第5話 貴族学校

 学校の敷地はとても広い。なにしろ十二歳から十八歳までの全ての学生が通う校舎と寮を備えているのだ。今まで親元でぬくぬくと生きてきた子どもたちができる限り不便しないよう、生活必需品や食料、衣料品を売っている店までが敷地内にある。事前に支給された校内見取り図はちょっとした町の地図のようだった。


「僕が暮らす寮がここで、校舎はあっち、お店はあっちか……」


 春休みで帰省していた兄姉が寮に戻るのに合わせて一緒に学校に向かい、入学式の三日前に入寮手続きを行った僕は、早速立地を頭に叩き込むことから始めた。学校の中で迷っているようでは、おじさんのように廃屋から子ども一人を探し出すこともできないだろうから。


「あまり心配はしてないけど、ほどほどにね」

「うん!」


 荷解きもそこそこに、兄に見送られて元気に寮の外に出た僕は、男子寮エリアをぐるっと一周してみた。


「あからさまに寮の質が違うのは面白いなあ」


 一応一人部屋ではあるものの、ミスティコ家のような末端貴族の子どもが暮らす寮は古めかしいレンガ造で、外壁にはひび割れがあったりツタが絡んだりしていた。

 一方でもっと身分が高い家の子が入る寮はまだ新しく、白を基調とした壁は手入れが行き届いており、入口の花壇には花が咲き乱れていた。


 更にもう一つ、古い木造の寮もあった。特待生と呼ばれる、特別成績が良いことを認められた平民の子が入る寮だ。貴族学校と呼ばれるだけあって人数が少ないらしく、建物自体も小さい。


 ちなみに寮は男女で分かれていて、女子寮は校舎を挟んだ反対側にあるそうだ。


「さすがに女子寮の周りをうろついてたら、入学式の前から問題になりそうだな……」


 敷地内はひととおり確認しておきたかったけど、女子寮方面はいろいろと落ち着いてから姉に付き添ってもらうとかして、穏便に探検することにしよう。ヤンさんという良き指導者のおかげで、僕は男女間の様々なことを弁えるようになった。




 そして入学式当日。


「これでよし」


 鏡の前で髪をセットした僕は、その出来栄えを確認して一人満足した。長めの前髪で顔を隠し、長兄のお下がりの眼鏡をただのガラスレンズに替えたダテ眼鏡をかければ、顔の印象がぼやけた地味な男子生徒の完成だ。既に兄姉やヤンさんの前で披露して、


「ダサい」

「せっかく母親譲りの綺麗な顔をしてるのにどうして隠すんだ」

「そうだよ、成績もいいんだから普通にしてれば人気者になれるのに」


 といった上々の評価を得ているので、僕は自信を持って入学式に臨んだ。


 まずは式の中で紹介される先生たちの顔と専門教科を覚えることに専念し、それから在校生代表として登壇した生徒会長の顔、続いて新入生代表挨拶をした首席生徒、ミーシア・エーレンベルクの顔をしっかり覚えた。艶やかでまっすぐなピンクブロンドは美しいが、凛と前を見据える力強い目元と人形みたいに整った顔立ちのせいで、なんだか近寄りがたい雰囲気がある女の子だ。


 ──このミーシア嬢、入試の時に同じグループだった子じゃないだろうか。今は澄ました顔をしているが、魔法の試験で僕が一位を取った後、ものすごい目で睨みつけてきたのでできればあまり関わりたくない。と思っていたら、


「しまった……」


 そのミーシア嬢と同じ一組に振り分けられてしまった。どうやら入試の成績によってクラスが決められるようなので、七位の僕が首席と同じクラスなのは仕方ない。事前にわかっていたら三十位くらいを狙ったのに。兄姉は卒業した長兄まで含めて全員三組だという時点で気付くべきだった。まだ情報収集が甘かったことを反省したが、良いこともあった。


「スノウ・ホラントです。よろしくお願いします」


 それぞれのクラスに分かれてから設けられた自己紹介の場に彼がいた。水色と銀色の中間くらいのショートカットに白い肌、深い青色の目という昔読んだ本に出てきた冬の妖精を思わせる美少年は、おじさんの手がかりの一つ、ホラント伯爵家の息子だった。これはぜひお近づきになりたい。が、何か無礼があると父の仕事にも影響を及ぼしかねないので、無策に話しかけることはしなかった。


「仲良くなりたい相手と話す時は最初の印象が大事!」


 ヤンさんの教えを反芻する。たとえばそう、地味な見た目と今までに覚えた魔法をフルに生かしてスノウ様を観察し、好みや行動パターンを把握してから手土産を持って近付くなんてどうだろう。


 ということでまずはオリエンテーションの際に、階段状になった教室の中でさりげなくスノウ様の斜め後ろの席に陣取り、魔法で視力を強化して選択授業を申し込むシートを覗いた。特にこだわりがあるもの以外はできる限り同じ授業を取ることにする。スノウ様は魔法学を中心に満遍なく無難な授業を取るタイプだったので助かった。


「親しいクラスメイトはいないのかな」


 クラスメイトの多くは入学以前からの知り合いとグループを作って同じ授業を選んでいる。伯爵家なら幼い頃から社交界にも出ているはずなのに、スノウ様はいつも一人で行動していた。




 そんな彼をつけ回す、もとい尾行して三日目。校舎の外にある温室に併設された薬草学の教室に向かおうとしている時だった。


 実習棟と温室、屋内プールといった施設に繋がる分かれ道で、不意にスノウ様が立ち止まった。


「わっ」


 どうせ目的地は同じなのだから普通に通りすがればいいのに、くせで思わず校舎の陰に隠れてしまった。そろりと顔を出して様子を伺う。


「どうしたんだろう」


 この二日ほど観察した限り、スノウ様は他のクラスメイトと比べるととても落ち着いていて、話しかけられても最低限しか返さないクールな男という印象だった。しかし今は、きょろきょろと辺りを見回して時たま少し目を泳がせ、不安そうにしている。


「もしかして、迷ってる?」


 この分かれ道には案内板のようなものはない。どっちに行けば温室なのかわからなくなっているのではないだろうか。──チャンスだ。


「あ、ホラント様! ホラント様も薬草学ですか?」


 僕はできる限り自然に、まさに今通りかかりましたといった表情を心がけながら声をかけた。


「えっと……」


 スノウ様は『たぶんクラスメイトだけど思い出せない』という申し訳なさそうな雰囲気を醸していたが、全く覚えられていないことに僕はむしろ満足した。ちなみに僕はクラスメイト全員の顔と名前を既に覚えている。


「同じクラスのミスティコです。お父上に僕の父がいつもお世話になっているそうですね。ご挨拶が遅れて申しわけございません」

「ああ、ミスティコ子爵の……」


 良かった、父のことは知っているようだ。


「教室までご一緒しても構いませんか?」


 と温室に続く道をさりげなく指差すと、ほっとしたような表情を見せた。なんだ、思ったよりも年相応、というかもしかして口下手なだけでは。


「うん。……スノウでいいよ、クラスメイトなんだから」

「わかりました、スノウ様! 僕のことはハイドと呼んでください。改めてよろしくお願いします」


 かなり良い第一印象になった気がする。ありがとう、やたら広い敷地。

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