【学園百合小説】椿花女学院恋物語 ~静寂と陽光の調べ~

藍埜佑(あいのたすく)

第一話:それは椿の花びらのように

 朝靄に包まれた椿花女学院の校門前に、ひときわ凛とした佇まいの少女が立っていた。藤原ふじわら詩織しおり。長い黒髪を丁寧に結い上げ、濃紺のブレザーに身を包んだその姿は、まるで静謐な水面のように穏やかで、しかし深い知性を秘めているようだった。彼女の手には、いつものように一冊の古典文学の本が握られている。


 詩織は深呼吸をして、ゆっくりと校門をくぐった。桜並木の下を歩きながら、彼女は今日一日の予定を頭の中で整理していた。図書委員会の会議、放課後の読書会、そして……。


「おはよう、詩織ちゃん!」


 突然、背後から元気な声が飛び込んできた。詩織は驚いて振り返る。


「あ、おはようございます、陽花ひなたさん」


 風間かざま陽花。短い茶色の髪を朝の風になびかせ、はじけるような笑顔を浮かべている。健康的な小麦色の肌が朝日に輝いて見える。


「もう、あいかわらず固いなあ、詩織ちゃんは……。もっとリラックスしてもいいんだよ?」


 陽花は詩織の隣に並んで歩き始めた。その動きは軽やかで、まるで春のそよ風のようだった。


 詩織は少し困ったような表情を浮かべる。陽花の明るさに圧倒されそうになりながらも、冷静さを保とうと努める。


「ご、ごめんなさい。私、こういう性格なので……」


「ううん、謝らなくていいんだよ。僕は詩織ちゃんのそういうところ、素敵だと思うな。なんていうか、凛としてて、大人っぽくて……」


 陽花は言葉を探すように空を見上げた。その仕草が、詩織の目には妙に愛らしく映る。


「あ、そうそう! まるでお姫様みたい! ねっ?」


 陽花の言葉に、詩織は思わず頬を赤らめた。


「そ、そんなことないわ。それより陽花さんこそ、いつも元気で素敵です。周りの人を明るくする力がありますし」


 詩織の言葉に、今度は陽花が照れ笑いを浮かべる。


「えへへ、ありがと。でも、詩織ちゃんにそう言ってもらえるなんて嬉しいな」


 二人の会話を、少し離れたところから見守る目があった。桜庭さくらば麗子れいこ。ウェーブのかかった艶やかな黒髪を優雅に揺らしながら、知的な眼差しで二人を観察している。


(まあ、相変わらずね。でも……)


 麗子は、詩織と陽花の間に漂う微妙な空気を感じ取っていた。互いを慕いながらも、なかなか素直になれない二人の姿に、麗子は密かな面白さを覚える。


「おはよう、詩織、陽花」


 麗子が二人に近づき、優雅に挨拶をした。


「あ、麗子さん。おはようございます」

「れいちゃん、おはよー!」


 対照的な二人の反応に、麗子は微笑んだ。


「今日は朝から素敵な光景を見られて良かったわ。幸せな一日になりそうね」


 麗子の言葉に、詩織と陽花は首を傾げる。


「え? どういう意味?」


 陽花が素直に尋ねる。詩織も同じように疑問を感じているようだった。


「ふふ、何でもないわ。さ、教室に行きましょう」


 麗子は意味深な笑みを浮かべたまま、二人の前を歩き始めた。


 教室に向かう途中、詩織は陽花の姿を改めて観察した。陽花は規定の制服を着ているにもかかわらず、どこか自由で活発な印象を醸し出している。スカートの丈は規定ぎりぎりの長さで、ブレザーの下に覗くブラウスは第一ボタンを外していた。首元にはさりげなく、シルバーのペンダントが輝いている。


(陽花さんって、本当に魅力的な人なのね……)


 詩織は思わずそんなことを考えていた。

 陽花の健康的な美しさは、どこか自分にない輝きを持っているように感じる。


 一方、陽花も詩織の姿に目を奪われていた。詩織の制服は完璧に整えられており、スカートの折り目もきっちりとアイロンがかけられているのが分かる。首元のリボンは正確に結ばれ、その赤色が詩織の白い肌に映える。


(詩織ちゃん、ほんとにお人形さんみたい。でも、生きてる。生きてるお人形さん……素敵……)


 陽花は、詩織の凛とした佇まいに心を奪われていた。


 麗子は二人の様子を見て、内心くすりと笑う。


(まったく、お互いのことばかり気にして……。でも、そこがいいのよね)


