第2話 丹下家
私たちが差し出した手みやげを喜ぶ佳奈さんの両親とおばあさん。
「気を遣ってもらって悪いわね。・・・ところで、佳奈は短大でどんな様子かしら?」
「お母さん、来てすぐにそんなことを聞かないでよ」と文句を言う佳奈さん。
「短大ではまじめに勉学に励んでますよ」と芽以さんが答えた。
「そして私たちと仲良くしてもらっています」と私も言った。
「進学するのなら関西にも大学や短大がたくさんあるのに、東京に行きたがって困ったんですのよ」と母親が続けた。
「身持ちが堅いので、心配ありませんよ」と芽以さん。「いつも私たちと一緒です」
「それならよいのですが・・・」
「話は後でもいいでしょ!とりあえず私の部屋に案内するから、荷物を持ってついて来て」と佳奈さんが言って立ち上がった。
「それでは後ほど」と私と芽以さんは出されたお茶を一気にすすると、会釈をして立ち上がった。
「夕食までのんびりしてくださいね」と母親の声が背後から聞こえた。
佳奈さんの部屋は二階にあり、私たちは荷物を持って階段を上がった。そして奥の部屋のドアを開けてもらうと、その中に入った。
窓が開け放されており、ドアを開けたことで風が入って来る。
「換気してたけど、三月だからまだ寒いわね」そう言って窓を閉める佳奈さん。
部屋の中にはベッド、勉強机、
「ベッドに三人は寝れないから、順番でひとりが床に寝てね。後でお布団を運んで来るから」
「私たちはどこでも気にしないわよ」
「さっきの居間で寝てもらってもいいんだけど、さすがにあそこは家族がいつ入って来るかわからないから、落ち着かないわよね」
「この部屋で十分にありがたいです」と私が言うと二人が笑った。
その時、部屋のドアの外から佳奈さんの父親の声が聞こえた。
「佳奈、布団を持って来たぞ」
「あ、ありがとう、お父さん」ドアを開けて父親を中に入れる佳奈さん。
「布団をここに置いて」と佳奈さんが言い、そこに父親が畳んだ敷き布団を置いた。
「ずっと干していたからふかふかだろう。掛け布団と毛布も持って来よう」
「ありがとう、お父さん。階段、気をつけてね」
「お、おう」と答えて父親は一階に降りて行った。
「毛布なら私たちも運ぶわよ。案内して」と私が言うと、
「じゃあ、一緒に来て」
佳奈さんの後に続いて一階に下りる。厚めの掛け布団を佳奈さんの父親が持ち、私たちは毛布を持って、その後からついて行った。
布団を入れ終え、私たちは父親に感謝の言葉をかけた。
「ちょっと部屋が手狭になっちゃったけど、我慢してね」と佳奈さん。
「私たちは気にしないわよ。昼間はどうせ外出していることが多いからね」
「ところでまだ三時過ぎだけど、どこか出かけたいところある?万博会場や宝塚歌劇以外で」と佳奈さんが聞いてきた。
「この近くに何か観光名所があるの?」
「このあたりは比較的最近にできた住宅街だから、観光地は特にないけど、少し歩いたところに伊丹空港があるわよ」
「伊丹空港というと、大阪国際空港のことね?」
「そう。離着陸する飛行機しか見るものはないけど、行ってみる?」
「いいわね、行ってみましょうよ」芽以さんが乗り気になったので、私もうなずいた。
「どのくらい歩くの?」
「二キロくらいかな」と佳奈さん。私たちは立ち上がると階下へ降り、玄関に向かった。
「空港の方まで散歩してくるわ」と親に伝える佳奈さん。
戸外へ出て、佳奈さんと一緒に歩き始める。
「地元なのに佳奈さんもご家族も大阪弁はあまり出ていなかったわね?」と聞く。
「お客さん、つまりあなたたちがいたのでいいかっこしていたのはあるけれど、大阪の中でも北の方はそんなにこてこての大阪弁は話さないの」と佳奈さんが説明した。
おしゃべりしながら三十分くらい歩くとようやく伊丹空港のターミナルビルが見えてきた。その前には大阪の各方面、京都、神戸などに向かうバスが何台も並んでいる。
ターミナルビルの中に入る私たち。二階までエスカレーターで昇り、お土産店を見て回った後、階段で四階の展望デッキに上がった。
デッキからは滑走路を見渡すことができ、ターミナルビルの近くに何機もの飛行機が停まっていた。そして時々離陸したり、着陸する飛行機を眺めることができた。
「飛行機の便数もけっこう多いわね」
「今まで飛行機に乗ったことがある?」と佳奈さんが私たちに聞いた。
「いいえ、ないわ」と答える私たち。
「私も一度もないわ。北海道か沖縄にでも行かない限り、飛行機に乗ることはまずないわね」と佳奈さん。
ちなみに沖縄はアメリカの統治下にあり、沖縄に行くためにはパスポートが必要だった。車も右側通行だそうだ。
「私は修学旅行で北海道に行ったけど、飛行機でなく行きも帰りも列車だったわ」と芽以さんが、来る途中で話していた内容を佳奈さんに言った。
「それは大変だったわね。私の高校は九州旅行だったわ。博多から長崎に行って、平和の像の前で記念写真を撮ったわ。鹿児島、別府と回って、別府温泉では血の池地獄、海地獄、竜巻地獄などをバスで回ったわ」
「地獄巡りもおもしろそうね」
伊丹空港の展望デッキでの眺めを満喫したので、私たちは佳奈さんの家まで歩いて帰った。
佳奈さんの部屋で雑談していると、まもなく佳奈さんの母親が来て、夕食ができたので来るようにと言われた。佳奈さんの後について階下に降りる。
