迷い鳥

@emr------HTQ

第1話

潮風が激しく吹く船上で僕は猫背なまま船に押し出されて白くなった海面をじっと見下ろしていた。叔父の別荘であった家があるその離島が見えた時確かに自分の心が揺らいだ。

僕の名前は中路吏雄(なかみちりお)。この夏、訳あってこの島で1週間滞在することになった高校3年生だ。

船を降りてすぐに鈴木夫妻の迎えに気がついた。鈴木夫人が急かすように手を思いっきり振っている。車に乗って家が見えた時、何も変わっていない様に安堵感を覚えた。6年前、叔父の同僚である鈴木俊の転勤が決まったことで叔父は一年に一度だけ使ってた別荘を明け渡した。それからは一度も訪れていない。2階のベランダに面してる部屋に入って荷物を置いた。ふっと一息吐くと長旅だったはずが一瞬のように思えた。部屋を見渡してみる。家具も変わらない、海から微かに塩の香りがする海風に舞うカーテンレースが好きだった。よく従姉妹とカーテンで遊んだ。亡霊に浸っていたのも束の間、大好きだったカーテンの狭間に差し込む斜陽に煌めき舞うものが見えた。昔はこんなものはなかったのに。

気持ちの上から覆い被さるように斜陽の中に入ってベランダに出る。相変わらずのいい景色だ、と本当に思う。もちろん空の面積を狭めるビルなんて無く、のどかな民家や田畑が並び、小さな湾が見える。湾の向こう岸には山が連なっている。その緑はここでしか見ることができない淡い、天然の緑だ。そして何より僕が一番愛するのは湾の向こうに見える水平線だ。家から水平線が見えることはこの上なく気持ちがいいことだ。水平線から吹き込む潮風がたまらなく好きだ。そうだ、愛していたんだ、家も、島の端の地図にも載っていないこの町も、海も、山も。息が詰まりそうで、誰の目にも留まることなく自分が消えてしまいそうな東京での暮らしの中、いつの間にか忘れてしまっていた。

ふと気がつくとベランダの柵に一羽の鳥が僕のそばで水平線を見ていた。鳥も夕日にたそがれることなんてあるのだろうか。いや、そんなことよりも衝撃的だったのは僕がこいつの存在に気づくまで微塵も音がしなかったことだ。急に怖い気がして格好悪いから気づかないふりをした。すると、急に鳥は向きを変え、貝殻ではなくサザエの硬い蓋を落としてきた。なんだか反射的に僕はそれを広い、夕陽にかざした。魔法をかけられたかのように風が吹き出す。心地が良い。なんだか夕陽がさっきより近い。大きく翼を広げて空気を捉えて、船上も好きだが船酔いが無い分爽快感があった。

僕は鳥になっていた。

突然の出来事にパニックになりながらも冷静に状況を理解しようと必死だった。とりあえず真下に見えた港の海沿いに建っている自治会館の屋根の上にとまった。たった数秒前のことなのに上手く思い出せない。変身したんだ、それしかわからなかった。その時だった、港で釣りをしている子ども達がいることに気がついた。高校生くらいの男子、中学生くらいの男子と女子、そして明らかに小学生の女の子のグループだった。年齢も性別も兄弟関係かもよくわからないがこんな光景は珍しいなと思った。もう少し近くでみたいなと彼らの近くに留まっている漁船に飛び移った。                           「お!これは大物だぞ!!」                            高校生の釣り竿に大きな振動が走る。うねるような激しい振動に抵抗しながら勢いよく糸を巻いていくとお店に売っているような大きな鯵が釣り上げられた。           「これは刺し身にできるね!!すごい!」                      中学生の女子が目を丸く、キラキラさせながら言う。                 「いいなぁ、私まだ一匹も釣れてないよ、、、」                   小学生の女の子がなきべそをかく。すると大物を釣った高校生が            「ゆりにも釣れるよ。じゃあ今度は俺と一緒に釣ろう」                と、優しく言う。ゆりという女の子は満面の笑顔で返事をすると餌を新しくしてもう一度海の中に糸を落とした。高校生の言うタイミングに合わせて釣り竿をしゃくると小さな小鯵が二匹釣れた。ゆりという女の子はこの上なく素敵な笑顔を浮かべていた。

僕はなんとなく飛び立った。なんだか元の生活に戻れないような気がしたのだ。何の知性の欠片もない教室に押し詰められて、息苦しい中見たくもないSNSに走る生活に。信じられるような人間もいなく、どこまでも孤独がついてくる。あの高校生みたいに手を差し伸ばせば済む話なのだろうか。多分そんなことはないだろう。

夜になった。街灯も一つもないこの島は一層このまま人間に戻れないのではという不安を容赦なく加速させる。気を紛らわすために上を見る。まるでプラネタリウムのような完全な夜空である。そういえば、山頂で星が綺麗に見えるスポットに昔行ったことを思い出した。不安で死にそうになりながら立っているよりいいと僕はそこを目指した。

そこにはお金持ちらしい一家がいた。きれいな年齢にそぐわないワンピースを着たお嬢さんはきれいな服にも関わらず、地面に直接寝て星を見ていた。一見厳しそうに見える両親は何も気にすら留めていないようだ。でも、なんだかここから見える宇宙の隅々まで見通せてしまいそうなこの夜空の前だと何でもちっぽけに感じるのはものすごくわかる。

星を見ながら色々考えた。対して強くないチームのために沢山死ぬ気で練習したサッカー、学校にいけなくなって親と喧嘩した日の泣きながら噛み締めたカップ麺の味、家族に腫れ物のような扱いをうけて遠ざけるかのようにこの島にいくことが決まったこと、どうしても見つからない夢、どうでもいい青天井。涙は出ないがもし今人間の体であれば僕は泣いていただろう。なんて自分はちっぽけな魂なのだろう。頭の中はそれしかなかった。

家のベランダに戻った。誰も部屋を除きに来なかったのだろうか、窓が空いたままだった。どこかでバーベキューをしているのか、賑やかで楽しそうなこえがかすかに聞こえる。それを聞きながら。僕は深くもう目覚めない程の眠りについた。

「大丈夫かえ?」僕は鈴木婦人の掛け声で目が覚めた。どうやらベランダで一夜を明けたようだが不思議とこの上なく気持ちいい目覚めだった。人間の体だと確認したあと、あれは夢だったのだと思うことにした。なんだか自分の中に抱え込んでいたものが綺麗に島に消化されたような気がした。もう、何も怖くなかった、寂しくも、後ろめたさもなかった。僕はもう上を見ることができていた。自分の影にサザエの蓋と鳥の羽らしきものがあることに気が付かないままで。


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