第6話 「そこの者、少し話を聞かせてもらいたい!」


「――グォオオオオッ!!」


「あん?」


 生まれ変わったように新鮮な気持ちで気分良く火山を下山していると、道中、気の立ったような熊に出会でくわした。


 威嚇するように後ろ足で立ち上がったそいつの体高は、優に4メートルを超える。額には角が一本生えており、当然だが地球にはいなかった種類の熊で、こっちでは良く狩って踊り食いしていた。


 いつもなら俺の姿を見るなり逃げ出すはずなのだが、なぜか今日に限っては逃げずにこちらへ向かって来た……って、よく考えなくとも、俺が人間の姿になっているせいか?


 しかし、姿が変わっているとはいえ、魔力量は変わっていないのだから、ここまで近づけば敵わないことは理解できそうなものだが……。


 もしかして、魔力感知自体できないのだろうか。


 そういえば『魔力感知はドラゴン以外の哀れな下等生物だと、できない奴も結構いる』とジジイが言っていたような気がするな。


 それでも野生の勘とかで分からないもんかね……などと考えている内に、俺の至近にまで近づいた一角熊が、鋭い爪の生えた前足を振り上げ――そして振り下ろしてきた。


 ボパンっ!!


「グォオオオウッ!!?」


「ふむ」


 熊公が振り下ろした前足へカウンター気味に裏拳を当てると、爆発したように吹き飛んだ。もちろん、熊公の前足がだ。


 変身後の身体能力がまだイマイチ掴めていないので強めに殴ってみたのだが、人間の姿をしていても、それなりの力は出せるようだ。ドラゴンの姿よりもかなり弱体化している感じはあるが、それでも人外レベルの膂力である。


 これなら戦いになっても、そうそうに後れを取ることはないだろう。


「グルルルゥ……ッ!!」


「食料風情が、調子に乗りやがって」


 身体能力の確認は済んだので、怯えたように後ろへ下がる熊公を睨みつける。


 俺は優しいドラゴンだが、襲いかかって来る者には容赦しない。


 さっさと倒すことにした。近づいて戦って服が汚れても嫌なので、魔術で。


「死ね」


 火系統魔術――【ファイア】


 手元で発生させた火炎を撃ち出し、熊公にぶつけた。


 炎は熊公に衝突すると一気に燃え上がり、高い火柱を発生させる。ごうごうと周囲の空気を貪りながら、火柱はしばらく燃え続けた。


 炎を消すと、熊公はすっかりこんがりと焼けた熊肉と化している。


 残念だが血抜きをしていないので美味しくはない。優しい俺は森の動物たちに熊肉をあげることにして、その場を後にした。


 しばらく進み、ようやく麓に到着する。


「む、硫黄の臭いがするな。……温泉か」


 麓にある温泉街の廃墟――その横を通り過ぎようとした時、微かに硫黄の臭いが漂っているのに気がついて、高い防壁に囲まれた温泉街の方を見る。


 入り口の門は固く閉ざされているが、侵入しようと思えば簡単にできるだろう。温泉に入ってみようかと一瞬思ったが、毎日温泉(マグマ風呂)には入っていたので、別に良いかと思い直す。


 そのまま温泉街の横を通りすぎ、門の前から続く街道へ出た。


「確か、ここをずっと真っ直ぐ行けば、でかい都市があったよな」


 空を飛んでいた時に何度も確認しているから間違いない。


 ここから小さな村へ続く脇道が何本かあるが、基本的には、この一番太い街道を真っ直ぐに進めば、何かでかい都市に辿り着くはずだ。


 道に迷う心配はないだろう。


 進んでいく。


 そうして歩くことしばらくして、道の前方に人の気配を感じ取った。


 足を止めることなく進んでいくと、馬に騎乗した人間たちが十数人ほど、こちらに近づいて来るところだった。


 鎧と武器を身につけ武装しているところを見ると、兵士か騎士なのかもしれない。少なくとも、盗賊には見えないな。


「ん?」


 ともかく、互いに用はないし、すれ違うだけ――と思っていたのだが、俺の前方10メートルくらいのところで、騎士たちが馬を止めた。


 めっちゃ見てる。


 めっちゃこっち見てる。


 もしかして、後ろに何かいる? と思って背後を確認してみたが、誰もいない。どうやら騎士どもは俺を見ているようだ。


「そこの者、少し話を聞かせてもらいたい!」


 集団の先頭に立っている騎士――というには少し若すぎる十代半ばほどの少女が、高らかに言った。


 銀髪に青い瞳をした、非常に顔立ちの整った美少女だ。言葉遣いや格好からは、どことなく高貴な雰囲気――有り体に言えば、偉そうな感じを受ける。


 まあ、騎士どもを先頭に立って従えている様子からすると、本当に偉いんだろうな。


「なんだ?」


 とはいえ、目の前の小娘が本当に偉かろうが、俺には関係がない。


 っていうか、この時点で目の前の推定騎士どもを皆殺しにしていないだけ、やっぱり俺は優しいのである。俺が一般ドラゴンだったら、騎士たち全員死んでるよ?


