第45話 「53万姫様」
赤黒い繭は割れなかった。
そのまま中心のゼロスに吸収されるように、あるいは圧縮されるように、どんどんと小さくなっていき――遂にはゼロスらしき者の全身をスーツのように覆い尽くした。
そうして現れたのは、ゼロスとは似ても似つかぬ異形だ。
妙に細長い手足。ひょろりと高い身長は、2メートル50センチくらいあるだろうか。全身はどこもかしこも赤黒い血のような色をしていて、表面には青白い脈動がびっしりと走っている。
球体のようにのっぺりとした顔には、青白い脈動が合流して、目らしきものと、口らしきものが雑に描かれていた。人間の造形を模倣してみたが、途中で面倒くさくなって手抜きしてみた感がある。
そして頭部左右からは2本の捻れた角が生え、背中には蝙蝠のような皮膜を持つ翼が一対広がり、腰の後ろからは先が尖り膨らんだ、鞭のように細い尻尾が垂れている。
その姿に――、
「まさか、あれは……悪魔、なのか……!?」
言ったのは、妙な博識さを発揮した、背後のアナベルだ。
続いて――、
「なんて魔力なのよ……ッ!? 私じゃもう、ギルガとの差が分からないくらい巨大な魔力だわ……!!」
エルフが愕然とした声で言った。
「まさか……!? ギルガ殿に匹敵するというのか!? いや、むしろあれが伝説の悪魔だというのなら、もしかしてギルガ殿よりも……!!」
「拙者たち、逃げるでござるか? それとも……ギルガ殿に加勢するでござるか?」
慄然とした声でレオナが言い、覚悟を秘めたような声音で、シズが言う。
一方、訓練場の反対側でも声があがった。
「まさか団長が負けるかと思ってひやひやしたぜ!」
「バァカ!! 団長が負けるわけねぇだろ!!」
「赤髪の兄ちゃんよぉ、こうなった団長はマジで無敵だぜぇ!?」
「たぶんドラゴンにも勝てんじゃねぇか!?」
「げひょっ、げひょげひょげひょっ!! 一時はどうなるかと思ったが、さすがはゼロスよ!! おい聞け下郎ども!! ゼロスのこの姿こそ伝説に謳われる悪魔そのものなのだ!! ゆえに! お前らはもうおしまいだ!! 悪魔となったゼロスには誰も勝てん!! 分かったら精々死ぬまでの間、祈りの言葉でも唱えておるのだな!! さあ! 奴らを殺すのだ、ゼロスよ!!」
あの変態、ずいぶんと不思議なことを言うな。
悪魔が人間の言うことなんて聞くわけねぇだろ。ゼロスの意識も、とっくになくなってるに決まって――
『言われるまでもねぇ。この野郎は俺が念入りに殺してやる。俺を舐めたことを散々後悔させてからなぁ……!!』
「……何? まさか意識が残ってるのか?」
おいおいマジかよ、どうなってんだよ。
俺は結構、本気で驚いてしまった。
悪魔がゼロスに従っているのか? それともゼロスが悪魔を支配している?
ゼロス君、やっぱり実力を隠していたのか?
驚く俺の表情を勘違いしたのか、ゼロスらしき悪魔が不思議と頭に響く声で嗤う。
『クハハ……ッ!! その表情、どうやら知ってるみてぇだな? そうだ。普通なら、魔人剣で悪魔を受肉すれば、剣の使用者は悪魔の依り代となり、死ぬ』
ゼロスはすぅっと、音もなく静かに空中へ浮かび上がり、余裕を見せるように手を広げながら、こちらを睥睨した。
その様は、もはや自分の勝利を確信しているようでもある。
『だが、俺は、俺だけは違う。なぜなら……俺には特別な力があるからだ。神から貰った最強の能力――【ウェポン・マスター】。この能力を持つ俺は、世界中のあらゆる魔剣、呪剣、聖剣、神剣……使用に素質と資格を要求する剣でも、使用者に代償を要求する剣でも、いや、剣以外でもそれが武器であれば、一切の代償を支払うことなく、無条件で武器の持つ能力を完全に支配することができる』
能力? 魔術や魔法でもなく、竜眼のような種族固有の身体能力でもなく、そういう能力?
