第十三話

「良仁君! 良仁君が言っていた少年って、もしかして彼のことだったりする!?」


 目の前に立ちふさがった季嗣の満面の笑顔に良仁はたたらを踏んだ。場違いな明るい声に男と青年も振り返る。

 季嗣の顔も素性も知っているのだろう。男は慌てて刀を納めると季嗣に向かって愛想の良い笑みを浮かべて見せた。男の露骨な態度に良仁は顔をしかめる。


「ねえねえ、良仁君! 良仁君!」


 当の季嗣はと言えばピョンピョンと飛び跳ねて青年を指さしている。正確には青年の頭上をくるくると飛びまわっている白いスズメを、だが。

 興味のあること以外、眼中にないらしい年下の主人に苦笑いして良仁は改めて青年の顔を見つめた。以前、会ったときにはみずら髪姿だったから気が付かなかったが、間違いない。


「彼です」


 良仁はうなずくとびを売ったような愛想笑いを相変わらず季嗣に向けている男に向き直った。


「申し訳ありませんが先に彼と話をさせてもらってもよろしいでしょうか。急ぎの用なもので」


「もちろんです、あちらで話が終わるのをお待ちしております」


 良仁が話し掛けているのに男の顔も体も季嗣に向けたまま。一礼して会話が聞こえない位置まで離れた。言葉通り、待っている様子からして青年の手柄を横取りすることは諦めていないのだろう。

 男の様子に肩をすくめて良仁は青年へと向き直る。青年の方も良仁の顔を覚えていたらしい。


「これは陰陽寮にいらっしゃった……先日は無理なお願いを聞いていただき、ありがとうございました」


 穏やかに微笑んで頭を下げる青年に良仁は頬を緩めた。大それたこと、悪意に満ちたことをするような悪人にはやはり見えない。

 本当に青年が桔梗家の姫に幻術の呪符を渡したのだとして、ほんの悪戯心だったのではないか。悪い偶然が重なって最悪な結果になってしまっただけなのではないか。

 そんな風に思いながら良仁は青年に微笑みかけた。


「前に会ったときに自己紹介をしなかったね。私は良仁だ」


「鬼童丸です。この年で幼名を名乗るのは恥ずかしいのですが」


 はにかんで目を伏せ、青年――鬼童丸は言う。


「もしかして、桔梗家のお使いかな」


「いえ、桂家のお屋敷こちらには個人的な用事でお邪魔しました」


 探りを入れるつもりで桔梗家の名前を出してみたが鬼童丸は少しも動揺しない。にこりと微笑んで手にした荷物を軽く持ち上げて見せる鬼童丸に、良仁もにこりと微笑み返した。

 鬼童丸と男の会話を信じるなら荷物の中身は盗賊が奪った婚礼の儀にまつわる品か、盗賊の生首ということになる。良仁の笑みがちょっとだけ引きつった。


「ちょうど良いところに来てくれたねぇ! 実は君に聞きたいことがあって探していたんだよ!」


 良仁の動揺をよそに肩を押しやって季嗣が身を乗り出す。


「……私の主、桂 季嗣様です」


 名乗りもしない年下の主人に代わって良仁はため息混じりに季嗣を紹介した。初対面の相手に急に距離を詰められて警戒したのだろう。鬼童丸は張り付いたような微笑みのまま一歩下がった。


「聞きたいこと、ですか」


「鬼童丸君。君、桔梗家の三の姫を知ってる?」


「ええ、もちろん。父に連れられて桔梗家には幼い頃より何度も訪れております。三姫様とも仲良くさせていただいておりました」


「その桔梗家のお姫さんにね、鬼の角が生えてきちゃったんだよ。右の額からだけなんだけど、幻術とかではなくて本物の!」


「鬼の……角?」


 季嗣の話があまりにも突拍子がないからか。鬼童丸は目を丸くした。


「お姫さんが大事そうに抱えていた竹の鳥籠。あれを渡したのは君だよねぇ。布でできた百合の花が入った鳥籠だよ。その花の中に良仁君に書いてもらった幻術の呪符を隠したはずだ」


 驚いている様子の鬼童丸を下からのぞき込んで季嗣はニタァ……と唇の端をつり上げて笑った。


「右半分だけとは言え、お姫さんが鬼になっちゃったのはキミにとっても予想外だったのかな?」


 呆然と季嗣の話を聞いていた鬼童丸だったが――。


「そうですか、三姫様が本物の鬼に……」


 そのうちにくすりと笑い声を漏らした。突拍子もない話過ぎて鼻で笑ったのだと、良仁は最初、そう思った。

 でも――。


「幻術の呪符は掛けるのは難しいのに簡単に解けてしまうとお聞きしました。なので、少しでも解けにくくなればと素人知恵で小細工はしたのですが……まさか、本物の鬼の角が生えてくるとは思ってもみませんでした」


 どうやら違ったらしい。

 

