第8話 「おそらく、竜人です」
アナベルの高圧的なセリフに思わず死を覚悟しましたが、どうにかアナベルを黙らせ、事なきを得ることができました。
赤髪の男性は、あれくらいで人を殺すような短慮な方ではなかったようです。怒っている様子もありませんし、実は優しい人だという可能性を切実に望みます。
とにもかくにも落ち着いたところで、もう一度男性に声をかけました。
「申し訳ない。少し、話を聞かせていただけるだろうか?」
しかし、この対応は間違っていたようです。
男性は呆れたようにため息を吐くと、不快そうに私を見上げます。
「――小娘、
「――っ!? ごっ、ごめんなさい!!」
ぴえっ!?
私は思わず謝罪し、急いで馬から飛び降りました。
やっぱり優しい方ではないのかもしれません。
いえ、というよりも、やはり私の対応が間違っていたのでしょう。確かに馬上から一方的に話すのは非礼だったかもしれません。
……まあ、もしも男性が平民だった場合は、別に非礼には当たらないのですが……服装はともかく、男性の態度から彼がただの平民であるという可能性は皆無です。
彼はアナベルが口にしていた「姫様」という言葉も聞いているはずですし、私たちの装備などから、少なくとも全員が騎士階級相当の身分にあることは察しているでしょう。
その上でなお、先ほどの言葉なのです。
彼の言葉や態度からは、むしろ自分の方が立場は上だという認識が窺えます。だとすればやはり、立場が上の方に馬上から一方的に話しかけた私が非礼なのでしょう。
あるいは、もし仮に目の前の男性が何の社会的地位も持たない人物だったとしても、もはや偉そうに対応する勇気は、私にはありません。
王女という地位が、今この場で私の命を守ってくれるわけではないからです。
彼がその気になれば、私たちなど一瞬で、文字通りに消し飛ばしてしまえることを、私は知っているのですから。
というか率直に言って、優柔不断な我が父よりも、よほど王様然とした傲岸不遜さを感じます。
だからこそ、彼の不興を買うような言動は命取りにな――
「おい貴様ぁッ!! 不敬にも程があるぞ!!」
アナベルぅうううううううううう!!!!!?????
黙ってなさいと言いましたよね!?!!? 私言いましたよね!?!!?
何ですか貴女は私を殺すつもりなんですかそうなんですか!?!!?
「アナベル黙りなさい!!! 他の者たちも落ち着きなさい!! というか馬から降りて!!」
性懲りもなく激昂したアナベルを黙らせ、殺気立つ他の者たちも落ち着かせます。ええ、それはもう全力で。
幸いにして、彼はアナベルの態度にも怒りを露にはしませんでした。
私は一刻も早く王都に帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、最初に話しかけてしまったのは私です。どうにか不快感を抱かせないように会話を切り上げる必要があります。
それから、会話中一度だけ。
なぜか赤髪の男性――ギルガ様というお名前だと、少し後になって判明します――の魔力が、荒ぶるように蠢き始めたのを感じて、私は思わず天国でお父様とお母様(存命中)が手を振っている光景を幻視してしまいました。
ですがその後は、何事もなかったかのように、ギルガ様は私の質問に答えてくださいました。
その話によると、ギルガ様はキプロス山に一人で住んでいて、日々、狩りをしながら暮らしていたそうです。
はっきり言いますと、まったく信じる気にはなれません。人がおらず不便で、竜のいる山に、なぜわざわざ一人で暮らす必要があるというのでしょう。
本来ならばその点を深く問い質すべきかもしれませんが、そんなことは不可能です。嫌です。怖いです。
ああ、それから。
ギルガ様に名乗った時のことなのですが、私がミスティア・ルーングラム……つまり、ルーングラム王家の人間だと名乗っても、ギルガ様は眉一筋動かしませんでした。
さすがにルーングラム王国の名を知らないはずはありませんから、やはりギルガ様は一国の王女など歯牙にもかけぬお立場のようだと、確信しました。