初めて聞く能力だ。ジジイからも聞いたことがない。
しかし、そんな能力があるから俺の竜牙剣も狙ってたのか。
俺は使う必要ないから使ってなかったが、この大剣にも魔術付与された機能が色々あるみたいだからな。
『分かるか? つまり俺は、魔人剣が使用者に要求する代償……肉体と命を支払うことなく、むしろ受肉した悪魔の肉体と能力を自由に使うことができるんだよ!!』
「なっ、何よそれ……!! そんなの無敵じゃない!!」
悲鳴のような声でエルフが叫ぶ。
背後でレオナたちが絶望するような気配がした。
――悪魔。
それはドラゴン的評価で『念入りに踏み潰すべき糞』という極めて高い評価を与えられた、通常はこの世界とは異なる世界に暮らす種族である。
悪魔は強さによって階級を持ち、もっとも低い「
「貴族級」は下は「士爵」から上は「公爵」まであり、1つ階級が違うだけで別の生物かと思うほどに、強さの桁が違う。
かつて「男爵級」の悪魔が1体だけ現れた時、人間の国が1日で滅んだことがあるらしく、悪魔の脅威だけは今も人間たちに伝わっているらしい。
エルフたちの反応を見る限り、魔人剣が悪魔をこの世界に受肉させるために、とある悪魔によって作られた剣だということは忘れられているようだが……(ドラゴンが暴れたせいかもしれん)。
『理解したか? そして絶望したか? なら更に絶望させてやる。この魔人剣に宿った悪魔はなぁ……男爵級の悪魔なんだぜ?』
「男、爵級……!?」
「バカな……!! 国落としの悪魔と同じ階級じゃないか……!!」
さすがは騎士というべきか、アナベルとクレイグは悪魔の逸話も知っていたらしく、ゼロスの言葉に驚愕していた。
まあ、「名有りの悪魔」だったみたいだし、貴族級なのは確かだろう。
『理解したら絶望しろ。俺を侮ったことを後悔しろ』
ゼロスが剣を振り上げる。魔人剣に走る脈動が加速し、膨大な魔力が集束していく。大気が轟々と唸りながら剣の周りで渦を巻き、不気味な赤黒い色に染まっていく。
風の内部で凄まじい摩擦が生じているのか、遂にはバヂンッバヂンッ! と放電までし始めた。
「あ、ああ……!!」
「死ぬな、これは……!!」
魔力感知なんて出来なくとも、ゼロスが剣を振った後にどれほどの破壊が撒き散らされるかは想像できるらしい。背後でアナベルたちが絶望の呻きをあげた。
俺は……
「はぁ……」
思わず、ため息を吐いていた。
悪魔というのはエルフよりも魔族よりも、なお圧倒的に魔力の扱いに長けた種族だ。そのため、保有する魔力量でだいたいの強さが把握できるらしい。
そして現在、ゼロスの魔力量は、たとえば姫様の魔力を「1姫様」とした場合、「1000姫様」ほどある。
姫様は人間の中ではかなりの魔力量だから、その1000倍の魔力を持つゼロス君が調子に乗ってしまうのも無理はない。
俺?
