第7話 VS公爵令嬢

 つかつかと早足で一直線にやってきたミーシア嬢は、挨拶する間もなく僕の胸ぐらを掴んで詰め寄ってきた。


「やっぱりこの学校にいたのね! 絶対に一組だと思ったのにどうしていないの!?」


 います。


「ええと……」


 息がかかるくらいの近さにものすごい美少女の顔がある。目力が強すぎて怖い。スノウ様が儚げな冬の妖精なら、こちらは灼熱の太陽の化身だ。

 不用意なところに触れたら一発で打ち首なので、僕は両手を挙げる降参のポーズを取りながら、この窮地をどう切り抜けようかと思考を巡らせた。店員に気付かれなかった時点で薄々そんな気はしていたが、やっぱり彼女が探しているのは僕だったのだ。


 公爵家のお嬢様がどうして付き人も伴わずに買い物しているんだとか、校内で見かける時と随分態度が違うなあとか、気になることはいくつかあるが、それよりもまず言わなければならないことがある。


「とりあえず、場所を移しませんか?」


 襟を乱暴に引き寄せている細い手をそっと包むように掴んでゆっくりと外し、再び『第一印象が大事』を心の中で自分に言い聞かせながらにこっと微笑みかけると、ミーシア嬢は目を見開いてぱくぱくと口を動かした後、急いで僕の手を振り払った。力を入れたつもりはないが、こちらを睨みながら手をさすっている。


「あれ、ミーシア様?」

「今、相手の胸ぐら掴んでなかった?」

「ミーシア様がそんなはしたないことするわけないでしょ」

「あの男、ミーシア様の手に触ってたよな……」


 買い物にきた生徒たちがざわついている声がようやく耳に入ったらしい。


「わかりました……」


 裏表が激しいご令嬢は、警戒心がむき出しの上目遣いで渋々小さく頷いた。




 ミーシア嬢を案内したのは、校内探検中に見つけた休憩スポットの一つだ。売店街の裏手にある程よく木々が植えられた公園のような場所で、点々とベンチが設置されているので買ったものを外で食べたい時にちょうどいい。上品な皆様はそんなこと思い立ちもしないのか、長時間居座っている人間を僕以外見かけないところも居心地が良くてお気に入りだった。


「こちらにどうぞ」


 中でも一番目立たないところにあるベンチを選んで、いつか使うことがあるかもしれないと姉を付き合わせて鍛えた丁寧なエスコート術で座っていただくと、ミーシア嬢は素直に腰を下ろした。良かった、やっぱりスノウ様と一緒で他人にお世話されることに抵抗がないタイプだ。


「その様子では、名乗らなくても良さそうね。あなたも座りなさい」


 さすが三大公爵家、言い慣れた命令形が痺れる。おそらくだが、この気の強そうな感じは下手に謙遜して『エーレンベルク様の隣に座るなんておこがましいですう』などとやると『私の命令が聞けないの?』と来るので、他人に目撃される危険を冒しても大人しく従うのが吉だ。


「失礼いたします」


 恭しくお辞儀をし、間にもう一人座れるくらいしっかりと距離を取って隣に座った。練習はしても本番は初めてなので正直入試よりも緊張しているが、さとられないように涼しげな笑顔を取り繕う。ミーシア嬢はそんな僕の一挙手一投足を訝しげに観察していた。


「……」

「……」


 念のため声色も普段とは少し変えているものの、それでもこちらから質問して不用意に新しい情報を与えるような真似はしない。せっかくまだクラスメイトだと気付いていないのだ。目立たず平穏な学校生活を送るためにはこのまま隠し続けたい。


 睨まれ続けてどれくらい経っただろうか。ミーシア嬢はようやく僕から視線を逸らした。


「ずいぶん探したんだから、あなたのこと。……試験中は番号でしか呼ばれないから名前がわからないし、後から調べようと思っても『公爵家と言えど選考に関わる書類をお見せすることはできません』って言われるし」


 腕組みした指先がいらいらと動いている。僕に一位を奪われたことがそんなに悔しかったのだろうか。身分がバレたら実家まで報復されそうなので、僕はいよいよ隠し通す決意を固めた。


「どうしてそこまでして僕のことを? 一目惚れですか?」


 できる限り普段の雰囲気と違うことを言ってみる。お手本はもちろんヤンさんだ。


「バッ、そんなわけないでしょう!?」


 するとミーシア嬢は慌てて腕組みを解き、大きな目を見開いて振り向く。完璧な淑女と称される公爵令嬢の口から『バカ』が飛び出るとは思わなかった。こんな機会でもなければ彼女をからかうことなどないだろう。他人が知らない顔を見られてちょっと楽しい。


「何笑ってるのよ」

「生来こういう顔なんです」


 いけない、既に第一印象が最悪なのだからこれ以上マイナスになることはしないほうがよさそうだ。こういう時、情報屋ならどのように振る舞うのが正解なんだろうか。また考えを巡らせていると、ミーシア嬢はそんな僕を再び睨み付けた後、呆れたように小さくため息をついた。


「別に、大したことじゃない。エーレンベルクの教育を上回る魔法の使い手がどんな奴なのか知りたかっただけ」

「なるほど」


 やっぱり相当悔しかったらしい。僕の場合、毎日こつこつと本のとおりに反復練習を続けていただけで、これといって派手なことは何もしていないのだが。


「それで、あなたは結局どこの誰なの? 校内にいるってことは生徒なんでしょう?」


 僕が普段は変装しているとは思いもしないらしい。まあ、僕も他人が同じことをしていたら、同年代の末端貴族がなんで変装なんかしているんだと思うだろう。


「似た髪色の同級生は女子も全員調べたのに。それも私の知らない魔法なの?」


 ようやく僕が目を付けられなかった理由がわかった。髪色は変えていないので、真っ先に調査対象にはなったはずだ。しかし入学早々にスノウ様の腰巾着をしていたおかげで、話しかけるよりも先に『あいつではない』と判断されたのだ。ありがとうスノウ様、これからもついていきます。


 それはさておき、ぼろが出ないうちに退散するにはどうしたらいいだろうか。笑顔を貼り付けたまま頭をフル回転させた。そして静かに立ち上がる。


「調べてみてください。わかったら答え合わせしましょう」


 結局、おじさんの言葉を借りた。


「それでは、僕は用事があるのでこの辺りで失礼します!」

「え!? ちょっと、まだ聞きたいことが――」


 大きく手を振ると同時に魔法で風を起こし、周囲の落ち葉を集めて目隠しにする。ミーシア嬢が驚いて目を瞑った瞬間に足を強化して飛び上がり、ベンチの背後にあった高い木の枝に着地した。


「いない! もう、結局何もわからなかった! せめて名前くらい名乗りなさいよ!」


 目を開けたミーシア嬢は想定どおり僕を見失い、自分の頭についた枯れ葉を払うと地団駄を踏んだ。


「絶対に突き止めてやるんだから!!」


 やばい、余計火を付けてしまったかもしれない。

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