夢強盗

@rakuten-Eichmann

夢強盗

遠くから低く響く波の音が聞こえる。おそらく港の近くなのだろう。周囲の様子は目隠しと、手足に食い込む縄によって遮断されていた。「誰かいるのか」と、叫んだ声の響きから察するに、ここは体育館ほどの大きさの部屋の中らしい。金物の匂いと油の匂いに混ざってほんの少し潮の香りが顔をのぞかせる。それらは海沿いに佇む朽ちかけた倉庫を想像させた。

一体いつからここにいるのか?なぜこんな状況になっているのか?といった当然の疑問は、全く浮かんでこなかった。なぜならここは夢の中だからだ。


 私の意識は肉体から離れ、観測者として、目隠しをされ椅子に縛り付けられた私を見た。

 私の体はこの状況から脱出しようともがき、苦痛を感じている。その苦痛を私は三人称視点で感じることができる。周囲の様子がわからない私と、私を風景として捉える私。この奇妙な人格の分裂と融合を、夢が可能にしていた。


 身を捩るが、縄はきつく縛られており、皮が剥け、血が出るばかりで、一向に緩くなる気配もない。30分ほど縄と格闘し、少しの間手首の力を抜き休憩していると、カラカラと何かを回す音が聞こえ、続いて重い扉を開けるような重厚な軋みが響いた。


私は宙にプカリと浮かびながら、水密扉を開け入ってきた人物を眺めた。そいつは4〜50代ほどの男だった。山高帽を被り、上品なスーツにウールのコートを羽織っていた。杖をつき、足を引き摺るようにして歩いている。ギクシャクと歩くさまは非常に機械的ではあるが、糸の切れた人形のようでどこか物悲しい。椅子に縛られている私に一直線に向かってくる。距離にして200mほどだろうか。ゆっくりと、だが確実に向かってくる。

男と私の距離が10mほどになった頃だろうか。ある違和感に気づいた。杖の音と足音の間に雑音が混じっていた。しばらく男を観察して気づくことができた。こいつ、右足が義足だ。よく見れば革靴にそっくりな金属製の爪先だ。まるで映画に出てくるマフィアのボスだ。そう思った頃には、男は私のすぐ目の前まで来ていた。

 

目隠しで覆われた視界の奥に誰かがいる。音から察するに、杖をついた老人といったところか?もしかしたらこの状況について何か知っているかもしれない。顔をあげ、目前の人物に話しかけようとした瞬間、右頬に衝撃が走った。痺れとともに、口内に鉄の味が広がる。現状を理解できないまま、棒状のもので鳩尾を殴られた。二回、三回…胃の中のものを吐いてもやめてくれない。痛みと混乱で、目隠しに涙が滲む。痛みで頭がぼんやりとしてきた。これは眠りか、死か。ああ、意識が薄れていく。私の中に誰かが入ってきた気がする。拒絶反応はない。まあ自分自身だから当然か。


 僕はベッドの上で目を覚ました。何かひどい夢を見た気がするが、頭の中に霧がかかっているような感覚で、うまく思い出せない。この頃うまく眠れない。仕事なら三ヶ月前に辞めた。ストレスもない、なのになぜ。どろりとした眠気が、グルグル回る思考を飲み込み、僕の意識は闇に沈んだ。


私は銃を咥えていた。喉の奥まで咥えているためか、ひどく汚い鼻呼吸の音がするが、状況が状況だ。構っていられない。どうしてこうなった。疑問に思った瞬間、記憶にない場面が次々とフラッシュバックした。意識のない私を激しく殴りつける男。滴り落ちる血が義足を濡らす。男は銃を手に激しく叫んでいる。私からの返答がないためまた殴られる。今や私は、全裸で手足を縄で縛られ、床に冷凍マグロのごとく転がされている。目隠しは外され、首輪のように私の首に絡みついている。

何度かの問いかけに私が答えないので、男の堪忍袋が切れたのだろう、耐え切れなくなった様子で私の口に銃を押し込んだ。なんだ?男は何を求めている?

 だんだんと意識が鮮明になるにつれて、男が叫んでいる言葉がわかってきた。

『……こせ。』

『……をよこせ。』

『夢をよこせ!!』

なんだ。夢だと?夢なんかのために私はここまで苦しんだのか。私は落胆と苦痛を言葉に込めて吐き捨てた。

『ああ、夢なんていくらでもくれてやる。好きなだけ持っていけ。』

私がそう言い終わるや否や、男はニヤリと笑うと、踵を返し、きた時と同じ奇妙な歩き方で水密扉に向かっていった。

 杖と義足と革靴、その三つが奏でる歪なトリオに合わせて、世界が折りたたまれていく。カツン、めりめり。コツン、めりめり。月が地面にキスをして水平線が時計回りに走り出す。犬が吠え、枕は南を向いている。どうやらこの夢も終わりみたいだ。窓の外ではまだ朝日が出ていない。遠くの方から新聞配達のアルバイトがふかす原付の音が聞こえてくる。


 夢の内容は覚えていないが、ひどい夢だったらしく、パジャマが寝汗でびっしょりだ。水を飲もう。キッチンにミネラルウォータのペットボトルがあったはずだ。それを飲めば、またすぐ眠れるだろう。


 彼は、自分が右足を引きずっていることに、いまだに気付かないままだ。

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