3.日香の家族たち

 一瞬後、自分の部屋ではない景色が映る。皇宮の外にある広場に移動したのだ。黒髪と黒目、あるいは金髪に碧眼の人々が大勢ひしめき合っている。日香と佳良が転移したのは、広場の片隅にある木陰だった。


「少々距離がありますが、本日はお忍びですのでこちらで」

「そうだね」


 その時、わっと歓声が上がった。凄絶なまでの麗姿れいしを誇る人影が現れ、壇上に立つ。黒髪黒目と金髪碧眼が二人ずつ、計四人だ。黒髪黒目のうち一人は女性で、日香とそっくり同じ顔立ちをしていた。日香に目眩しが必要になる理由でもある。


(わーい、月香、高嶺様! ラウお義兄にい様、ティルお義兄様!)


 心の中で呼びかけていると、集まった人々がほぅと感嘆の吐息を漏らす。


「ああ、お姿を拝見しただけで心の奥まで洗われる」

「さすがは太子様方だ」

「至高の神格を持つ天威師は世界の至宝」

神千国しんせんこくもミレニアム国も安泰だな!」

(うんうん、そう思う〜)


 こっそり同調していると、壇上に佇むもう一人の黒髪黒目がこちらを見た。女神のように整った美貌を持つ青年――高嶺だ。日香の脳裏に直接、美しい声が響く。念話ねんわによる声なき会話だ。


『日香、来てくれたのか。ありがとう』

(高嶺様!)


 続いて片割れである月香の声も弾けた。


『日香ったらやっぱり来たのね。佳良に知らせておいて良かったわ。こっそり抜け出すかもしれないと思って、様子を見に行ってもらったのよ。佳良、世話をかけたわね。ありがとう』

『恐縮でございます』


 最後の念話は佳良にも聞こえるようにしたのだろう。佳良は礼儀正しく目礼を返している。


(よ、読まれてた! 月香は相変わらず賢いなぁ。気品もあるし、淑やかだし。私と同じ顔なのに何でこんなに中身が違うんだろ)


 世間での評判も、日香と月香では雲泥の差だ。月香はこの世界において無上の力である『天威てんい』に覚醒した逸材。一方の日香は力に目覚めなかった無能。『姉は月、妹はすっぽん』と皆が囁くのは当然だろう。

 ――本当は日香にも比類なき力があるのだが、ある事情により隠している。

 念話は双方向にしてくれているはずなので、日香は口を尖がらせて答えた。


『黙って出たりしないよ。皆に迷惑がかかるし、義兄様にいさまにも怒られちゃうもの。……あれ、義兄様は?』


 月香の夫であり高嶺の実兄でもある者がお出ましの場にいない。尋ねると、すぐに応えが帰って来た。


『まだ務めから戻っていない』

『今朝、急な神鎮かみしずめが入っちゃったみたいだよぉ』


 教えてくれたのは壇上にいるラウとティル。高嶺の実兄であり日香の義兄たちだ。ラウは淡い金の長髪に晴れ渡った蒼穹のような瞳。ティルは癖っ毛のある肩までの短髪と夜空のような紺色の眼。


『そうなんですか。残念。テアお義姉ねえ様とミアお義姉様もいないの?』

『ああ、テアも天威師の務めが入った』

『ミアなら帝城の祭祀に参加中だよぉ。前から臨席依頼が来てたやつだからね』


 テアはラウの妻、ミアはティルの妻だ。引き締まった長身に騎士服を愛用しているテアと、小柄で華奢なミアは、見る者に正反対の印象を与える姉妹である。


『そっか。まあまた今度会えますし。にしても、お出ましってこんな雰囲気なんだ〜。皆興奮してますね』


 ちらちらと広場を見渡しながら言うと、月香とティルが応じてくれた。


『そうでしょうね、一般国民が天威師を間近で見られる機会なんてそんなにないもの』

『ちなみに天威師側の対応は自由だよ。俺と月香は笑みを見せてるけど、ラウ兄上と高嶺は無表情で棒立ちだしね。日香は? ここに立つようになったらどうするの?』

『私はにーっこり笑顔で手を振るつもり!』


 元気良く答えると、ラウが小さく噴き出した。


『日香らしいな』

『元気で明るいのが取り柄ですから!』


 遠目に見える家族たちに、にかっと笑いかける。皆が一斉に優しく微笑み返してくれた。

 佳良が周囲に視線を送りながら囁く。


「日香様。雰囲気が分かられたのでしたら、早めにお帰りを」

「はーい。じゃあ皇宮の入口まで転移して、宮までは徒歩で戻るね。転移ばかりじゃ運動不足になるし」

「承知いたしました。それでは皇宮の門近くまで移動いたしましょう」

『日香、後でまた』


 高嶺が念話を飛ばしてくれる。


『はい、高嶺様。失礼します』


 家族たちに一礼し、日香は力を発動させた。視界がぶれ、瞬く間に皇宮の内側に転移する。人通りが少ない通用門の近くだ。門の両脇には武官が二名立っているが、物陰に隠れるよう転移したため、こちらに気付いた様子はない。


