逃避行の果てに

焼きそばパン

逃避行の果てに

まだ日本が平安時代だった頃、僕はとある貴族の次男だった。割と政治に関わっている家だったのに、徐々に藤原氏が政治の実権を握ってきたことによって僕の家系の人は貴族をやめろと言わんばかりに窮地に追いやられている。僕のお兄ちゃんも天皇家のお姫様と結婚が決まってたのに白紙になってしまった。お兄ちゃんとお姫様は他には聞かないとても珍しい恋愛結婚だったのに。それに、お兄ちゃんとお姫様が結婚したら僕も出世できたかもしれないのに。僕はとにかく藤原氏が憎い。あの一族なんて滅んでしまえばいいのに。お姫様もお姫様だ。なんで抵抗をせずに諦めちゃったの。お姫様が天皇に対してちゃんと嫌だって言っていたら、実の娘の言うことなのだからちゃんとお願いを聞いてくれてうたかもしれないのに。お兄ちゃんもお兄ちゃんで、お姫様との結婚ができなくなって悲しいのはわかるけど、結婚が無くなる代わりに政治的地位とかを要求すればよかったのに。そうしたら今頃僕もいい役職に就けていたかもしれないのに。最近僕はそんなことばかりを考えていた。藤原氏が栄えていき、幸せになっていくのとは裏腹に、僕はこんな世の中に対し不満を募らせていき、世界を嫌った。

 婚約破棄の騒動から何年か経った今、僕の家系は徐々に活気を取り戻しつつあった。お兄ちゃんは、婚約破棄をしてから3、4年はお姫様と駆け落ちをしようと試みていたが、すべて失敗に終わり、諦めたようだった。お父さんも、なんの情けか、未だ位の高い役職を維持し、貴族としての面子は成り立っている。そんな中でも、僕は常に不満をためていた。確かに、僕の家系だけだと、家全体が明るくなってきたように見えるし貴族じゃなくなりもしていないから平和になってきているように思えるかもしれない。しかし、僕は何も起きていない。強いて言うなら、ひもじい思いをしないですんでいるということぐらいだ。出世できていないどころか、代々受け継いできた役職の次期候補にすら僕の名前は上がっていない。一時期まるで灰のようになっていたお兄ちゃんですら、もうすぐで職に就くというのに。次男だから?次男だから僕は役職に就けないというのか。お父さんは当時三男でこんないい役職だというのに。なんでだ。僕はたとえ勉強しなかったとしてもいい役職に就けるはずだろ?だって僕なんだから。それに、女関係もそうだ。そろそろ僕に縁談が来てもいい年だというのに、全く来ない。たとえ見た目が少し醜かったとしても女が寄ってこないわけがないだろ?だって僕なんだから。どうせみんな照れてるんだ、僕は貴族だし、近寄りたくても近寄れないんだ。かといって、僕の方から近寄ったりもしない、面倒だから。こんなことを考えるのさえ面倒になり、僕は布団の中に入り、眠気に誘われるまま瞼を閉じ、世界を遮断した。今日も今日とて、僕はこんな世の中に対し不満を募らせ、いつだって世界を嫌った。

 その日の夜、僕は夢を見た。とても不思議な夢だった。僕の目の前に武装した人がいた。僕の前にいることだけでもおかしいのに、それ以外にも、色々と妙だった。僕はもともと身長が低い方だったのにその武士を上から見下ろしていて、その武士は僕に向かって何かを言っていた。でも僕はその人達と接点がない。しかもなぜか僕は、その武士が安倍晴明に教えてもらってこの場所に来たことを知っていた。僕は20歳になったばかりで、安倍晴明は確か40歳を超えていたはずだ。年齢も遠ければ、血縁関係もないし、それにあっちは陰陽師だ。本当に何も関係のない人たちが、僕を探し、何かを訴えてくる。ただの夢なのに、とても怖かった。そうして、僕に向かって武士が攻撃をし、体を切られたところで目を覚ました。僕はとても汗だくで、口がほぼ乾いていた。何も喋れないほどに。夢だから体は無事だった。それでも僕は恐怖心から抜け出せず、水を飲むために川に向かって走った。

口の中の水分はほぼからなのに、永遠と目から雫が垂れる。いつもなら少し走っただけでも息切れを起こすのに、死を感じたからだろうか、それとも水分が足りていなくて人間としての感覚を失ったのだろうか、僕にはむしろ走っている感覚がない。まるで宙に浮いているようだった。普段より足も早いし、視点も高い。そうして僕は、あっという間に川についた。喉が乾ききっていて呼吸さえ苦しかった。僕は川に顔を近づけた。その時僕はあることに気づいた。僕の顔じゃない。僕は1回顔を上げ、もう一度顔を川に近づけた。やっぱり僕の顔じゃない。僕の白い肌は赤く染まり、小さかった口はとてもでかく、牙が生えている。僕の目も小さく愛らしかったのに、ギョロっとしている。気持ち悪いほどに。輪郭もぼやけている。それに、なんと言ってもこれは何だ。明らかに見覚えのないものがある。僕の左右の頭上から角のようなものが生えている。鹿のものよりも恐ろしい角が。僕はどうしてしまったんだと怖くて、川を離れて夜な夜な走った。これは僕じゃない、だって僕は僕だぞ?きっとまだ夢の途中だったのだと思い、自室の布団に潜り、僕はまた眠りについた。夜明け前、再び起きて、人目を避けながら川に行って自分の姿を確認した。しかし、やっぱりそれは昨夜見たものと同じものだった。

