなんだよ! お兄ちゃんでもない、ただの他人のくせに!
何かが割れる音。
ゆう …わかった。
ゆう、紙飛行機を握りつぶし、千代に背を向ける。
ゆう お姉さんの好きにしたらいいよ。
ゆう、紙飛行機を捨てる。
ゆう なな、おいで。
なな、ゆうの元へ行く。
ゆう、ななに何か言い、お面を渡す。
ゆう さようなら、お姉さん。
ゆう、千代を見ずに去る。
なな ゆう!
なな、紙飛行機を拾う。
なな、千代に正面から向き合う。
なな お姉さんのバカ!
千代 何で私が。
なな 全部、お姉さんのためだったんだよ!
千代 え?
なな お祭りも、浴衣も、狐も! 全部、全部、悲しくて、寂しくて、どうしようもなくなっちゃったお姉さんのためだったのに。
千代 どうして私なんかのために。
なな 笑ってほしかったからに決まってる!
千代 でも、私とは何も関係ないでしょ?
なな 何でわかんないの? だからお姉さんはバカなんだよ!
千代 な…バカって言う方がバカなんだよ!
なな バカ!
千代 バカ!
なな バーカ!
千代 バーカ!
なな …お姉さん、大人げないよ。
千代 うるさいなあ。
なな でも、そっちのお姉さんの方が好き。
千代 …ありがとう。久しぶりに大声出したかも。
なな あのね、本当に全部、お姉さんのためだったんだよ。ゆうが、たくさんのみんなから力をもらって、一生懸命頑張って、生きてればまたいいことあるよって、お姉さんに言いたかったんだよ。
千代 どうしてゆうが、私のために?
なな お姉さんはもう答えを知ってるよ。
千代 知ってるって?
なな ゆう、言ってたでしょ? ななもゆうも、たくさんのみんなが集まってるって。ななたちは小さかったから何もないけど、「ゆう」は違う。
なな、千代にお面を渡す。
なな なな、知ってるよ。お小遣いでお面が買えなかったから、お兄さんは頑張って作ったんだよね。ちゃんとしたお面を買った後でも、お姉さんはずっと、このお面をとっておいたんだよね。
なな、壊れた紙飛行機を千代に差し出す。
なな これも、教えてもらったんでしょ?
千代、紙飛行機を受け取り、広げる。
なな よく飛ぶ紙飛行機の折り方。
千代 …ゆうの中にお兄ちゃんがいるの?
なな、頷く。
千代 私、謝らなきゃ。
なな 一緒に行く?
千代 ありがとう、でも、大丈夫。
なな そっか。じゃあ、ここでお別れだね。
千代 お別れ?
なな おうちに帰るんだよ。
なな、走って千代から離れる。
なな バイバイ、お姉さん。遊んでくれてありがとう。
千代 こちらこそ、ありがとう、ななちゃん。
なな じゃあね!
子供たちの笑い声が響く中、ななが去って行く。
千代、それを見送る。
千代 私も、行かなきゃ。
千代、お面を被る。
ゆう、歌いながら出てくる。
ゆう なーべなべそーこぬけ、煮えたかどうだか食べてみよう…勝って嬉しいはないちもんめ、後ろの正面だあれ…。
千代、ゆうを後ろから目隠しする。
千代 だーれだ?
ゆう うーん…誰?
千代 …わかんない?
ゆう さっぱりだよ。
千代 じゃあ、ヒント。謝りに来たの。
ゆう 何を?
千代 ひどいこと言ったから。
ゆう 謝らないで。
千代 言わせて。
ゆう 気にしてないよ。
千代 でも。
ゆう もういいから。
千代 それじゃダメなの。
ゆう どうして?
千代 …変われないから。
ゆう でも、変わりたくないんでしょ?
千代 …うん。変わりたくないよ。
ゆう それなら。
千代 でも、前に進みたい。もう忘れたり、逃げたりしたくない。
ゆう …追い越してもいいの?
千代 まだ怖い、けど、行かなきゃ。ゆうの、お兄ちゃんのために。
零、振り向く。
千代、お面を外す。
千代 お兄ちゃん、お兄ちゃん、ごめんなさい。私。
零 千代。お祭り、楽しかったか?
