01
早朝、旅籠屋の前。女将が店先をほうきで掃いている。鴉が頭上で鳴いている。番頭が旅籠屋から出てくる。
番頭 今日はやけに騒がしいなあ。近くで猫でも死んだかね。
女将 不吉なこと言うもんじゃないよ。
番頭 不吉も何も、すぐそこで戦をやってるって話だろう? ここもいつまで無事か。
女将 なら、人の血肉を食いに来たんだよ。綺麗に掃除してくれて清々するくらいだわ。
番頭 皮肉だねえ。おかげで商売あがったりだ。
女将 やだよ、私は。いくらなんでも長州やら薩摩やらを泊めるなんて。
番頭 そうだなあ、いよいよ困ったら、鴉でも泊めてやるか。
女将 その方がよっぽどいいよ。鴉は雀をおっぱらってくれるし、鼠も食ってくれるし。
番頭 金も持ってそうだし?
女将 案外、そこいらの百姓より持ってたりしてね。そういや、今日はあの子を見てないね。
番頭 ひで坊かい?
女将 あの子、人懐こいから、また誰かにくっついてんのかしら。
番頭 いいなあ、俺も誰かにくっついて、食っていけたらなあ。
女将 あんたは鴉になったとこで、狐に食われておしまいだよ。
番頭 こういうのはどうだ? いっそのこと、俺も戦に出るっていうのは?
女将 刀の持ち方から教えてくれる親切な人と出会ってから言うことだよ。
番頭 へいへい、手厳しいことで。そんなだから、いつまで経っても嫁の貰い手が…。
女将 何か言ったかい? え? よく聞こえなかったねえ?
番頭 いやほら、これは、その…あれだ。
笠を被り、杖をつき、鴉を携えた老人が歩いてくる。
番頭 言葉の綾ってやつで…。
女将 さぞかし褒めてくれたことなんだろうね? この私のことをさ? そら、もう一度言ってごらんよ。
番頭 そりゃもちろん、器量良し、見目も良し、胸もでかけりゃ態度もでかい…。
女将 何言ってんだい、この馬鹿!
老人 あのお、すみません。
番頭 はい! はいはい、ただ今!
番頭はそそくさと老人の前に歩み出る。
番頭 今晩のお宿をご希望で? いやあ、運がいいですね、今ならなんと、貸し切り状態! 一番大きなお部屋をご案内できますよ。
老人 宿もそうなんですが、お宅の鴉なんじゃないかと思いましてね。
女将 あらぁ、ひで坊!
老人 お前さん、ひで坊って言うのかい。
老人の語りかけに答えるようにひで坊が鳴く。
女将 よく来る子なんですよ。今日は見ないからどこにいったのかと。にしても、よく懐いてますねえ。
老人 昔から、鴉に好かれる性分でしてね。
番頭 性分、ですか? どっかで聞いたような…。
女将 あんたもそう思うかい? 私もここまで出かかってるんだけど…。
老人 いやはや…身分がバレねえってのは隠密、冥利に尽きるって話だが、こうも見事に忘れられちゃ、さすがの俺も傷つくぜ?
老人は変装を解く。
女将 あれまあ、十ちゃんじゃないの!
番頭 こいつは、一杯食わされたな。
細谷 元気そうで何よりだ。全く、ひで坊にはさっさとバレちまったんだがなあ。
女将 いつこっちへ戻ってきたんだい? ちっとも連絡を寄越さないでさ。
細谷 無茶言うなって。こっちも立て込んでたんだ。
女将 立て込んでたって、せめて次に行くとこくらい教えてってくれなきゃ。
細谷 気安く人に言えるもんじゃねえって知ってるだろ。いくらお前さんとはいえ。
女将 心配するじゃないの。毎度毎度、どこをほっつき歩いてるんだか、こっちは何にも知らないんだから。
番頭 まあまあ、いいじゃねえか。戻ってきたってことは、何か頼みごとがあるんだな? そうだろう?
細谷 そうだよ。別に隠すことでもねえ。ちょっと、やりたいことが出来た。場所を貸してくれねえか?
女将 場所? 部屋なら有り余ってるから、別に構やしないけど…何するつもりだい?
細谷 仙台を守るのさ。
番頭 ははっ、こりゃまた大きく出たな。
細谷 言っておくが、俺は本気だぜ。打てる手は打っておかねえと、後で後悔するからな。
女将 そう…ま、あんたが言うなら、何か策でもあるんでしょうけど。あんまり部屋を散らかさないでよ?
細谷 わかってるって。
細谷は笠を番頭に預けて建物に入る。女将と番頭も細谷に続く。番頭は笠と黒羽織を店先に吊るしに戻ってくる。
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