実のところ、この時点でギルガ様の正体については、薄々と察していたのです。
とにもかくにも、この後もギルガ様からドラゴンの様子などを聞き、命を喪うことなく無事に会話を終えることができました。
ギルガ様に丁寧にお礼を述べ、その背中を安堵しながら見送っていると、
「お前ら、もしドラゴンに会いに行くつもりだったら、無駄足になるぞ。今は留守中だ」
振り向いたギルガ様が、不思議なことを教えてくださいました。
「え? あのっ、それはどういう!?」
私は詳しい話を聞きたくて声をかけたのですが、それ以上は答えるつもりはないらしく、ギルガ様はそのまま歩いて行かれました。
「……姫様、背を向けている今がチャンスです! あの無礼な男を処しましょう!」
「絶対に止めなさい!!」
アナベルぅ……。
貴女は後でお仕置きです……。
●◯●
ギルガ様が立ち去った後。
私ほどではありませんが、比較的魔力感受性の高い魔術師団の者たちは、ギルガ様の異常性に薄々と気づいていたようです。
他の者たち――特にアナベルなどが、ギルガ様のあのような態度を許して良いのかと騒ぎましたが、知らないということは幸せなことでもあるのですね。
私たちは先ほど、今際の際にいたのですよ?
「あの方は凄まじい魔力をお持ちです。もしも戦えば、私たちは全員死んでいたでしょう」
「やはり、そうでしたか……」
と、納得したように頷いたのが魔術師団の者たち。
騎士たちも一部の者は、戦士の勘とでも言うべき感覚でギルガ様の実力を察していたようで、神妙な顔をしています。
騒いでいるのはアナベルと少数の者たちだけです。
「しかし、王族である姫様に対してあのような……」
「はあ……アナベル、ギルガ様の瞳を見ていなかったのですか?」
「それはっ……見て、おりましたが……」
ため息を吐いて告げると、アナベルの口調も弱くなります。
ギルガ様の瞳……金色で縦に裂けた虹彩を持つあれは、おそらくは竜眼なのでしょう。
ということはつまり……、
「皆ももう分かっているでしょう? あの方はおそらく、竜人です。私たちが束になっても敵う相手ではありません」
――竜人。
それは遥か昔、竜と人族が交わって生まれたとされる種族です。
竜――ドラゴンがどうやって人と子を成したのかは良く分かっていませんが、竜人を名乗る方々が、竜の特徴を体に備えていることは周知の事実です。
ある者は竜角を生やし、ある者は竜鱗を持ち、またある者は竜尾を腰から生やし――そして竜人の王族ともなれば、それら全ての特徴を備えているとか。
そんな彼らの力は本物の竜には及ばないものの、獣人を超えた身体能力に、エルフを超えた魔力を持つと言われています。
竜人たちは非常に数が少ないですが好戦的で、かつて竜人たちの国に攻め入った古代の帝国は、兵数に桁が三つほども違う差がありながら、完膚なきまでに敗北したという伝説は、今なお有名な「実話」です。
竜人はその一人一人が、まさに一騎当千の武力を持つのです。
そしてそんな竜人たちの中でも、ギルガ様は王族か、それに近い強者ではないでしょうか?
竜の特徴は竜眼くらいしかありませんでしたが、それほどにあの魔力は衝撃的でした。はっきり言って、私の高い鼻はぽっきりと折れてしまいました。
ギルガ様に比べたら、私なんてカスです。天才などと自惚れていたのが恥ずかしい。
同時に私は気づいてしまいました。
竜人であるギルガ様でアレなら、本物の竜、それも伝説に謳われる氷炎竜はどれほどなのかと。戦って勝つ? いえ、戦うとかいう次元の問題ではなかったのです。
うぅ……お腹痛い。おうち帰りたい……。
何で私、こんなところまで来ちゃったんだろう……などと落ち込んでいると、
「ですが姫様、あの男には竜角も竜鱗すらもなかったではないですか。それに一人で武器も持っていませんでしたし……この数なら、殺れたのでは?」
アナベルがバカなことを言い始めました。
貴女……それでも騎士ですか?
