夏と弟と
@sa0113
第1話
変身譚
アスファルトは悲鳴をあげ、猛暑と呼ばれる厳しい暑さが続く。電光版は慌ただしく文字を並べ、堅苦しい表情をしたアナウンサーが「今年は今までにない」だとか、「記録的な気温に注意」だとか毎年と、同等の台詞を繰り返していた。その滑稽な芸を今日も上空から人々に披露し、そうして見下すように、こちらを見るのだった。大きな乳白色の雲が青い空を登るのとは裏腹に……その夏、私と弟に異変が起こった。
20××年8月
朝、目が覚めた。
私はベッドにすがり付き、起床を拒絶するが、諦めてゆっくりと体を起こす。大量のスマホのアラームが鳴りっぱなしなので、いつもならここでそれを止めるというルーティンが私には存在するのだが…なぜか今日は音がしない。
「ん、えー…」
我ながら情けない声だ。大分しゃがれている。落ちた気分を取り戻すように、あたりを見回した。枕、カーテン、机、棚の中の教科書、それに…
「パンツ…!?」
明らかに男物のパンツを見て、すぐに弟のものだと気づく。それにしてもなんでここに。隠しきれない動揺と共にふと我に帰った。
「ここヒロトの部屋…?」
なぜ弟の部屋で寝ているんだろう。よく見たら小物が全て地味な色で、私の部屋じゃない。場所だって違う。何もわからない。そう、何もわからないのだ。私はそっと、無言で鏡の前へと歩き出した。鏡を見る。そこにいたのは、細く焼けた肌をしている私の弟…ヒロトだった。
「わぁお…」
昨日の英会話の授業のせいか、とっさに英語で感嘆してしまう。まさかあの某新海誠映画のような入れ替わりがあっていいものか。まだ16歳の自分とて、今までたくさんの経験をしてきた。苦手な犬に1時間以上追い回されたり、プールで溺れかけたとき、追い討ちで同級生に足蹴りされて沈められたり…その中でもこの事態は常軌を逸している。どうしたものか。入れ替わったのであれば、私…サクラは…
「どうなっているんだろう」
こんがりと焼けた朝ご飯の匂いがしてきた。
私と弟は早くに両親を亡くし、今は訳あって2人で暮らしている。いつもなら私がご飯を作るのだが、準備をしてくれているのだろうか。そして、一つの希望が頭をよぎる。"私"に会えるかもしれない。"私"になったヒロトに…!急いで食卓に向かう。ベタつく床はまるで焦る私を表しているようだった。勢いよく駆け込む。
「おはよう…!!」
目の前には机に座って朝食を食べる人影が見える。"私"だ。清々しい朝の光が逆光して、白いカーテンを包んでいた。私も"私"を追って食卓に着く。長い手足に戸惑いながらも目玉焼きとソーセージを口にした。
目の前の"私"に目をやる。何も言ってこない…。ここは私が聞くべきか。意を決して口を開く。
「ねえ、私達入れ替わっちゃったみたいだけどこれからどうする…?」
目の前の"私"は何を言い出すのかと不思議そうにこちらを見た。
自分に話しかけるなんて、なんだか気持ち悪い。普段こんな顔をしているのか、私は。
なんともいえない気持ちが腹のなかをぐるぐるしていた。しかし、次の瞬間、私は水面に打ち付けられるかの如く、衝撃と共に沈むことになる。
「何を言ってるのよ、ヒロト」
"私"がにっこりと微笑む。
………は?
中身はヒロトのはずで、私たちは入れ替わった。でも、私はこの人を知っている。
「じょ、冗談よしてよ、今日朝起きたら私たち入れ替わってたじゃない」
"私"がケタケタ笑う。
「何を言っているんだか、口調も真似ているの?細かいじゃん」
冷や汗が首筋に流れる。
"私"が立ち上がり、家を出ようとする。
「ちゃんと戸締りはするのよ、ヒロト。じゃあお姉ちゃんはいってきます」
目の前にいる"私"がそういって元気よく家を出る。それを、私は呆然とただ眺めていた。そう、あれはちゃんと私なのだ。
私は棚の上にあるデジタル時計に目をやった。
「8月24日…」
時間が1日前に戻っている。というよりおそらく、私が過去の弟になっているのだ。じゃあ、過去の弟は未来の私と入れ替わったのだろうか。
とりあえず学校へ行こう。弟のために、弟の代わりに。いささか困惑しながらも、弟の中学校生活を死守するため、私は自分の母校でもある東陽中学校へ走り出した。
学校へ着くと、私は弟の教室を探した。
「たしか、2年…D組っと」
弟は中学2年生だ。私は高校2年生で年齢にして約三歳差である。それなりに仲もいい。弟は真面目でイケメン、運動も勉強もできる。いわば優等生というやつになるのだろうか。対して私もそれなりに勉強はできるが、運動音痴と楽観的な性格が弟とは対照的だ。まあ頑張って弟を演じ切ればいい話…
そう思いつつも、教室が見つからなくて挙動不審になってしまう。
するとうしろから誰かにどつかれた。