 だってこいつら、未だに騎乗してこっち見下ろしたまま話してるからね。が高いよぉ。


「きっ、貴っ様ぁッ!! 姫様に対して何だその態度は!!」


 俺が優しく問い返したら、銀髪少女の傍に控えていた別の騎士――こちらも少女で、金髪ボブカットだ――が激昂した。


「アナベル! 落ち着きなさい!!」


 今にも剣を抜きそうな金髪少女を、なぜか焦ったように銀髪少女――姫様らしい――が抑える。


「姫様!? このような無礼な男、さっさと斬り捨て――」

「だっ、黙りなさいっ、アナベル!!」

「え、え? し、しかし――」

「良いから黙って!! お願いだから!!」


 何だろう。姫様の様子が変だな。


 顔面蒼白で表情をひきつらせ、冷や汗を流しながらこちらをチラチラと見て、必死に金髪少女を黙らせる。


 それからようやく、馬を数歩進ませて、前へ出てきた。


「申し訳ない。少し、話を聞かせていただけるだろうか?」


「……はぁ」


 俺はため息を吐いた。


 どこの姫様か知らないが、まだ若いからか、常識というやつを知らないようだ。


 優しい俺は口頭で注意してあげることにした。


「――小娘、他人ひとにものを尋ねるのに馬上から話すのがお前の礼儀か?」


「――っ!? ごっ、ごめんなさい!!」


 急いで馬の上から降りる姫様。


 そして殺気立つ金髪少女と他の騎士たち。


「おい貴様ぁッ!! 不敬にも程があるぞ!!」

「アナベル黙りなさい!!! 他の者たちも落ち着きなさい!! というか馬から降りて!!」

「し、しかし姫様!!」

「良いから!! お願いだから!!」

「……っ!? りょ、了解しました……!!」


 姫様の尋常ではない剣幕により、困惑しながらも馬を降りる騎士たち。


 それからなぜか深呼吸を繰り返し――ようやく意を決したような顔をして、姫様が問う。


「えっと、その……この先には廃墟になっている温泉街しかないはずですが、貴殿は、何処から来られたので?」


「あっち」


 と、俺は背後を親指で指し示した。


「あっち…………その、温泉街から? 住民は全員退去させられたはずですが、そこに住んでおられたのですか?」


 ふむ……と、俺はしばし考え込む。


 不躾に他人のプライベートを問い質して、いったい何のつもりだ、この小娘。


 前世で職質された時を思い出して、思わず不愉快になっちまうぜ。


「…………ぴ、ぴぃ……!? あ、あの、別に、言いたくなければ、それで……」


 姫様が涙目で、小動物のようにガクブルと震え出す。


 おっと、こんな子供を泣かしてどうする、俺。大きな器で子供の無礼くらい笑って許してやらねば。


 いかんいかん。どうもドラゴンに転生してからというもの、怒りっぽくなって困る。(ドラゴンとしては)並外れた自制心で理性を保っているが、気を抜くとドラゴンの本能で暴れ出したくなっちゃうことがあるからね。今とか。


 とにかくまあ……不愉快な質問ではあるが、別に隠すほどのことでもないかと、俺は答えてやることにした。


「いや、俺は火山に住んでたんだ」


「か、火山……? キプロス山にですか……?」


 キプロス山っていうのか、あの山。


「ああ、たぶん、それだ」


「あ、あの……キプロス山の、何処に?」


「何処だって良いだろう。お前たちに教える必要があるのか?」


「おい貴様ぁッ!! いい加減に――」


「いい加減にするのは貴女ですアナベル!! 黙りなさいと言ったでしょう!?」


「ひ、姫様……!?」


 またしても激昂する金髪騎士に、もう何か必死にそれを黙らせる姫様。


 俺、そんなに怖がらせるようなことした?