「宮までお供いたします」

「大丈夫だよー。佳良も務めがあるでしょ、持ち場に戻って」

「いえ、この時間は外勤扱いにしておりますので」

「あ、そうなの。抜け目ないなぁ。でも、これ以上神官長の時間を使わせたくないし。ここまででいいよ。付いてきてくれてありがとう」

「――左様ですか。それでは、これにて」


 重ねて言うと、佳良は恭しく頭を下げた。そのまま霞のようにかき消える。


(さて、戻るぞー)


 色とりどりの花が咲き乱れる皇宮をぽてぽて歩いていると、道中にある殿舎の陰から、ぶつぶつと何かを呟く声が聞こえた。


(ん? 声が……あっ、子どもだ)


 こっそり覗き込むと、小さな人影がこちらに背を向けて丸くなっている。


「……神官は霊威れいいに目覚めた者であり…………皇国と帝国は仲が良く……」

「どうしたの、お腹が痛いの?」

「ひゃあ!?」


 声をかけると、一心に何かをそらんじていた子どもが飛び上がる。ふんわりした黒髪と丸い黒目の少年だった。


「あ、ごめんね驚かせちゃって。具合でも悪いのかなと思って」

「いいえ、神官府の予備試験が近いので、復習をしていたんです」


 滑らかな応答をする姿には育ちの良さが見て取れた。


「そうだったの。自習室は空いていないの?」

(声を出しちゃうから遠慮してたのかな。だったら装着型の防音霊具を使えば)


 そう予想していた日香だが、少年は沈んだ面持ちで首を横に振った。


「僕はまだ『しるし』が出ていないから、行きたくないんです。……自習室には、もう徴が出て正式な神官になった子たちがたくさんいるから」

「あ……」


 一瞬言葉を失くした日香の前で、少年はぎゅっと拳を握って俯いた。


(この子、10歳くらいだよね。そろそろ重圧がきつくなる年だ。可哀想に……)


 目に力を宿し、じっと少年を見る。


(――いや、大丈夫。この子には強い力が眠ってる。すごい、かなり強い。もう目覚める)


 ほっとするが、肝心のその情報を本人に教えられない。何故そんなことが分かるのか、と問われたら返事に困る。


「うるさくしてしまってごめんなさい。今日は防音霊具も持っていないですし……別の場所に行きます」


 会釈して立ち去ろうとする少年に、日香は声をかけた。


「待って、せっかくだから一緒に勉強しない? 私、少しは試験範囲のことに詳しいよ」

(これでも皇家の一員ですから。教養はばっちり詰め込まれたもの)


 少年が驚いた顔になる。


「もしかして、あなたは神官ですか? 神官の法衣はお召しでないようですが……仕事はよろしいのですか?」

「うぐっ……いやその、神官ではないんだけど……でも立場上知識があるっていうか、あはは……」


 冷や汗をかきながら答えると、少年が若干怪訝な顔になったので、慌てて付け足す。


「もちろん、怪しい者じゃないよ。こうして堂々と皇宮に入れてるんだから」


 あらかじめ登録された者か許可を得た者でなければ、皇宮には入れない。転移を使っても弾かれる。


「はい、身分証」


 万一の時のためにと持たされている、偽の身分証を見せる。それを見た当真から警戒が消えた。そこにかぶせるように、日香はにっこりと微笑みかけた。


「仕事中じゃないから時間も大丈夫。試験ってどこが出るの?」

「えと……神官府で学ぶ基礎教養の中で、今までに習ったことを総合的に聞かれるみたいです。特に世界と神、それに力についての問いは必ず出ると言われました」

「筆記なの? あ、口述かな?」

「どっちもあるんです。僕は口述が苦手で」

「あー、あれって一回詰まると頭が真っ白になっちゃうよね。分かる分かる~」


 うんうんと頷き、日香は手を差し出した。


「ね、やっぱり一緒にやろう。一人でやるより二人の方がいいよ。私が試験官の神官役になるから。この世界のこと、神様のこと、力のこと、話してみてくれる?」


 そう言って、家族たちが太陽のようだと言ってくれる笑顔をさらに強める。


「……いいんですか?」

「もちろん!」


 ずっと顔を強張らせていた少年は瞬きして少しだけ頰を緩め、おずおずと頷いた。

「ありがとうございます。あ、僕は唯全ゆいぜん当真とうまと言います」


(……唯全って一位貴族だ!)


 皇国の貴族は大分類すると一位から六位までに分けられる。最上位が一位だ。


(この子、跡取り候補なんじゃない? そりゃ徴が出なくて焦るわけだね)


 一人納得していると、少年――当真は日香の持つ身分証に目を向けた。


「あなたのお名前は……斎縁さいえん明香めいかさんと仰るのですか」

「え? あ、そうね、うん」

(あっぶな……今は身分証の偽名で通さなきゃ!)


 内心で汗をかいている日香の前で、当真は無垢な笑顔を浮かべて微笑んだ。


「ではよろしくお願いします、明香さん!」

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すっぽんじゃなくて太陽の女神です 土広真丘 @gureisuki

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