ものすごい悲鳴をあげて、後ろを振り返ると、そこには弟の親友の一馬君の姿があった。
「よお、ヒロト、元気かー?」
相変わらずヤンキーのような口調で陽気に聞いてくる。私はこいつが嫌いだ。家に来る時いつもうるさい。
「う、うん、元気だよ。おはよう」
ぼそぼそと答えた。
「元気ないじゃあねえか、まあそういう日もあるよな!」
お前が元気すぎるんだよ、と心の中で小さく舌打ちをする。
「ところでさ、明日花火大会あんだろ?俺と行かね?」
花火大会…なぜだか胸がぞわっとした。
「お、俺、家族と行くことになってるんだ。姉ちゃんと…」
「ああ、そうなのか!なんだよ、俺は誰と行けばいいんだ!!」
涙ながらに訴えてくる一馬は、ちらりと窓側の席に座る可愛らしい女の子を見た。
「俺…九条さん誘おうかな。」
一馬が言う。
「九条さんってあの、すごく可愛い子?」
「そうだよ…ってお前知ってるよな?俺が九条さんのこと…」
キーンコーンカーンコーン
懐かしいチャイム音が廊下に響き渡る。
「や、やべえ、早く教室行かねえと!」
ほら行くぞと手を引っ張られ2人で教室に走ってむかった。
無事、1日が終わりクタクタになって家へ帰る。ここら辺はどこもかしこも草だらけで田舎感が否めない。太陽は弟のサラサラの茶髪をちりちりと焼いた。家に着くなりすぐにベットになだれ込む。明日だ。明日になったらきっと全部元通りだ。明日考えよう…。
そう言い聞かせて私はそのまま弟のベットで眠りについた。
ピピピッピピピッピピ〜♪
謎のアラーム音で目が覚める。体はまだ弟のままだった。昨日は鳴らなかったはずなのに、なんで…。それにしても弟のアラーム音は趣味が悪い。朝が嫌いになりそうな音だ。スマホ見ると、スケジュールアプリから連絡が来ていた。
「花火大会…」
バッと時計を見る。
「13時!?」
流石に寝過ぎている。急いで着物に着替える。花火大会の会場はとても遠く海沿いの都会。電車で何時間もかけて行くつもりだったのだ。
そして家を出発する時間は…
「ヒロトー!!そろそろ行くよ」
ひぃ、と弱音を吐く。そう、もう出発する時間なのだ。急いで準備をして、"私"と一緒に電車に乗り込んだ。
花火会場は賑わっていた。たくさんの屋台が並びオレンジ色に光る様子がなんとも幻想的だった。途中一馬とすれ違った。
「お!よおヒロトー!」
慌てて手を振り返す前に、一馬の隣に赤色の浴衣を着た可愛い女の子がいることに気づいた。
「一馬やるじゃねえか…」
ぼそっとそう言って手を思い切り、振り返してやった。
今日は8月25日、私が過去の弟と入れ替わった日。何をしていた時に入れ替わったのか実はあまり覚えていない。花火大会にきた記憶だけはあるのだが、それ以外は何も覚えていない。隣にいる"私"が私にりんご飴を差し出してきた。ああ、そういえばあげたなあと思いつつ感謝の気持ちでりんご飴をかじる。弟とは仲がよかった。もちろん喧嘩もするし、嫌いなところもいっぱいあるけど、ゲームをしたり、美味しいご飯を一緒に食べたり、楽しい思い出の方が多い。両親を亡くしてから苦労することが多かった。2人でたくさん乗り越えてきた。私達はお互いが大切な家族なのだ。過去の弟は未来の私になっているのだろうか、もう少し先の未来にいるのかな。考えれば考えるほど難しい。まあ、いつか戻るだろう。今はただ、目の前の"私"を混乱させないようにしよう。と考えていた。ただ、私は何かを忘れていた。すごく大事な何かを…
その時、誰かの悲鳴が聞こえた。
「おーい!!トラックが突っ込んでくるぞ!」
目の前には屋台をバタバタとなぎ倒してこちらに向かってくる車が見えた。
気づいた瞬間私はトラックに轢かれていた。
8月26日、目が覚めると私は元の体に戻っていた。呆然と天井を眺めた。目からポロポロと涙が溢れる。
ああ、そうだった…。張り裂けそうになる胸を必死に掴んで、抑え込む。
"あの日弟は死んだのだ"
突っ込んできたトラックに轢かれて死んだのだ。花火の音と騒ぎ声、そして目の前の弟の崩れた死体。私はそれを見て吐いた。嗚咽が止まらなかった。ただ苦しかった。
視界が真っ暗だった。気づいたら1日前の弟になっていた。
私の机の上にはぐしゃぐしゃになったメモ用紙が置かれていた。
「ごめんなさい」
その紙には弟の字でそう書かれていた。
アスファルトは悲鳴をあげ、猛暑と呼ばれる厳しい暑さが続く。電光版は慌ただしく文字を並べ、堅苦しい表情をしたアナウンサーが昨夜花火大会で起きたトラック事故について報道している。大きな乳白色の雲が青い空を登るのとは裏腹に……大切な家族は姿を消した。
夏と弟と @sa0113
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