俺はそうだな……だいたい「53万姫様」ってところか。
つまり、男爵級の悪魔は雑魚ってことだ。
公爵級の悪魔はその昔、全盛期のジジイと互角に戦ったとか聞いていたから期待していたんだが……男爵級じゃなぁ……。所詮は下級の貴族だし。
『おい……おいてめぇッ!! 何だその残念そうな顔はッ!!?』
しかも本来の男爵級悪魔ならともかく、ゼロスが操ってるんじゃ話にもならない。
魔人剣の能力を完璧に使えるとか嘯いていたが、完全に嘘である。その証拠に、今ゼロスが放とうとしているのは、魔術レベルの一撃だ。
男爵級の悪魔なら魔法を使えるはずなのだが、ゼロスにその様子はない。
『ふざけるな……ッ!! おいッ、止めろッ!! そのふざけた顔を今すぐ止めろッ!!』
察するに、魔力や悪魔としての能力は使えても、個々の悪魔が培った技術や知識までは再現できないのだろう。
膨大な魔力と悪魔の肉体だけがあっても、魔法は使えないからな。
さらに、だ。
悪魔を受肉させても確かに肉体と意識は奪われないのだろうが、代償が全くないというのも嘘。それが本当なら、自分の魔力を使ってチマチマ戦う必要がない。ずっと悪魔の姿でいれば良いのだから。
おそらく長時間悪魔を受肉させていると、元に戻れなくなるか、乗っ取られるかするのだろう。
『何なんだその腑抜けたツラはぁッ!? てめぇは俺に恐怖し! 絶望し! 後悔しなきゃダメなんだよぉッ!! 断じてこの俺を舐めたまま死んじゃならねぇんだッ!! 分かってんのかコラッ!!』
「ふぅ……武器を支配するだけか。想像以上に……下らん能力だったな……」
『なッ!? て、てめぇッ、~~~~ッ!!!』
どうせなら支配した上で強化でも出来れば良かったのにな。
支配してむしろ弱体化させたんじゃ、話にもならんわ。
期待して損した。
『ああそうかい……!! もういいッ!! てめぇはもうただ殺すッ!! 後悔は死んでから勝手にしろッ!!』
後悔って死んでからできるの? と思ったが俺も一回死んでるしな。転生すれば後悔もできるのかもしれん。
あ、ついどうでもいいこと考えちまった。
『死ねぇッ!!!』
ゼロスが剣を振る。
虚空を裂いた剣の軌跡から、赤黒い巨大な風の刃が放たれた。
飛翔する斬撃に対して、俺は周囲に漂う【ファイア】10個を結集して、魔術を組み替えた。
火系統魔術――【ファイア・ウォール】
燃え盛る火炎が壁となって俺の前に立ち上る。
ゼロスの斬撃はわずかに曲面を備えた【ファイア・ウォール】の表面を流れ、左右に割れて背後へ飛んでいった。
「「「きゃぁああああっ!!?」」」
エルフたちの叫び声とほぼ同時、何かを盛大に破壊する轟音が響く。
思わず背後を振り向くと、俺たちが壁をぶち抜いてきた城の一角が、激しく粉塵を撒き散らしながら、見るも無惨に瓦礫の山と化していた。
ちなみに、エルフたちは俺の後ろにいたので無事だ。
「わ、儂の城がぁああああああああああああああッ!!?」
変態の絶叫。どうでもいい。
俺は【ファイア・ウォール】を消して、ゼロスに向き直った。
『――――は? 何、で……生きてやがる、てめぇ……!?』
宙に浮かぶゼロスが愕然と呟いた。
「お前が弱いからだろ」
『――――ッッッ!!!!』
「じゃ、今度は俺の番だな」
ゼロスの斬撃を防いでいる間に、準備は終わっている。
残っていた44個の火球の内、10個は【ファイア・ウォール】に使った。
残りは34個。俺はこれを1つに纏め、構築し直していた。
火系統魔術――【ファイア・ジャベリン】
槍の形となった灼熱の炎が、俺の右手に握られている。
俺は上空に浮かぶゼロスに向かって、炎の槍を投擲した。
『待ッ――!!?』
ボッ!!
と、槍は刹那の間にゼロスへ到達。その腹部を貫き、ゼロスごと空高くへ飛翔していく。
やがて上空数百メートルも昇ったところで、槍が弾けた。
――ドォオオオオオオオオオオオオオオンンンッッ!!!!!!
炎の槍は灼熱の巨大な火球と化し、オワタ全域を昼よりもなお明るく照らし出した。
音は遅れて聞こえてくる。
魔力感知でも竜眼でも、もはやゼロスの魔力は知覚することもできない。魔人剣ごと、完全に消滅していた。
「「「…………」」」
恐ろしいほどの静寂。
やがて、ゼロスが飛んでいった空を見上げていた変態侯爵と騎士どもが、ゆっくりと顔を戻し、こちらに視線を移す。
「――――は?」
首を傾げた変態その他は、まだ現実を受け入れていない顔をしていた。
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