「思ってもみませんでしたが……それは僥倖ぎょうこうです」


 僥倖――偶然にも訪れた幸運。


 鬼童丸の一言に良仁は全身の力が抜けるのを感じた。

 桔梗家に恨みがあったのか、それとも姫にか。


 無位で庶民の良仁には文句を言い、仕事を押し付ける。無位で庶民だろう鬼童丸には手柄を寄越せと臆面もなく言い放ち、断れば刀を抜く。

 でも、貴族で自分よりも位が上の季嗣相手にはびへつらう。


 貴族であるか否か。位が上か下か。位が有るか無いか。それらによって理不尽な目に当たり前のように合う世だ。貧しさゆえに下級貴族の子供から庶民に落ちた身なら尚のこと。恨みつらみの一つや二つあるだろう。

 気持ちは良仁にもわかる。


 わかりはするが――。


「僥倖とはどういう意味だ……!」


 怒る、怒らないは別問題だ。

 良仁は目をつりあげると鬼童丸を睨みつけた。


「そのままの意味です。半分とは言え、鬼になった三姫様を妻に迎えようなどと考える変人、桂家はもちろんのこと、貴族社会のどこにもいないでしょう」


「……変人」


「つまり、鬼童丸君の目的は桔梗家の姫の結婚を破談にすることだった、と?」


 良仁の問いに鬼童丸はただ黙って微笑むだけだ。だが、その微笑みには肯定の意味が含まれている。そう察して良仁はますます目をつりあげた。

 〝変人〟という言葉に不服そうな顔をしている季嗣は怒りのあまり視界に入っていない。


「私も下級貴族の次男から無位となり、今の立場になった身だ。理不尽な目に遭うことは多い。君の気持ちも良くわかる」


「……良仁君」


「でも、だからといって鬼になってよかっただなんてそんなことを言っては駄目だ。それでは貴族ではないというだけで理不尽な扱いをしてくるアイツらと同じに……!」


「良仁君、落ち着いて」


 顔を真っ赤にして鬼童丸を怒鳴る良仁を季嗣は扇で押しとどめた。年下の主人になだめるように扇で胸を叩かれ、良仁はぐっと唇を引き結ぶと深呼吸を一つ。


「……失礼しました」


 苛立ちを呑み込んで一歩下がった。うんうんと満足げにうなずいて季嗣ははらりと扇を広げる。


「彼がお姫さんに幻術の呪符を使った理由も、お姫さんが鬼になったことを僥倖と言った理由も良仁君が思っているような理由じゃないと思うよ。……ねえ?」


 季嗣の目配せに鬼童丸はただ黙って微笑むだけだ。その微笑みに肯定の意味が含まれているのを察して良仁はいぶかに眉をひそめた。


「それはどういう意味ですか」


「ところでねぇ、鬼童丸君。確かに僕の弟とお姫さんの結婚は破談になると思うんだ」


 良仁の問いには答えずに季嗣は口元を扇で隠し、鬼童丸の目を下からのぞきこんだ。


「でもねぇ、世の中には君が言うところの変人という者がいるものでね。何を隠そう、この僕なんだけど。桂家の長男である僕が鬼になったお姫さんをお嫁さんにもらおうかな、なんて……なぁんて……」


 言いながら季嗣が両手をあげて降参の体勢を取ったのは喉元に刀を突き付けられたからだ。鞘からは抜いてはいない。切れはしない。でも、季嗣を見つめる鬼童丸の目が言っている。


 それ以上、口を開けば喉骨を折って突き殺す、と――。


 何が起こったのか。腰に差していたはずの刀をいつの間に抜いたのか。

 顔を引きつらせている年下の主人と、主人の喉元に突き付けられた刀と、刀を突きつける鬼童丸とを良仁は唖然として見まわした。

 恐らく無位の庶民であろう鬼童丸が名門貴族である桂家の子息に刀を突き付けたとあれば殺される。鞘を抜いていなくても、ケガ一つなくても、季嗣自身が〝いやぁ、びっくりしたぁ~〟程度の感想だったとしても、この状況が季嗣の祖父である桂家現当主の耳に入れば問答無用で鬼童丸は殺される。


「鬼童丸君、やめろ……!」


 真っ青な顔で鬼童丸の手首を掴んだ良仁だったが――。


「あの人に……軽々しく、触れようとするな……っ」


 唸り声をあげる犬のように歯を剥き出し、絞り出すような声で鬼童丸が言うのを聞いてハッとした。


 ――彼がお姫さんに幻術の呪符を使った理由も、お姫さんが鬼になったことを僥倖と言った理由も良仁君が思っているような理由じゃないと思うよ。


 季嗣がそう言った意味がやっとわかった。


「君は桔梗家の姫のことを……」


 困惑の表情を浮かべながらも良仁が呟いた言葉は――。


「におう……におうぜ! このあたりにきい丸ってのがいるはずだぁぁぁあああーーー!!!」 


 ものすごい勢いで近付いてきた絶叫にぶった切られたのだった。

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