第七話

 大内裏の南東に位置する建物の一室が良仁よしひとの仕事場。正確には良仁が仕える主人の仕事場だ。良仁の仕事は忙しい主人に代わり呪符を書くこと。お手本を参考に呪符を書き写すことだ。

 ただ――。


「お前の主人は今日も遅刻か?」


 毎日のように遅刻する上、机に向かってじっとしていられない性分のせいで主人は部屋にいないことがほとんど。そんな主人に代わって留守を守り、文句を言われるのも仕事の一つ。

 ……というか、主な仕事になっていたりする。


 文机の前に座っているのが良仁一人なのを見て、やってきた壮年の男は大仰にため息をついた。この後、言われるだろう嫌味に内心でげんなりしつつ、表面上は困り顔で微笑んでみせる。


「いいご身分だよなぁ。ときの管理も行っている陰陽寮の長ともあろう人が遅刻なんて。年上の部下たちをあくせく働かせて自分はろくすっぽ仕事場にも顔を出さず、しかも、それが許されちゃうんだからなぁ。さすがは名門貴族のお坊ちゃま。羨ましい限りだ」


 男は陰陽寮に属する下級官人だ。良仁の主人から見れば部下であり、位も下。

でも、貴族に仕える家人に過ぎない良仁は無位の身。相手の方が位は上になる。

 そうである以上、良仁が取るべき態度は決まっている。


「ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません。ですが、陰陽寮の皆様が優秀であればこそ、我が主もこのように奔放ほんぽうに振る舞えるのです。そのことはご当主様もよくよくお分かりのようで、お会いする度に皆様によろしく伝えて欲しいと申しております」


 ご当主様というのは良仁の主人の祖父、桂家現当主のことだ。名門貴族に少なからず恩を売れていると知り、良仁が殊勝な態度で頭を下げるのを見て満足したらしい。男は満更でもない顔でフン! と鼻を鳴らした。


「言伝や文がございましたらお預かりいたしますが」


「相談したいことがある。出仕してきたら知らせてくれ」


 男はそう言って部屋を出て行こうとして――。


「ああ、そうだ」


 足を止めた。


「留守番をしているだけでは暇だろう。仕方がないから暇つぶしの仕事をくれてやる。やっておけ」


 にやにやと笑いながら紙片を投げ捨てると良仁の返事も聞かずに今度こそ部屋を後にした。

 良仁に対してはあんな態度だが良仁の主人であり男から見れば位が上の年下の上司を前にするとへこへこすりすりする。露骨な態度の差に最初の頃は腹も立ったが今ではすっかり慣れてしまった。


「これ、お前の今日の仕事だろうがぁぁぁーーー!」


 人に聞かれないように気を付けつつ鬱憤晴らしに絶叫する程度で呑み込めるようになった。男が放り捨てた紙片を読んだ良仁は袖を口に突っ込んで叫ぶと何事もなかったように、澄ました顔で文机に向き直る。

 数種類の呪符を合わせて百枚ほど書かなければならない。丁寧に書かなければ使い物にならない、ただの紙切れが出来上がってしまう。急がなければ今日もまた残業になってしまう。主人に頼まれている呪符も書かなければならないのだ。いつまでも腹を立ってている暇はない。


「よし!」


 良仁は気合を入れると筆を手に取った。

 と――。


「なら、その仕事は彼に突き返そう」


 すぐ後ろから、それこそ耳に息が掛かるほどの距離で話しかけられて良仁はぶるりと体を震わせた。


季嗣すえつぐ様! 一体、いつから!?」


 振り返ると白い顔と細くつりあがった目、紅い唇のキツネ面のような顔の主人がにやにやと笑っていた。


「いつからだろうねぇ」


 良仁の主人――桂 季嗣はそう言って笑みを深くする。気配を消す呪符をわざわざ使って音もなく背後に近づき、ここぞというときに声をかけて良仁が驚くのを見て楽しむ。三つも四つも年下の主人は良仁をからかって遊ぶのを趣味にしている節がある。

 良仁にじとりと睨まれて満足気に笑いながら季嗣はふところから呪符を取り出した。


「彼の仕事は彼自身にやってもらわないと。相談も却下。そんな時間はないし、いっつも僕や良仁君に頼ってないでいい加減、自力でどうにかしてもらわないと……っと」


 言い終えてふーっと呪符に息を吹きかける。息は白い煙となり、晴れるとそこにちょこんと白いキツネが座っていた。じっと季嗣を見つめた後、キツネはわかったと言うように瞬きを一つ。部屋を飛び出して行った。男の元に季嗣からの伝言を届けに行ったのだ。


「それでさ、良仁君」


 名前を呼ばれて振り返ると季嗣は文机に頬杖をついて良仁の目を下からじーっと覗き込んでいる。


「最近、幻術の呪符を誰かに書いてあげたりしなかったかい?」


「……」


「ねぇねぇ、幻術の呪符だよ。幻術の呪符。記憶力のいい良仁君のことだもの。覚えてないなんてことはないと思うんだよねぇ」


 季嗣はキツネ面のようにつりあがった細い目をさらに細めてニタリと笑った。心の内が見えない薄気味悪い笑み。心の内を見透かされているような薄気味悪い目。

 良仁が思わず目をそらすと――。


「あぁ、やっぱり良仁君だったか! そうだと思ったんだ。だって、呪符から良仁君のニオイがしていたもの」


 自身の鼻の頭を指でつついて季嗣はニタニタと笑った。

 元より隠し切れるはずも誤魔化し切れるはずもなかったのだ。それならそれで回りくどくてねちっこい聞き方をしないでほしいと思うがそういう性格の主人なのだから仕方がない。


「少年に頼まれて一枚、書きました。申し訳ありません」


「いやいや、別に謝ることではないよ。陰陽寮の中にだって〝そういう商売〟で儲けている者がいるくらいだからねぇ」


 頭を下げる良仁に季嗣はひらひらと手を振る。

 呪術は貴族同士の争いによく利用される。呪い、苦しめ、時には命を奪い、〝そういう呪い〟から身を守り、相手に返したりするために使う。〝そういう商売〟の需要はいくらでもあるのだ。


「それに今回、良仁君が渡したのは幻術の呪符。術をかけたい相手が半日以上、そばに置いておかないとかからないくせに効果は三日ともたない。所詮しょせんは幻な上、誰かが触れた瞬間に解けてしまう。たちの悪い悪戯いたずらくらいにしか使い道がない、あの、幻術の呪符だからねぇ」


 ケラケラと笑った後、季嗣は再び良仁の目を覗き込んだ。


「ただねぇ、謝ることではないけれど珍しいなぁ、とは思ったよ。良仁君、いつもはどんなに頼まれても断るじゃないか。面倒ごとに巻き込まれたくないからって」


「ええ、まあ、そうなのですが。今回はたかが幻術の呪符と思ったというのもありますし……」


 そう言いながら良仁は太ももの上に置いた拳をきつく握りしめた。

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