夏の終わりと動物たち

@fjysmtk

動物への変身

日差しが柔らかくなり始めた8月の終わり、私――水島美咲は、何とも言えない感情に包まれていた。高校2年生になって半年が過ぎ、部活も勉強もそれなりに順調で友達との関係も悪くなく楽しい学校生活を送っていた。夏休み中も部活をやったり友達と遊んだりと満喫したはずだ。しかしなぜか心のどこかで物足りなさを感じていた。その感情をどうしたらいいのか、なぜそう感じるのか、美咲にはわからなかった。


 ある日、部活が終わりの学校からの帰り道、いつものように人が忙しなく歩き、車が行きかい、店の行列などの景色を見ながら歩いていると、ふとした瞬間に何かが起きた。何が起きたか分からず足元を見ると地面がとても近いのだ。ぎょっとして近くのガラスに反射した自分を見た。そこには犬の姿があった。信じられない気持ちで周りを見渡すと、街並みがいつもより低く見える。人々の足音が耳元で響き、匂いが鮮明に感じられた。戸惑いながらも、無意識に四つ足で走り出した。道を進むと、ちょうど夕方の散歩の時間なのかあちらこちらでリードに繋がれた犬が人間と一緒に歩いていた。慌てて自分の首を見てみたが自分にはリードは付いていない。ほっとして周りを見渡すと周りの犬がみんな私を見ていた。彼らは興味深そうにこちらを見つめているが、その視線から感じるのは「驚き」という感情だった。私は自分が見透かされているような感覚になりだんだん居心地が悪くなって無我夢中でその場から逃げてしまった。やがて、住宅街の一角にたどり着き、道端に座り込む。息を整えながら、どうしてこんなことが起きたのかを考えたが、答えは出なかった。そのうち日が暮れてきてどうしようか途方に暮れていると、ガサガサと音がして何かがこっちにやってくる音がした。怖くて身を縮こまらせて目を瞑っていると

「こんなところで何してる?見たところ君はどこかの家の飼い犬ってわけじゃ無さそうだ。何か困っているのかい?」

恐る恐る目を開けるとそこには真っ黒な犬がいた。私が何も言えずにいると彼は私に着いてくるように行って歩き出した。

「何処へいくの?」

「ここら辺一帯はその家の犬の縄張りなんだ。このままここにいたら君は危ない。行くところがないなら私の寝床にくるといい。あまり立派なものでもないが」

私は警戒しながらも他に行くところもなかったのでご厚意に甘えることにした。住宅街を抜け、狭い路地に入っていく。辺りはゴミが散乱しておりカラスがつついている。やがて古ぼけた毛布やらマットやらで出来た、この犬の寝床らしきところについた。

「さぁついた。ここが私の家だ。ちょっと狭いが好きなところで寝なさい。他の場所よりは安全だから。」

「ありがとう連れてきてくれて。あなたの名前はなんていうの?」

「名前?人間じゃないんだからそんなものない。変なやつだな。」

私は自分が人間であることがバレたかと思いドキッとした。なんとか話を変えようと気になっていたことを聞いた。

「あなたはいつからここにいるの?飼い主はいないの?」

「いつから…か。私は生まれた時から飼い主はいなかったからな、母親は私を産んですぐ死んでしまったから私は明日を生きることに必死でいつからここにいたかなんて覚えていない。こんな路地にいるような動物はみんなそんなもんさ。自分が生きることに執着してもがいでいる。さあもう寝なさい。あまり遅くまで起きてると良くない。」

私はその話を聞いて絶句した。なぜなら私は生まれた時から十分な食事と家と親からの愛をもらっていたから。自分とはかけ離れた境遇に衝撃を受けてその夜はあまり眠れなかった。


翌日、目が覚めると、元の人間の姿に戻っていた。まるで夢でも見たかのような気持ちで学校へ向かったが、その日の帰り道、再び異変が起きた。今度は、体が軽くなり、足元がふわふわと浮き上がる感覚がする。ふと、羽ばたく音が聞こえた。今度はカラスになっていたのだ。最初は混乱してパニックになっていたものの、だんだんと空を飛ぶ感覚に慣れてきて、大空を飛び回る自由な感覚に心が躍った。人々の上を通り過ぎながら、普段見慣れた景色が違った角度から見えてくる。自分のいつもの視界にはほぼ人間しか写っておらず、人間だけで完結する世界だった。しかし空から改めて街を見てみると様々なところに動物や虫や植物がいて、人間と共存していた。きのう会った黒い犬のようにそれぞれに自分の生活があって必死に生きている様子をみることができ、自分が変身できるようになった理由について考え始めた。しばらく飛んでいると疲れてきたので木々の枝の間を滑るように飛び、屋根の上に止まる。そこで一羽のカラスと目が合った。そのカラスは、まるで私を知っているかのように鳴き声を上げた。私も同じように鳴いて返した。彼女は翼を広げ、私を導くかのように飛び去っていった。彼女が降り立った先はきのう犬が案内してくれる途中で通った路地裏だった。そこにはまだゴミが散乱しており、それをつつきはじめた。