「あ、あの、申し遅れました。私、ミスティア・ルーングラムと申します」


「ん? そうか。俺はギルガだ」


「…………。あっ、はい。ギルガ様、ですね」


 何だ、今の間は。


 例えるなら芸能人が意気揚々と一般人に名を明かしたら、全然知られていなかったみたいなリアクションだ。


「あの、私たちはこれからキプロス山に向かう予定なのです。それで、そちらの方からいらっしゃったギルガ様にお話をお聞きしたいと思いまして……」


「ふぅ~ん……んで、何が聞きたいんだ?」


「えっと、キプロス山にはドラゴンが棲んでいるはずなのですが、ギルガ様は山で暮らしていて、その……大丈夫だったのですか?」


 キプロス山のドラゴン?


 完全に俺のことだな。しかし、大丈夫って何のことだ?


「大丈夫とは? 何がだ?」


「いえ、そのぅ……普通、ドラゴンは自らの縄張り内に人が住んでいれば、殺してしまうか追い出してしまうと思うのですが……ギルガ様はキプロス山のドラゴンに見つからないように暮らしていたのでしょうか?」


 ドラゴンは基本、人間のことを脅威になど思わないが、それでも野生動物と人間とでは対応が異なる。


 人間は欲に駆られてドラゴンを討伐しようとすることもあるからな。それに討伐せずとも、留守を見計らって巣穴に潜り込み、溜め込んだ財宝や巣穴に落ちている鱗などを持っていこうとする奴もいる。


 ドラゴンからすれば非常に鬱陶しい存在であり、ゆえに縄張りから追い出すことが多い。


 野生動物は食料にもなるので追い出すことはないから、その点で言えば、ドラゴンにとっても人間は特別な存在であると言える。人間からすれば堪ったものではないだろうが。


 しかし、姫様……もとい、小娘の問いにどう答えるべきか、迷うな。


【変身】の魔法は非常に高度な魔法であり、人間の中に使える者が存在するとは思えない。もしかしたら存在すら知らない可能性もあり、俺が件のドラゴンだと明かしても信じないかもしれない。


 まあ、ここは正体を隠しておくのが無難か。


「別に隠れちゃいない。毎日狩りをしながら普通に暮らしていた」


「……ギルガ様は、ドラゴンを目撃なさったことはないのでしょうか?」


「ん? ああ、見たぞ」


 毎日見てたぞ。


「それはつまり、ドラゴンにもギルガ様の存在は気づかれていた、ということでは?」


「そうなんじゃないか?」


「……ドラゴンは、ギルガ様を襲おうとはしなかったのですね?」


「そうだな」


 自分で自分を襲うとか、意味が分からないからな。


「あの……ドラゴンが、荒ぶっていた様子などはなかったでしょうか?」


「んー」


 荒ぶっていたって何だよ。荒ぶってねぇよ。


 まあ、単にドラゴンを恐れてるんだろうが、どう答えるべきか……俺をその辺のドラゴンと同じに思われるのは癪だな。


「……あの山に住んでいたドラゴンは、非常に理知的で温厚だ」


「……理知的? 温、厚……?」


「そして、とても優しい」


「ヤサ、シイ……?」


「許可もなく巣穴に踏み込めば殺されるが、煩わしい真似をしなければ、近くに人間が住んでいても気にしない心の広いドラゴンでもある……と、思う」


「は、はぁ……」


「……で、話は終わりか?」


「あ、はい。……お引き留めして、申し訳ございませんでした。そして、お話を聞かせてくださり、ありがとうございました、ギルガ様」


 と、小娘は丁寧に頭を下げた。


 後ろに控える騎士たちも、何人かは渋々とした様子ながら頭を下げる。……金髪の小娘はこっちを睨んでいたが。


「ああ、じゃあな」


 それ以上話すこともない。


 俺は騎士どもの横を通り過ぎ――しかし、ふと立ち止まって背後を振り向いた。


 すでにこいつらの目的が、キプロス山のドラゴン……つまり、俺にあることは分かっている。


 この人数で討伐ということはないだろうし、俺と何か話したいことでもあったのか、それとも単に様子を窺いに来ただけなのか。


 どっちかは分からんが、人間と話すのも久しぶりだったし、これくらいはサービスしてやろう。


「お前ら、もしドラゴンに会いに行くつもりだったら、無駄足になるぞ。今は留守中だ」


「え? あのっ、それはどういう!?」


 慌てた小娘の声が聞こえたが、その時にはすでに歩き出していた。留守だってちゃんと教えてやったし、もう良いだろう。


 俺は振り返らず、人間の都市目指して足を速めた。






「……姫様、背を向けている今がチャンスです! あの無礼な男を処しましょう!」

「絶対に止めなさい!!」






 いや聞こえてるんだよなぁ。


 あの金髪小娘、さてはわからせが必要だな?


 次に会うことがあったら、そうしてやるか……。



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