 教室に着くと、三人はそれぞれの席に着いた。朝の読書の時間が始まり、教室は静寂に包まれる。


 詩織は優雅に本を開いた。彼女の長い睫毛が、ページをめくる度に揺れる。その仕草に、陽花は思わず見とれてしまう。


 陽花は自分の本を開きながらも、詩織の方に視線を送り続けていた。詩織の真剣な横顔に、陽花は胸の高鳴りを感じる。


 麗子は二人の間で本を読みながら、時折視線を上げては二人の様子を確認していた。彼女の唇には、かすかな笑みが浮かんでいる。


 朝の読書の時間が終わり、ホームルームが始まった。担任の先生が入ってくると、クラス全員が起立する。


「起立、礼、着席」


 詩織の澄んだ声が教室に響く。クラス委員としての彼女の仕事だ。陽花は詩織のはきはきとした様子に、また新たな魅力を感じていた。


 ホームルームが終わり、授業が始まる。詩織は真剣な表情で先生の話に耳を傾けている。その横顔は、まるで絵画のように美しかった。陽花は時々詩織の方を見ては、自分の気持ちを整理しようとしていた。


(どうして、こんなにドキドキするんだろう……)


 陽花は自分の胸の高鳴りに戸惑いを感じていた。


 昼休みになり、教室はにわかに賑やかになる。詩織は優雅に弁当箱を開けた。中身は綺麗に彩られた和食で、まるで料亭のような佇まいだった。


「わあ、詩織ちゃんのお弁当、今日も素敵!」


 陽花が目を輝かせながら言う。


「ありがとう。でも、陽花さんのお弁当も美味しそうよ」


 詩織は陽花の弁当を見た。色とりどりの野菜と、自家製のハンバーグが食欲をそそる。


「えへへ、ありがと。でも、詩織ちゃんのお弁当は本当にお嬢様って感じ!」


 陽花の率直な感想に、詩織は少し照れる。


「そんなことないわ。ただ、母が料理好きなだけで……」


「いいなぁ。僕、自分で作ってるんだ。両親、朝早くて……」


 陽花の言葉に、詩織は少し驚いた表情を見せる。


「自分で作ってるの? すごいわ」


「えへへ、まあね。でも、詩織ちゃんみたいに綺麗には作れないよ」


 二人の会話を聞きながら、麗子が近づいてきた。


「二人とも、素敵なお弁当ね。私も一緒に食べていい?」


「もちろんです」

「うん、いいよ!」


 麗子は優雅に椅子を引き、二人の間に座った。彼女の弁当は、高級感のある洋食だった。


「麗子さんのお弁当も素敵ですね」


 詩織が感心したように言う。


「ありがとう。でも、二人のお弁当も魅力的よ。特に……」


 麗子は意味深な笑みを浮かべた。


「二人の表情を見ていると、お弁当がより美味しくなるのよね」


「え?」

「どういう意味ですか?」


 詩織と陽花が同時に聞く。麗子は小さく笑った。


「何でもないわ。さ、いただきましょう」


 三人は「いただきます」と言って、それぞれの弁当を食べ始めた。


 詩織は上品に箸を使い、一口ずつ丁寧に食べている。その仕草が、まるで上品なお茶会でのようだった。陽花は詩織の仕草に見とれながら、自分も食べる。陽花の食べ方は活き活きとしていて、その様子に詩織は密かに微笑んでいた。


 麗子は二人の様子を見ながら、静かに微笑んでいる。


(この二人、どこまで自分の気持ちに気づいてるのかしら……)


 昼食を終え、午後の授業が始まった。詩織は真剣な表情で黒板を見つめている。陽花は時々詩織の方を見ては、自分の気持ちを整理しようとしていた。


 放課後、詩織は図書委員会の仕事で図書室に向かった。陽花は陸上部の練習のためにグラウンドへ。麗子は生徒会の仕事で会議室へと向かう。


 図書室で本の整理をしながら、詩織は陽花のことを考えていた。


(陽花さん、いつも元気で……私には真似できない魅力があるわ)


 一方、グラウンドを走りながら、陽花も詩織のことを考えていた。


(詩織ちゃん、あんなに凛としてて……僕、憧れちゃうな)


 生徒会室で書類を整理しながら、麗子は二人のことを思い出していた。


(あの二人、いつになったら素直になれるのかしら。でも、このもどかしさも青春の味なのよね)


 夕暮れ時、三人は校門で再会した。


「お疲れ様、二人とも」


 麗子が声をかける。


「麗子さんもお疲れ様です」

「れいちゃん、お疲れ!」


 詩織と陽花が返事をする。


「さ、帰りましょう」


 麗子の言葉に、三人は並んで歩き始めた。


 夕陽に照らされた三人の姿が、長い影を落としている。詩織と陽花は、何か言いたげな表情を浮かべながらも、言葉を飲み込んでいた。麗子はそんな二人の様子を見て、密かに微笑む。


