第2話 目標

 目を覚ました時には家の温かいベッドの上で、今日のできごとは酷い悪夢だったのではないかと思った。しかし両親と姉、二番目の兄が僕の顔を心配そうに覗き込んでいたことで、あの恐ろしい体験は現実に起きたことだったのだとわかった。


「ハイド! 良かった、目を覚ましたのね。痛いところはない?」


 声を出すより先に母が僕を抱きしめた。いつになく強い力だったが、その肩が小さく震えていた。


「大丈夫……。心配かけて、ごめんなさい」

「どうしてハイドが謝るの。悪いのはあなたを攫った人たちでしょう」

「そうだよ。通りすがりの人が偶然見つけてくれたんだって。本当に良かった」


 兄の言葉を聞いて、僕は眠ってしまう直前のことをようやく思い出し、慌てて身体を起こす。


「おじさんは?」


 部屋を見渡してもおじさんはどこにもいなかった。


「ハイドを連れてきてくれた人なら、この後急ぎの用事があるからってすぐに帰っちゃったけど」


 姉が不思議そうな顔で僕を見る。


「そうなんだ……。あの、名前は聞いた?」


 すると家族は困惑した様子で顔を見合わせた後、代表して父が首を振った。


「聞けなかった。門の外まで追いかけたけど、消えたみたいにいなくなってしまったんだ」

「そっか……」


 残念だ。改めてお礼が言いたかったし、おじさんのような頼もしい人になるにはどうすればいいのか、もっと聞いてみたかったのに。




 少々過保護になった家族に見守られて数日ゆっくり休んだ僕は、おじさんとの最後のやり取りをようやく思い出した。


『自分で調べてみてごらん』


 不思議な言い方をするおじさんだと思いながら日常に戻った後、ふと気付いた。


「もしかして、僕がおじさんみたいになりたいって言ったからかな」


 家族にも名前を教えなかったのは、おじさんの名前を突き止めることが僕への課題だということではないだろうか。きっとそうだ、答え合わせをしようとも言っていた。


 そこで僕はおじさんが言っていたことを改めて思い出し、これからの目標を紙に書き出した。拙い字で書いた紙を自室の壁に貼ると、家族は初めこそ困惑していたものの、快く協力してくれた。『自分たちが不甲斐ないばかりに自分で自分の身を守ろうとしているのでは』と話し合っているのを聞いた。


『からだをきたえる』

『まほうをおぼえる』


 兄姉と同じ教育を受けられるのなら、武術と魔法はもう少し大きくなったら習うことになる。しかしミスティコ家にいる人たちはそのどちらも得意とは言えない。僕もあまり期待できないかもしれないが、できることはやってみよう。


「兄さん、身体を鍛えるのって、何から始めたらいいの?」

「うーん……。最初は体力づくりからって言われて、ひたすら走らされたな」


 言いながら、苦いものを食べた時のような顔をしている。運動よりも静かに本を読む方が好きな次兄は、戦闘に関する訓練は苦手なようだった。


「じゃあ、魔法を覚えるのは?」

「魔法は七歳になったら父さんが教えてくれると思うよ。危ないから、一人で勉強しようと思わない方がいい」

「なるほど……」


 それなら、残念だけど魔法は一旦後回しだ。


「剣も槍も重いから、まだハイドが使うのは難しいよ。それに、小さい頃に筋肉を鍛えると背が伸びにくくなるって本で読んだことがある」


 次兄は同年代よりも背が低いことを気にしていた。おじさんも背が高かったので、僕も背が伸びないのは困る。次兄の言うとおり、まずは庭や家の周りを走って体力をつけることから始めることにした。


『べんきょうする』


 僕はようやく文字が少し読み書きできるようになったところだけど、おじさんを探すためにはもっといろんなことを知らなくてはいけないので当然だ。父が毎日読んでいる新聞の内容くらいはわかるようになりたい。


 幸い、文官家系なのでこれに関しては周りに訊ける人がたくさんいる。特に三つ年上の姉はまだ学校に行く年齢ではなく、僕と遊んでくれることも多いため訊ねやすかった。

 姉にわからない言葉は、来年から学校に通うために勉強中の次兄に聞く。それでもわからなければ母、父の順に頼り、合間を縫って教えてもらうことにした。

 長兄がいればもっと聞けることの幅が広がるのだが、学校で寮生活をしていてなかなか会えないので仕方がない。


『みんなとなかよくする』


 これは何の役立つのか初めはよくわからなかった。でもおじさんが言うのなら何か意味があるのだろう。


「まずはメイドさんたちと仲良くしてみよう」


 ミスティコ家の使用人はさほど多くないが、みんな誠実できちんと仕事をしてくれるいい人たちだ。でも今まではあまり関わったことがなかった。


「こんにちは……」

「あら、ハイド坊ちゃんこんにちは。どうなさったの?」


 もっと身分が高い家だと使用人も貴族の娘だったりするそうだけど、我が家のメイドたちは商家のような平民身分の人がほとんどらしい。


「散歩してるんだ。今は何をしてるの?」

「夜ご飯のご用意ですよ」


 皆、僕が戻ってきた時には一緒に泣いて喜んでくれたそうだ。


「見ててもいい?」

「もちろん」


 使用人の仕事も、興味を持って真剣に見てみると面白かった。メイドさんたちはお喋りで、手を動かしながらも好みや家族のこと、休みの日の過ごし方などを教えてくれた。せっかくなので仕事を習ったり手伝ったりしていると、不便なことやちょっとした不満を話してくれるようになった。それを僕の口から両親に伝えることでキッチンが使いやすくなったりお給料が上がったりすると喜んでもらえて、代わりに美味しいお菓子を作ってくれた。


「みんなと仲良くすると良いことがあるんだ!」


 僕はすぐに味を占めた。それ以外にも、仲良くすることで相手がどんなことに詳しいのかがわかるので、知りたいことを効率良く教わりにいけることも学んだ。何かしてほしいことがある時には言い方一つで相手の対応や機嫌が変わることも知った。やっぱりおじさんはすごい。




 そんなことをしながら数ヶ月経った頃、魔法に興味を持っている僕に両親が一冊の本をくれた。


「『魔法の基礎』……?」

「やっぱりもう読めるんだな。ハイドなら大丈夫だろう」


 両親は、自分たちの不注意で怖い思いをさせてしまったと負い目を感じているようだった。本人が希望するのなら、身を守る術を早めに身に着けさせるのも悪くないと思ったのかもしれない。


「火の魔法は、大人が見てるところでしか練習しちゃダメよ」

「うん!」


 これでおじさんにまた一歩近づける。僕は早速、火の魔法以外から練習を始めた。

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