変身中毒

@12po34n

第1話

朝に飲むのはやめようと思ったが、我慢できなかった。体の中から湧き上がってくる快楽が頭から離れない。僕は今まで自分が平凡であることを自覚していなかった。自分は平凡なのか特別なのか考えたことがなかった。入学してから、才走った同級生やしおらしい姿をした者たちに劣等感を抱くようになった。自分には何も魅力や特技がないと思うと、死にたくなる。明日に希望を持てず、今日にしがみつくように3時まで起きている毎日。スマホを凝視することだけがその劣等感をかき消した。2月になり、1年生が終わろうとしているのに、気の置けない同級生はいなかった。僕の名前を知っているのは、先生だけだろう。ある日の放課後、僕の部屋で暖房をつけてスマホをスクロールしていたとき、モビリ健康社の広告が画面を埋め尽くした。モビリ健康社は製薬、コンビニエンスストアから自動車産業まで手がける一大企業。ここが販売する「モビリスサプリ」は、ネット界隈の一部で絶大な人気を得ていた。しかし「被害者」がサプリの販売停止を訴え、健康社の前で運動を起こす様子がニュースで取り上げられることがあり、被害内容が暴露されたり、その効果を疑問視する声も上がったりしていた。それでも欲しい。実際に変身できるサプリが。健康社のショッピングサイトで1種類から購入できるようだ。まずは3種類を900円で注文した。火曜の放課後、ダッシュで帰宅し家族にバレないように玄関先で荷物を受け取った。開くと「モビリスサプリ」の文字だけで成分表示や注意書きが何一つない。ブリスターパックが3つ入っており、それぞれにトリ、トカゲ、サルと印字されている。トリのサプリを押し出して飲んだ。するとシュワシュワと腹部から音が聞こえた。サプリと胃液が反応している。不安で汗がブワッと吹き出た。死にたくないという思いが頭の中をグルグルと駆け巡り、気を失った。泣きながら死を受け入れた。まぶた越しに光を感じ、思わず眼を開けると眼の前には水平線に沈む太陽がこちらを照らしている。両手を広げて海上を飛行し、上昇して雲を突き抜け、背の高い入道雲の間を縫うように滑空していく。変身できた。両翼に当たる風が心地よい。突然、前方の島から助けを求める甲高い声が聞こえた。眼下に広がる樹海の中で、今にも蛇に喰われそうな黄色い鳥がいた。その大蛇を真上から鉤爪で引っ掻き、追い払った。襲われそうになっていたその鳥は、ピローという名のメスの鳥であった。彼女の眼は青く輝き、ひよこのようにも見えた。僕は咄嗟にキオロセと名乗ってしまった。「この恩は一生忘れません。私たちの村であなたを労いたいです。こちらへいらっしゃってください。」とピローがその村まで案内をしてくれた。村までの道中の様子や会話は覚えていない。彼女の背中だけが記憶に残っている。木材でできた建物が突然眼の前に現れた。そこは、人間の世界でよく見るような村で、平屋建ての建物が山間に林立していた。マイヤーはなぜか僕の名前を知っていた。ピローから話を聞いたそうだ。マイヤーはピローの父親で、この村の長だ。その夜、僕は、ピローを助けた英雄として讃えられ、すべての村人が集まるパーティまで開かれた。料理人もウェイターも演奏家も鳥。この村ではエクレアが名産らしく、数えきれないほどのエクレアが振る舞われた。食感はまるで枕のようにしっとりでほっぺが落ちるほど美味しかった。5年後、僕はピローと結婚した。容姿端麗な息子と才色兼備な娘が生まれた。僕は芝生に寝そべって空を流れる真っ白な雲を眺めていた。するとピローがやってきて、一緒に空を眺めた。心地よい時間だった。左足はすでに無く、僕は空を飛べなくなっていた。覚えているのは消えたときの痛みだけ。失った理由を考えるより、空と雲が作るこの素晴らしい景色をピローと共有することがより有意義に感じられた。あたたかい風が心地よい。風に運ばれてくる草木の香りも心地よい。富も名声も何もかも得ることができる最高の世界。今日は疲れた。意識が飛ぶような感覚に襲われ、寝てしまった。ピーピーとご飯が炊けた音で目を覚ました。目の前には真ん丸の照明が天井にくっついていた。僕の部屋だ。戻ってきてしまった、人だったときの記憶が瞬時に蘇る。ここ一週間良いことが一つも無かった。何も悪いことをしていないのに。金曜日の午前3時、そんなことを考えながら眠りに落ちた。月曜日の放課後、またサプリを買おうと引き出しにある財布を覗いた。お金が無い。残っているのは10円玉1枚と1円玉が2枚だけだった。どいつが盗んだのかすぐに見当がついた。警察に連絡し、これにて一件落着。スマホをスクロールすると、「誰でもできる!サプリメント無しでなりたい自分になる方法」というモビリ健康社のサイトが表示された。あの世界へ帰りたいという強い願望が指先を支配した。開くと100を超える項目が載せられた目次が画面に大きく映し出された。①をタップすると、「ブランコから落ちる(変身度高い)」と細かく変身までの手順が載っていた。近くの公園で試し、ブランコから落ちた瞬間、気絶するように寝てしまった。まぶた越しに光を感じた。あの時と同じような感覚。目の前に映ったのは真っ白な天井と吊り下げられた蛍光灯だった。巨大なベッドと着ている服から病院だということが分かった。手順通りにやったのに帰ることはできなかった。消灯時間中、どの箇所で手順を間違えたのか必死に思い出そうとした。午前3時、諦めて目を閉じたまま寝た。頭が割れる程度の怪我なのに3週間も入院する羽目になった。帰宅し、スマホをスクロール。②をタップした。また帰れなかった。③も④も試したが、無理だった。63番の方法を試したときにはすでに、頭、両腕、右足は包帯でグルグル巻きに、背中は毒虫に刺されて腫れていた。この世界には僕を理解してくれる奴はいない。今更、諦めることはできないし、鳥の世界にいればすべて解決するのに。ここまで努力をしたんだ。もうすぐ報われるはずだ。95番「焼身する(変身度高い)」これを見た瞬間、英雄として生きたあの頃の思い出が追想された。これを達成すれば、帰れる。午前3時、公園へ走って、チャッカマンでシワだらけの服に火をつけた。燃え広がるのには時間がかかった。あたたかい風が心地よい。風に運ばれてくる草木の香りも心地よい。すると、あの世界での記憶や光景が鮮明に目の前に広がる。最高に美味しかったエクレアの味、左足が消えたときの痛み、心に残る思い出に色がついてきた。その場に横たわり、あのときの芝生を肌に感じた。帰れる。感極まって、泣きながら目を閉じた。部屋のゴミ箱にはトリと書かれたブリスターパックが54錠分。1つ残らず、使用されていた。「被害者」による販売停止の運動を受け、1年間の調査の末、モビリ健康社は、製造過程に誤りがあったモビリスサプリが破棄されず、何者かによって無断で販売されていたと公表した。サプリの依存性を抑えるために、本来は変身中の記憶を消す成分が配合されるはずだったという。

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