「ぼくは鬼になってしまったの...?」

認めたくなくて、怖くて、僕は山奥に逃げた。

僕は、現実逃避のため、酒に耽った。来る日も来る日も酒を飲み続けた。もう僕は自分が酔っ払ったのかどうかさえわからない。ただ貴族だったときの誇りは忘れ、生きるために盗みを働いた。気づいたら僕に鬼の部下がいたことに関しては、やっぱり僕だからなのだろう。けど、ひとつ確かなのはとても僕が惨めだったことだ。

 もう鬼になったあとの生活にも慣れてきた頃、一人の部下が

「どうやら、安倍晴明があなたの居場所を突き止めたらしく、武士が2名ほどこの山に向かっているようです。」

と言った。お酒のせいもあり、僕は状況を飲み込むのにだいぶ時間がかかってしまった。それが仇となった。気づいたら武士がもうこの山に入ってきていて、僕の部下はかなりの数が倒されていた。それに、僕が見つかるのも時間の問題となってしまった。とりあえず僕は山の洞窟の奥の方まで逃げ込んだ。ここは道が入り組んでいるから、見つかるまで少し時間が稼げると思った。少し落ち着いた時、僕ははっとした。あの夢だ。あの夢に出てきた状況ととても似ている。ということは僕はこのあと殺される…?とても怖くなって洞窟の中でひとり、静かに息を潜めていた。部下がどうなっているのかはわからないけど今そんな事を考えている時間がないんだ。色々考えていたときにほろりと口にしてしまった。

「どうしてぼくは鬼になってしまったんだろう。」

 以前からは考えられもしなかった。僕は誇り高き貴族だったのに。でも、ぼくは今になってこの姿を見ると、少し自分の内面を表しているように感じたんだ。鬼になってから気づいたけれど、ぼくは相当傲慢な、自分勝手なやつだった。この赤い肌は、常に世間に対して不満を持ち、いらいらしていたあのときの感情を表しているようだ。大きな口、ギョロッとした目は、恐ろしいほどに身勝手な自分の態度を表しているようにも思える。ぼくは常に自分がうまくいかない責任を他人のせいにし、自分を正当化していた。怒りの矛先を探すために常時神経をとがらせていたのは、この牙が表現している気がする。輪郭がぼやけているのは、きっと自分で考えることなどをせず、人に任せきりで自我がなかったからだろう。人間だった時、そうやってぼくは自尊心を他人へ棘を刺すことで安全地帯に持っていき、大事に保護していた。そして、どれだけそのような行為を繰り返してきたか、その棘の総合的な大きさを表現した象徴となるものが、このとても大きい角になっているのだと思う。なんて情けない。ぼくの内面の醜さ、浅はかさ、愚かさすべてを表しているではないか。でも、この瞬間、ぼくの目には涙があった。ぼくを僕が守ってくれていたのに、当の本人のぼくがこんな鬼になってしまうなんて。僕がぼくを愛して、守っていてくれたことに気づかず、鬼になってしまうほどぼくが僕を傷つけていたなんて。ぼくは僕に対しひたすら

「ごめんね、ごめんね。」

と、謝り続けた。

「そこにいるのは誰だ。」

武士が言っているのが聞こえた。ぼくは涙を止め、その武士の前に堂々と姿を表した。武士はぼくを見つけ、刀を取り出し、ぼくに向かって何かを訴えている。ただ、ぼくは何を言っているのか聞くのではなく、僕に向かっての感謝をひたすら口に出していた。ぼくが僕にどれだけ大変なことをさせていたか、僕がどうしてそこまでがんばるほどぼくを守ってくれたのかはもう分からないけれど、気分が少し晴れてきていた。武士がぼくを刀で襲ってくる。それは分かっていた。ぼくは鬼だから宙に浮いてるし動きも早い。簡単に避けられたけど、あえてぼくは避けなかった。武士に切られる選択をした。なぜ夢でも僕が切られたのか分かった気がする。もうこの世の人間でも鬼でもなくなる。最後にぼくは今までの怒りの大きな矛先であった人々、特に本当は愛していた家族、その家族を大切にしてくれていた天皇家のお姫様、なんだかんだ言ってお父さんを役職に就かせてくれていた藤原氏、そして僕に対し大いなる感謝をし、祝福を祈り、こんな結末になってしまったことに対しぼくを叱り、世界を嫌った。

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