この家に来た時に通された居間に入ると、座卓の上にたくさんの料理が並んでいた。おでん、天ぷら、大皿に盛られたばらずしなどだった。
「たいしたものはありませんが、どうぞ召し上がれ」と佳奈さんの母親。
「いえ、ご馳走ばかりで、目移りします。ほんとうにありがとうございます」と私と芽以さんは頭を下げた。
まずおでんをよそってもらう。佳奈さんの両親の話から、こちらではおでんのことを関東炊きと呼ぶようだ。味がしみていておいしい。
天ぷらはゴボウ、レンコンのほかにスルメの天ぷらもあった。珍しい。それに何かまっ赤なものの天ぷらもあった。
「これは何ですか?」と赤いものの天ぷらについて聞く。
「それは紅ショウガの天ぷらよ」と言われて面食らった。
「郷土料理と言えるほどのものじゃありませんが、織田作之助の『
試しに紅ショウガの天ぷらを小皿に取ってかじってみる。辛く酸っぱい味が口いっぱいに広がる。・・・ちょっと刺激が強すぎる味だな、と思ってしまったが、
「なかなか乙な味ですね」と言ってごまかした。
横を見ると芽以さんも紅ショウガの天ぷらを口にほおばって目を白黒させていた。
それでもたくさんのご馳走を堪能し、食事を終えると佳奈さんの家族にとてもおいしかったとお礼を言った。
その後、お風呂を順番にいただき(二人で入るにはちょっと狭い浴槽だった)、夜も更けてきたので佳奈さんの部屋でパジャマに着替え、寝る準備をした。
「そう言えばお兄さんがいるって聞いたけど、夕食の席にはいなかったわね?」
「兄は毎日友だちと遊びに出かけ、夜遅くまでお酒を飲んでいることが多いみたい」と佳奈さん。
「家にはあまりいないみたいだから、気にしなくていいわよ」
「大学生だったのよね、お兄さん。どこの大学なの?」と芽以さんが追求する。
「大阪大学よ」
「へー、頭がいいんだ、お兄さん」と感心する芽以さん。
「まぐれで入れたんじゃないの?」と辛辣な言い方の佳奈さんだった。
布団を床に敷くと、「今夜は誰が下に寝る?」と佳奈さんが聞いてきた。
私はベッドと、そのすぐ横の床に敷いてある布団を見て、「私が下でいいわよ。今夜だけじゃなくずっと」と二人に言った。
「どうして?遠慮しなくていいのよ」と芽以さんに言われる。
「いえ、普段はベッドを使っていないから、寝ている間にベッドから落ちないか心配で。・・・下で寝ている人の上に落ちそうだから」と言ったら二人に笑われた。
「二十歳近くになって、そんなに寝相が悪いことある?」と佳奈さんにツッコまれたが、芽以さんはベッドでかまわないということなので、私が床に敷かれた布団で寝ることに決まった。
ベッドと布団の上に寝転んでおしゃべりを続けていると、どたどたと階段を上がってくる足音がした。
佳奈さんが眉間にしわを寄せて起き上がると、私たちの体の間を抜けて部屋のドアを少しだけ開いた。
「お兄ちゃん、友だちが来てるから騒がないでね」と佳奈さん。
「おほ〜う?・・・あいさつしようか?」と男性の上機嫌そうな声がした。
「もう寝るところだから顔を出さないで」と佳奈さんがきつめに言ってドアを閉めた。
「春休みになっても毎晩あの調子なの」と私たちに説明する佳奈さん。
「毎晩飲み歩いているの?よくお金が続くわね」と芽以さん。
「アルバイトはしているみたいだけど、全額酒代に消えているみたい」
隣のお兄さんの部屋から物音が聞こえてくることはなかったので、私たちは明日に備えて寝ることにした。佳奈さんが電気を消し、私たちは布団にくるまった。
翌朝、七時頃に起き、着替えてから階下で顔を洗った。既に朝食の用意ができており、私たちは夕食を食べた居間に入った。
朝食は座卓に置かれていたが洋風だった。バタートースト、目玉焼き、サラダにクリームスープのお椀があった。
「スープですか?すごいですね、朝食でスープをいただくのは初めてです」と私は感想を言った。
「家庭で手軽に作れるスープの
「ホテルの朝食みたい」と芽以さんも感激していた。
「今日はいよいよ万博会場に行くからね。大勢の人混みに負けないよう、しっかり食べてね」と佳奈さん。
お兄さんはまだ寝ているらしく、朝食の席には出て来なかった。
佳奈さんの父親が新聞を開いて、「おい、佳奈、昨日の万国博は人手が伸びなかったと新聞に書いてあるぞ」と言った。
佳奈さんが新聞を受け取り、私たちも新聞の第一面をのぞいた。
「本当だわ。予想を下回る二十七万人しか来場しなかったみたい。でも、人気がないなら好都合だわ」と喜ぶ佳奈さん。
「今日一日だけでもけっこうたくさんのパビリオンを見て回れるかもね」と芽以さん。
「そうね」と私も言った。「行列に何時間も並びたくはないからね」
「あまりあせらずに準備しましょうね」
私たちは朝食を終えると佳奈さんの部屋に戻って準備を始めた。と言ってもハンドバッグに財布やハンカチなどの必要最低限のものを入れるだけだ。佳奈さんは小さめのショルダーバッグ、芽以さんは革製のハンドバックを持って来ており、私は布製の安っぽい手提げカバンを出した。
「行ってきまーす」と佳奈さんが言って玄関を出る。おばあさんと母親が見送ってくれた。
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