 校門を出て、それぞれの帰り道に別れる時が来た。


「じゃあ、また明日ね」


 麗子が言う。


「はい、また明日」

「うん、また明日!」


 詩織と陽花が返事をする。


 三人はそれぞれの道を歩き始めた。詩織と陽花は何度か振り返り、お互いの姿を目で追う。


 麗子は二人の様子を見て、心の中でつぶやいた。


(明日は、どんな一日になるのかしら。この二人の関係が、どう変化していくのか……楽しみね)


夕暮れの街に、三人の影が伸びていく。詩織は優雅な足取りで歩き始めたが、その心の中は複雑な思いで揺れていた。



(陽花さん、今日も素敵だったわ。あの笑顔、あの元気な声……)


 詩織は自分の気持ちに戸惑いを覚えながら、ふと立ち止まり、髪を整えた。彼女の指先が、柔らかな黒髪をそっと撫でる。その仕草は、まるで儚い花びらを愛おしむかのようだった。


 一方、陽花は軽やかなステップで帰路につきながら、詩織のことを考えていた。


(詩織ちゃん、今日の香り、なんだろう? ラベンダー……かな? 優しくて、でも凛としてて素敵だった……)


 陽花は空を見上げ、大きく深呼吸をした。胸の高鳴りを落ち着かせようとしているかのようだった。


 麗子は二人と別れた後、ゆっくりとした足取りで歩き始めた。彼女の唇には、意味深な笑みが浮かんでいる。


(あの二人、お互いのことばかり考えているのね。でも、まだ気づいていない。この関係が深まっていく過程をじっくり見守るのも、悪くないわ)


 麗子は自分の長い髪を軽く撫でながら、二人の今後を想像していた。



 詩織が自宅に帰り着いたのは、空が紫色に染まり始めた頃だった。玄関を開け、「ただいま」と静かに告げる。


「おかえりなさい、詩織」


 母の優しい声が響く。詩織は丁寧に靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。


「お風呂入れておいたわよ」


「ありがとうございます、お母さん」


 詩織は自室に向かい、制服を丁寧に脱ぐ。ハンガーにブレザーを掛け、スカートの折り目を整える。鏡の前に立ち、自分の姿を見つめる。


(私……陽花さんみたいに、もっと自由に自分を表現できたらいいのに……)


 詩織は櫛を取り、ゆっくりと髪をとかし始めた。艶やかな黒髪が、夕暮れの光を受けて輝く。


 一方、陽花の家では、賑やかな声が響いていた。


「ただいまー!」


 元気な声で帰宅を告げる陽花。


「おかえり、陽花。今日も元気だね」


 父親の声が聞こえる。


「うん! でも、お腹ぺこぺこ!」


 陽花は急いで自室に向かい、制服を脱ぐ。ブレザーとスカートを椅子の背もたれに掛け、Tシャツとショートパンツに着替える。鏡の前に立ち、短い髪を軽く撫で付ける。


(僕も詩織ちゃんみたいに、上品な雰囲気って出せないかなぁ……)


 陽花は自分の姿を見つめながら、そっと溜息をついた。


 麗子の家では、静かな時間が流れていた。彼女は優雅に自室に入り、制服を脱ぐ。ドレッサーの前に座り、化粧を落とし始める。


(あの二人、これからどうなっていくのかしら。でも、急がせるのは良くないわね。自然に、少しずつ……)


 麗子は微笑みながら、自分の長い髪をブラシでとかしていく。


 夜が更けていく中、三人はそれぞれの思いを胸に秘めたまま、明日への期待を膨らませていた。



 翌朝、詩織はいつもより少し早く目覚めた。鏡の前に立ち、いつもより少し長く自分の姿を見つめる。


(今日は……少し違う私になってみようかしら)


 詩織は普段よりも軽やかな足取りで、化粧台の前に座った。いつもは控えめなメイクしかしない彼女だが、今日は少しだけ挑戦してみることにした。


 繊細な指先で、うっすらとしたアイシャドウを瞼に乗せる。ほんのりとしたピンク色が、詩織の清楚な雰囲気に可愛らしさを加えた。唇には、普段より少しだけ色味のあるリップクリームを塗る。


(こ、これくらいなら……大丈夫よね? おかしくないわよね?)