千代 うん、楽しかった、楽しかったよ。
零 泣くな、泣くな。楽しかったら笑うものだろ?
千代 だって、お兄ちゃん、だって。
零 そうだ、屋台に行こう。リンゴ飴も、わたあめも、かき氷だってある。千代はどれがいい?
千代 いらない。何もいらない。お兄ちゃんがいてくれればいい。
零 わがままだな、千代は。
千代 ごめんなさい、でも、本当だよ。
零 ありがとう。
千代 私、本当はもっと、お兄ちゃんと一緒にいたかった。
零 うん。
千代 一緒にお祭りに行きたかった。
零 うん。
千代 もっと、生きててほしかった。
零 …うん。
千代 だから、お兄ちゃんの年を越したら、お兄ちゃんからどんどん離れていくような気がして、それが、嫌で、怖くて、私。
零 千代。
零、千代と目線を合わせる。
零 オレだって、結構怖かったんだぞ?
千代 え?
零 オレたちを置いて、時間は過ぎていく。来年、再来年、そうなったとき、まだ誰かに覚えていてもらえるのかって。
千代 そうだったの?
零 でもな、明日ってやつは、オレたちがどんなに怖がったって、案外あっけなくやってくるものなんだ。寝てたって、起きてたって、同じように明日は来る。
零、千代から壊れた紙飛行機を受け取る。
零 オレの時間は、ここで止まるしかないけど、お前にはまだ、これからがある。
零、紙飛行機を直す。
零 前に向かって進むんだ。
零、千代に紙飛行機を渡す。
代わりにお面を受け取り、被る。
零 ただのおせっかいだけどな。
千代、紙飛行機を飛ばす。
紙飛行機は遠くへ飛んでいく。
零 飛ばすの、上手くなったな。
千代 お兄ちゃんのおかげだよ。
零、紙飛行機を拾う。
零 これは、お前の努力。
零、千代に紙飛行機を渡す。
零 素敵な「お姉さん」になれよ。
千代 うん。ありがとう。
零、千代の頭を撫でる。
千代 子供扱いしないでよ。
零 素直に喜べばいいのに。
千代 嬉しくない。
零 顔に「嬉しい」って書いてあるぞ?
千代 書いてないから!
零 リンゴ飴買ってやろうか?
千代 そのお金、現金でちょうだい。
零 可愛くねえやつ。
波の音が聞こえる。
零 そろそろ、行かないと。
千代 もう、時間なの?
零 全く、そんな顔するなって。
千代 だって。
零 よし、じゃあ最後に良いこと教えてやるよ。
千代 良いこと?
零 オレの名前、数字の零って書くだろ?
千代 うん。
零 どんな願いを込めたのか、聞いたんだ。そしたら。
千代 そしたら?
零 ここが全ての始まりになるように、だってさ。
千代 全ての始まり…。
零 ここから始まって、末永く続く。オレたち二人で一つの意味なんだって。だから、お前は進み続けろよ。オレとの約束な。
千代 お兄ちゃん、また…。
千代、言いかけて、やめる。
千代 …なんでもない。さよなら、お兄ちゃん。
零 さよなら。
千代 さよなら!
波の音が大きくなる。
世界が暗くなっていく。
明るくなった舞台上には神社階段のみ。
アナウンスが流れる。
アナウンス 東日本大震災から、今日で○年目となりました。各地では犠牲者の追悼式が行われ、一斉に黙祷が行われる模様です…。
千代、走ってくる。
千代 …。
千代、耳を塞ぐ。
黙祷のサイレンが鳴る。
千代、階段で寝ている。
千代、起きる。
千代 …夢?
千代、自分のカバンを確認する。
カバンの中には紙飛行機。
千代、紙飛行機を階段に置く。
千代 さよなら。
千代、歩き出す。
入れ替わって零が出てくる。
零 さよなら。
零、紙飛行機を取り、代わりに狐のお面を置く。
零、階段の上に寝そべる。
零を残して周囲の明かりが消える。
終
黄昏夢物語 チヌ @sassa0726
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