episode3-6 雨と南東風が運ぶ言葉
光が視線を上げると、みな実が怪訝な顔をして「何?」と人差し指を左右に振っている。
「何でもないけど」
「けど?」
「キーホルダー懐かしいなって思って」
みな実のペンケースを指しながら光が言う。
「キーホルダーに感謝だね」
そんなことを言いながら、光は自分の画材をまとめはじめた。
「なにそれ」
呆れたような、照れたような、そんなどちらともとれる表情でふっと笑いながらみな実はそうつぶやき、スマホで音声認識アプリを立ち上げる。
『で? 最近どうなのよ、依織くんとやらとは』
「どうもないよ。いつもどおり」
唐突なみな実の問いに、光は笑いながらそう答える。
「あ、そういえばみな実ちゃんが来る前にね、直くんがピアノを直してくれたよ。音が狂ってるっていうからお願いしてたんだ」
光がそう言うと、みな実の眉間にわずかに力が入ったのを感じた。
「ねぇ、みな実ちゃん。今、なんで直してもらったの? って思ったでしょ。顔に出てるよ」
みな実の表情の変化をからかうように光が言う。それから、視線をみな実から外してつぶやくように言った。
「見たかったんだよね。依織くんがピアノ弾くところ」
『……それだけ?』
少ししてみな実が口を開く。光の表情から何かを察したように、静かに問いかけた。
「そうだなぁ……」
光は片づけの手を止めて少し考え込む。やがて片づけを再開しながら口を開いた。
「なんだか遠慮されている気もするし……」
そこで言葉を切ると、また少し考えてから続ける。
「あとは……いつか、聞いてみたい。依織くんが弾くピアノの音」
真っ直ぐとみな実の目を見つめて静かにそう言った。
「みな実ちゃんの声も」
『そっか』
そこから先はとりとめのない会話を続けた。
光がふと窓の外を見ると雲が風に運ばれてするすると流されていくのが見えた。その様子をまるで自分とみな実のようだと思った。
光には言葉にすることを躊躇ってしまうことがある。そうやって光が飲み込んでしまおうとしたことをみな実は言わせてくれる。
光はそんなみな実のことを、言葉を運ぶ風のような人だと思った。
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