「何をしているの?ゴミは汚いよ。」

「汚い…?汚いだって??お前にはこれがゴミに見えるのか?せっかくここに連れてきてやったのに。」

私は後悔した。このカラスは親切心で困ってた私に自分の餌場に案内してくれたのだ。

次に気づいた時にはもうカラスはいなくなっていて夕日が沈み始めていた。私はもう一度空へ飛び立った。空の上からみる夕日はいつも見ている夕日とは全然違った。いや、いつもは夕日なんて見ていなかったのかもしれない。人間のころの自分の視界がいかに狭いのか、いつもあたり前だと思っていることがどれほど貴重なのか実感した。


数日後、私はまた別の動物になった。今度は蝉だ。近くの林の一本の木にしがみついていた。近くにはたくさんの蝉が競うように鳴いており、圧倒されてしまった。そろそろ夏が終わってしまう。たった1週間という短い一生を精一杯生きようとする姿はかっこいい。夜になり、あたりが暗くなっても蝉の鳴き声は止まらない。私も一緒になって鳴いていた。ふと下を見てみると、地面から蝉の幼虫が私がいる木に這い上がってきた。すると背中が割れて真っ白の蝉が出てきた。脱皮を始めたのだ。ゆっくりゆっくり慎重に茶色い殻を破って純白の美しい羽や体が出てくる。その幻想的な光景に思わず息を飲んだ。体が全て脱皮を終え、羽を乾かし始めた。私はしばらくその姿を見ていた。

あたりが白み始め、朝になりまた蝉たちは泣き始める。私も鳴くのを再開した。すると突然あたりが騒がしくなった。私は訳も分からず混乱していた。木からガサガサ音がするのだ。恐る恐る上を見てみるとそこには何匹もの鳥がいた。どの鳥も私達蝉をギラギラした目で見下ろしている。本能的な恐怖を感じた。頭では逃げようと思うのに体が動いてくれない。そうこうしてる間に鳥が襲ってきて周りにいる蝉たちをどんどん捕まえていく。私はなすすべがなく、必死で木にしがみつきながら仲間が食べられていくのを見ているしかなかった。

気づいたらあんなにいた蝉は数匹しか残っておらず、鳴き声の数も減っていた。悲しくて呆然としていると

「大丈夫か?」

隣から声がした。驚いて見てみると羽がボロボロになった蝉がいた。

「あなたこそ大丈夫?その羽…ボロボロじゃない…。」

「こんなの大したことはない。というか気にしていない。俺はたくさん鳴いて見つけてもらうんだ。」

「たった1週間しか生きられない上に、たくさん敵もいて、短い一生すら満足に終えられないかもしれないのになぜ泣き続けるの?」

私はずっと疑問だったことを聞いた。

「一生が短いか短くないかなんて関係ない。どれだけ充実していたかが重要なんだ。例えば寿命の長い人間や亀なんていう動物だって明日なんの前触れもなく死ぬかもしれない。命なんてそんなもんさ。だから後悔しないように精一杯生きるのさ。自分の生きる意味を見出すんだ。」

私は蝉と人間とでは全然違くて、蝉に対して哀れみの感情を抱いていたんだなと感じた。そしてそれはとても失礼なことだと感じた。どんな生き物にだって明日生きている保証はない。だからこそみんな必死に今を生きているんだ。最初に会った犬も、カラスも、そして蝉もみんな今を大切にしていた。私は私が色々な生き物に変身した意味を教えてもらったような気がした。

「ありがとう私は今まで…」

振り返ってお礼を言おうとした時

ポト…。

その蝉は私の隣から地面に落下した。寿命を迎えたのだ。


ハッと気づくと元の場所に戻っていた。相変わらず人々は忙しなく道を歩き、車は道を走り、人気のお店には行列ができていた。変身する前と何も変わらない。私は今までのことは全て私の夢だったのではないかと思ったが、確かにいろんな生き物に変身し、その中でそれぞれがどのようなことを感じ、考え生きているのか知ることができたその記憶は残っている。たとえ夢だったとしても、この記憶は忘れたくない。そう思った。そして出会った動物たちに誇ることができる、これからはそういう生き方をしたい。その思いを胸に刻んで再び私は家に向かって歩き出した。

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