№36 『特区』

№36 『特区』

 こうして、俺たちの復讐劇は幕を閉じた。


 しかし、クーデターはこれで終わりではない。


 正式に『ゾンビ国家』を建設するに当たって、やらなければならないことは山積していた。まずは、この国からの独立を認めさせなければならない。


 世界中のメディアが報じる中、俺たちは『ゾンビ国家』樹立に向けて着々と駒を進めていった。


 暴力的な手段にはできるだけ頼らない外交で、しかし時折自衛隊をも屈服させた武力をちらつかせながら、外相とカードを切り合う。


 独立を認めたくないが、国の防衛が破られたという事実は受け入れざるを得ない外相は、慎重にことを進めていた。さすがはプロだが、こちらには実績がある。


 外交に関してはまったくの素人だが、俺は独立を押し通そうとした。


 平行線で進む話し合いは、とうとう自衛隊統合幕僚長に委ねられた。なぜ防衛大臣ではなく幕僚長なのか、そこはわからなかったが、国にもいろいろと事情があるのだろう。


 ある日、俺は鮫島魁童のオフィスを訪れた。


 質実剛健なオフィスで待っていたのは、いわおのような隻眼の老人だった。


 初めて顔を合わせるが、俺たちが戦争をしていた相手の総大将が鮫島だ。こんな古強者を向こうに回して勝利したのか、と改めて奇跡に感謝する。


「来たか。まあ座れ」


 俺と鮫島は応接セットのソファに向かい合って座った。鮫島は葉巻の端をシガーカッターで切り落とし、マッチで火をつける。ふはー、と煙を楽しみ、


「お前さんも好きに吸うといい」


「……それじゃあ、遠慮なく」


 俺もまた、ポケットからタバコを一本取り出すと、百円ライターで穂先を焦がした。


 しばらくの間、沈黙と紫煙だけがオフィスに満ちる。俺は鮫島魁童という男を測りかねていたが、向こうはおおよその見当はついたらしい。


「……いい目をしているな、若造」


 葉巻を片手に、鮫島はサメのような笑みを浮かべて言った。


「ワシの指揮下にある自衛隊を出し抜いただけのことはある。お前さんに負けたと思うと、たしかになあ、と言うしかあるまい」


「俺だけのちからではありません。すべての弱者たちの思いが、願いが背中を押してくれたおかげです。だからこそ、報いたい。弱者のための『ゾンビ国家』が必要なんです」


「なるほどな……弱者のための国、か。まあ、そういうのも悪くはない。少なくとも、今までのこの国よりはずいぶんマシだ」


 核心に切り込んだ俺を、鮫島がいなすように受け止める。タバコを吸いながら、俺は慎重に次の言葉を待った。


「今も昔も、防衛大臣は所詮政治家だ。傀儡に過ぎん。だからこそ、この国の軍事権を事実上掌握しているワシにおハチが回ってきたというわけだ。まったく、ひとの陰に隠れてこそこそと。政治家というものはどうも好かん」


 なるほど、だからこそ鮫島が俺と会談することになったのか。交渉のテーブルに乗っているのは、実質日本の軍隊を取り仕切っている人物。この国の軍事そのものだ。


 俺たちが武力をちらつかせているから、向こうも武力で応じようというわけか。もう一度やると言われたら、やってやる。何度だって受けて立つ。


 ……しかし、鮫島は呑気に葉巻を吸いながら、想像とは別の言葉を口にした。


「ついては提案なんだが、『特区』を作るという構想が内閣にはあるそうだ」


「……『特区』?」


 耳慣れない言葉に眉根を寄せていると、鮫島は説明した。


「その『特区』の中では、ゾンビたちにも生存権が約束される。もうゾンビハンティングは行われない。そして、弱者救済のための独自の法律を作ることが許される。予算も多少は融通をきかせる」  


 落とし所としては悪い話ではなかった。俺たちだっていつまでもこの国と対立し続けることはできない。お互いに疲弊するばかりだ。


 だったらいっそ、独立しないまま自治権だけを与える。あくまで日本国内で完結する仕組みを、政府は提案してきたのだ。予算も、正直なところありがたかった。これからの一番の課題だったからだ。


 俺の顔色を見て、鮫島はにやりと笑った。


「日本中の社会的弱者が集まることだろう。それこそ、ちょっとした国家程度には。『特区』は独立をさせないで自治権だけを認める、いわば政府の妥協案だ。潤沢に、とはいかんが、予算も組まれる。政府側も、最大限譲歩しての提案だ」


 それはわかっている。政府が妥協してそれなら、俺たちも歩み寄らなければならない。でなければ、争いは続くだろう。それは俺も『ゾンビ国民』も本意ではない。


 葉巻をくわえて、鮫島が最後のひと押しをする。


「どうだ、今回はそれで手打ちにせんか?」


 そこまで言われては、こちらも折れるしかない。自治権と予算を与えられただけ御の字だ。なにも独立国家にこだわることはない。戦いに勝って手に入れたものとしては充分だ。


「……わかりました。その提案を飲みます」


 短くなったタバコを消しながら、俺は鮫島と同じようににやりと笑って見せた。これで盟約は成ったというわけだ。


 ……過激派の鉈村さんが聞いたら、また『甘い』とどやされるかもしれないけど。


 鮫島もまた葉巻を吸い終え、次の一本に移る。新しいタバコに火をつけながら、俺たちはしばし煙の中で和睦の成立にほっとしていた。


「話が早くて助かる。由比ヶ浜にはツケを払わせた。ワシらの間にはもうわだかまりはないはずだ。ワシと、お前さんの間にはな」


「ええ。だからこそ、『あなたの』提案を飲んだんです。俺たちをがっかりさせないでくださいね、鮫島さん」


「がっかりさせたそのときは、また一戦交えるか?」


「そういうのは勘弁してください。なにせ俺たちは弱いんで。あんまりいじめないでくださいね」


「かかかかか! おのれの弱さを自覚しているものが一番強い。せいぜいおそろしいゾンビたちを敵に回さんよう、努力しよう」


「そうしてください」


 くわえタバコで笑いかけて、俺はそう答えた。


 それからしばらく互いの健闘を称えあったのち、タバコを消して俺たちは握手を交わした。

 

 がっちりと俺の右の義手を握る手は、ちから強くてごつごつした戦士の手だ。こんな相手と渡り合えたことを、俺は誇りに思った。


 鮫島魁童は信用に足る人物だ。


 直接会って話して、俺は肌でそう直感した。


 鮫島の言うことなら、悪いようにはならないだろう。鉈村さんや『ゾンビ国民』たちの元へ話を持ち帰れば、またひと悶着起きそうだけど。


 俺は一礼してオフィスをあとにし、部屋の外で待たせてあったゾンビたちに守られながらタクシーに乗った。運転手は充満する腐敗臭に苦い顔をしていたが、これだけは許してほしい。


 ……これから忙しくなる。


 政府が提案した『特区』がどんなものになるかはまだわからないが、少なくとも俺たちが勝ち取った権利だ。最大限活用かせてもらおう。


 まずはみんなのところに帰って、話し合いをして、みんなで決める。どんな意見も取りこぼさないように、誰かが割を食うことがないように、俺が調整しなければならないのだ。


 ゾンビたちの国の旗頭は、俺にはちょっと荷が重いのかもしれない。


 けど、俺が決めて俺が始めたことだ。最後までやり切る責任がある。信じてついてきてくれた『ゾンビ国民』たちに恥じることのないよう、精いっぱいやってみよう。


 まだ見ぬ『特区』に思いを馳せながら、俺はゾンビたちの元へと帰還するのだった。、


 

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