 詩織は少し不安そうに、でも期待に胸を膨らませながら、自分の姿を確認した。


 一方、陽花の朝は、いつもと変わらない慌ただしさで始まった。


「わっ! また寝坊しちゃった!」


 陽花は飛び起きると、急いで制服に着替え始める。カーテンを開けると、眩しい朝日が部屋に差し込んだ。壁掛けの時計を見て、陽花は小さく悲鳴を上げた。


「やばい、やばい! もう7時45分!」


 陽花は慌てて制服を身につけながら、鏡の前に立った。短い茶色の髪は、寝癖でところどころ跳ね上がっている。陽花は必死にブラシを通し、何とか形を整えようとした。


「もう! どうしてこの髪はこんなに言うこと聞いてくれないの?」


 陽花が髪と格闘していると、突然ドアが勢いよく開いた。


「お姉ちゃん! 遅刻するよ!」


 弟の太一が大声で叫ぶ。


「わかってるってば! そんなに慌てさせないでよ!」


 陽花が返事をする前に、もう一人の弟、健太も部屋に飛び込んできた。


「お姉ちゃん、遊ぼー!」

「ごめん、健太、また今度ね!」


 陽花は急いでスカートを整え、ブラウスのボタンを留める。第一ボタンを外すかどうか少し迷ったが、今日は時間がないので諦めた。


「お姉ちゃん、髪、後ろが跳ねてるよ」


 太一が指摘する。


「えっ、本当? もう、どうしよう……」


 陽花は再び鏡の前に立ち、必死に髪を整えようとする。


「お姉ちゃん、これ使えばいいんじゃない?」


 健太が、陽花の化粧台からヘアミストを取り出した。


「あ、そうだね! ありがとう、健太」


 陽花はヘアミストを髪全体にシュッシュッとスプレーした。爽やかなフルーツの香りが部屋中に広がる。

「わぁ、いい匂い!」


 健太が目を輝かせる。

「でしょ? 詩織ちゃんも、いつもいい匂いがするんだよね……」


 陽花はふと、詩織のことを思い出して微笑んだ。


「詩織ちゃんって、お姉ちゃんの友達?」


 太一が首を傾げて聞く。


「う、うん。そうだよ」


 陽花は少し頬を赤らめながら答えた。


「じゃあ、今度家に呼べばいいじゃん!」


 健太が無邪気に提案する。


「え? そ、そんな……」


 陽花は慌てて答えるが、心の中では密かに考えてしまう。


(詩織ちゃんが、もしうちに来てくれたら……)


 そんな妄想に浸る陽花だったが、時計を見てハッとした。


「わっ! もうこんな時間!」


 部屋を飛び出した陽花は洗面台の前で立ち止まる。


(そういえば、詩織ちゃんのポーチ、いつもいい匂いがするんだよなぁ……)


 陽花は自分の香水を手に取り、少しだけ首元にスプレーした。フルーティーで爽やかな香りが、部屋に広がる。


「よーし、これで完璧!」


 陽花は満足げに微笑んで、急いで家を出た。


 麗子は、いつものように優雅に準備を整えていた。化粧台の前で、丁寧にメイクを施す。


(今日もあの二人の様子を見守るのが楽しみね)


 麗子は、自分の唇に艶やかなリップグロスを塗りながら、静かに微笑んだ。


 学校への道すがら、詩織はいつもより少し緊張した面持ちで歩いていた。自分の変化に、周りがどう反応するか不安だった。


(陽花さん、気づいてくれるかしら……)


 そんな思いを胸に秘めながら、詩織は椿花女学院の校門に近づいていく。


 一方、陽花は遅刻ぎりぎりのペースで学校に向かっていた。息を切らせながらも、詩織のことを考えずにはいられなかった。


(詩織ちゃん、今日はどんな本を読んでるのかな。あ、でも今日は朝の読書の時間に間に合わないかも……)


 そう思いながら、陽花は全力で走り出した。


 麗子はすでに校門の近くで、優雅に立っていた。詩織と陽花を待っているかのように、時々道を見やる。


(さて、今日はどんなドラマが見られるかしら)


 麗子の唇に、小さな笑みが浮かぶ。


 そして、三人の新しい一日が始まろうとしていた。詩織の小さな変化、陽花の香りへの挑戦、そして麗子の静かな見守り。この日が、三人の関係にどんな影響を与えるのか、誰にも分からない。


 ただ、確かなのは、椿花女学院の小さな蕾たちが、少しずつ、でも確実に、新しい季節へと向かっているということ。その過程は、きっと甘く、そして少しほろ苡いものになるだろう。


 朝日に照らされた校舎に、三人の影が伸びていく。新たな一日の幕開けだ。

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