乳姉妹として一緒に育ったからか、私のことを強く慕ってくれているのは分かるのですが……この娘、私のことになると途端に判断がアレな感じになってしまうのが困りものです。
いつもはもう少しマトモなのですが……。
「アナベルぅ……たとえ、万が一、私たち全員でかかれば勝てるとしても、ですよ? 武器も持たない方一人を、集団で寄って集って倒そうとするなど、騎士としてどうなのです?」
「姫様に無礼を働いた者を誅するためであれば、それも致し方ないかと」
ダメですねこの娘。早く何とかしないと……!!
しかし、今はアナベルの人格矯正に時間を割いている暇はありません。私はアナベルの戯れ言を黙殺し、先へ進むことにしました。
「皆、騎乗しなさい! 先へ進みますよ!」
「「「了解です!!」」」
ともかく、気を取り直して私たちは先へ進もうとして――、
「――クレイグ? どうしたのです?」
近衛騎士の一人が、ギルガ様が立ち去った方をじっと見ていることに気づきました。
ちなみにクレイグは、4年前にドラゴン討伐へ赴いたメンバーの生き残りです。他の生き残りたちが精神に癒えない傷を負って騎士の役目を退く中、今も近衛騎士として働き、今回も同行してくれた勇士でもあります。
そんなクレイグは、なぜか少しばかり気まずそうな顔をしてから、理由を話してくれました。
「あ、いえ……あの御仁の服なのですが、どこかで見たような気がしまして……」
「服、ですか……?」
ギルガ様の着ていた服は、厚手ですが何の特徴もない服だったはずです。強いて言えば丈夫なので、旅装に使われそうなことくらいでしょうか?
あるいは、騎士たちが鎧の下に着ていても違和感のない服装だったので、クレイグが同じような服に見覚えがあっても、おかしくはないでしょう。
「以前、団長が着ていたような……いえ、すみません。きっと気のせいでしょう。さあ、目的地はもうすぐそこです。行きましょう、姫様」
「はあ……」
クレイグは勝手に納得してしまったみたいです。
そして今度こそ、私たちはキプロス山へ向かいます。
その日の内にキプロス山の麓にある温泉街へ到着し、門の横にある通用口の鍵を開けて、廃墟と化した街の中で夜を明かし――翌日、キプロス山を登って山頂にある氷炎竜の巣穴へと侵入しました。
会ったらいきなりブレスで吹き飛ばされるのではないかという恐怖を堪えながら、それでも前へ進んで近衛騎士たちがドラゴンと出会ったという場所まで辿り着きます。
しかし。
「……いない?」
「……狩りにでも、出かけているのでしょうか?」
そこには昨日、ギルガ様が去り際に口にされていたように、ドラゴンの姿はなかったのです。
結局、巣穴の近くで夕方近くまで待ってみましたが、ドラゴンはその日、帰ってきませんでした。
それどころか――私たちは温泉街の廃墟を拠点として一週間ほどもキプロス山の監視を続けましたが、結局その間も、ドラゴンは一度として巣へ戻って来ることはありませんでした。
いったい、なぜ……?
まさか、ドラゴンは巣を放棄したとでも言うのでしょうか?
そう考えた時、私の脳裡にふと、馬鹿馬鹿しい想像が浮かびました。
竜人たちはドラゴンを崇拝し、信仰しています。それゆえに、ドラゴンとの交流があると真しやかに囁かれているのです。
そして竜人族の王族と思われるギルガ様は、「ドラゴンは留守だ」と言い、それは真実でした。
これらの情報から導き出される結論は……まさか、我が国の窮地を知ったギルガ様が氷炎竜に巣を別の場所に移すよう、お願いしてくださった、とか……?
…………いえ、さすがにこれは、荒唐無稽過ぎますよね。
私たちは疑問を抱きながらも一週間山に滞在し、それからようやく、ドラゴンがいなくなったという事実を知らせるため、王都へ帰還することにしました。
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