第38話 『キスと肉体関係』

 1985年(昭和60年)10月23日(水) 五峰シーサイドショッピングセンター(モール) <風間悠真>


 オレは12脳の罪悪感と、51脳の『まあ計画のうち』という2つの感情を抱えながら、シーサイドモール(略称でシーサイド、センター、モール等と呼ばれる)の入り口に立っていた。美咲たちには急用ができたと嘘をつき、先輩たちとの約束を優先したのだ。


「風間くん、こっちこっち!」


 伊藤先輩の声に振り返ると、先輩たちが手を振っている。深呼吸して気持ちを落ち着かせ、オレは先輩たちの元へ向かう。


「お待たせしました」


「大丈夫だよ。じゃあ、どこ行く?」


 村上先輩が笑顔で言った。


 先輩たちと一緒に歩きながら、オレは少しずつ緊張がほぐれていくのを感じたが、12脳のどこかで引っかかりが残る。


「ねえ風間くん、彼女とかいるの?」


 突然、杉山先輩が質問してきた。


「え? あ、いや……その……」


 オレは言葉に詰まる。


「もしかして、キスとかまだ?」


 加藤先輩が茶化すように聞いてくるが、12脳が熱くなっているのを51脳が感知する。


「いや、その……キスは……」


 いやキスどころか、美咲の裸は事故だったとは言え見たし、全員もれなく胸だって触っているぞ? と冷静に51脳が反論する。もちろん口には出さない。


 あくまで、純情な後輩を演じようとの51脳の作戦だ。


 ……その時までは。


「えー! やっぱりしたことあるの?」


 長谷川先輩が驚いた声を上げた。


「ま、まあ……それはいわゆるノーコメントってやつで……」


 オレは曖昧に答える。


「のーこめんと? イワユル? なにそれ?」


 伊藤先輩が首をかしげる。他の先輩たちも困惑した表情を浮かべている。


 オレは慌てて説明を始める。


「あ、えっと、つまり……」


「ふーん、要するに答えたくないってことでしょ?」


 村上先輩が腕を組んで言った。

 

 先輩たちの視線が一斉にオレに集中する。オレは思わず後ずさりしそうになるが、おいおい12脳、たかがこのくらいの事、切り抜けられないでどうする? と51脳が12脳に語りかけるのだ。


「え、いや、それは……」


「あ! あそこにゲームセンターあるじゃん! 行ってみよ!」


 突然、杉山先輩が声を上げた。

 

 オレはほっと胸をなでおろす。話題が変わってくれて助かった。先輩たちに囲まれて小さなゲームセンターに向かうと、ピコピコという音とカラフルな光が目に飛び込んでくる。


「ねえねえ、あのUFOキャッチャー、可愛くない?」


 加藤先輩が指さす。


「わー、ほんとだ! やってみたい!」


 長谷川先輩が目を輝かせる。


 UFOキャッチャーか……。今は1985年。この時代にもうあったのか? 前世の記憶をたぐり寄せても思い出せない。かなり昔からあったとは思うけど、多分初期モデルくらいじゃないかな?


 だとすればこんな田舎のショッピングセンターのゲーセンにあるなんて、いわゆるオープンしたてでかなり気合いを入れて金かけてます、みたいな感じだろうか?


 さびれていた現世(令和)では考えられない。……ともかく、オレは安堵あんどのため息をついた。これで話題が完全に変わった。


 と思った瞬間だった。


「あれ? 悠真?」


 聞き覚えのある声に、オレの背筋が凍る。


 ゆっくりと振り返ると、そこには美咲、凪咲なぎさ純美あやみの姿と、いつの間に仲良くなったのか、礼子の姿もあった。4人の表情が驚きから疑いへと変わっていく。


「え? どうして……ここに?」


 美咲が目を細める。


 そりゃあこっちの台詞だよ! 


 帰り道とまったく違うじゃん! 目的がないとセンターまでなんてこないぞ! なにか買い物でもあったのか? ショッピングセンターは小学校とは反対側で、南小出身の礼子ならわかるが、そっち方向だ。


 51脳が警報を鳴らす。まずい、こりゃまずい。想定外だ。


「あ、ああ……その……」


 言葉が出てこない。51脳が必死に状況を分析し、適切な言い訳を探そうとするが、12脳のパニックが邪魔をする。


「あれ? 美咲に凪咲、純美じゃん。もう1人は知らないけど……」


 村上先輩が気づいた。というか気づかなきゃ嘘だ。3人と先輩達は女子バレー部の先輩と後輩だ。


「え、何? 知り合い?」


「知ってるも何も、バレー部の1年」


 バドミントン部の伊藤先輩が、美咲達とバレー部の2年と3年の女子を交互に見ながら言うと、加藤先輩が当たり前のように答えた。


「で、美咲と凪咲と純美が、風間くんとどうしたって?」


 長谷川先輩が興味深そうに尋ねるが、その声は明らかにからかっているようにも見える。美咲たちは顔を見合わせ、オレは彼女たちの間で無言の会話が交わされているのを感じた。


「……だいたいあんたたち、悠真のなんなの?」


 伊藤先輩が厳しい目つきで美咲たちを見ながら言った。その声には明らかな嫉妬と苛立ちが含まれていて、美咲たちは一瞬言葉を失い、お互いの顔を見合わせた。


「え? 私たち?」


 美咲がそう先輩に返すが……。


 私は悠真の何?


 その問いが4人の頭の中で駆け巡っている。彼女、では多分ない。オレは1人に限定した覚えもないし、4人にそう言った覚えはない。例えるなら友達以上恋人未満。


 これは誰が言い出したのかわからないが、今のオレ達の関係にぴったりの表現だ。


 しかしその恋人未満の4人とオレはキスをして、胸までんでいる。


 普通に考えたら4人それぞれに、限りなく恋人に近い……が、特定の恋人ではない好きな女の子、というスタンスになるだろうか。


「私たちは……悠真くんの友達です」


 凪咲が口を開いて、その言葉に純美と礼子が小さくうなずく。


 しかし、美咲は違った。


「友だちじゃない」


 その言葉に全員が驚いて美咲を見る。美咲は真っ直ぐにオレを見つめて言った。


「悠真は私の大切な人です」


 その言葉に、先輩たちがざわめく。


 やべえ……。12脳か51脳かわからないが、夏祭りの花火大会。階段での出来事を思い出した。


 あの時オレは美咲とキスをして、いい感じになって胸を触って……その先を……。


 いやいや、いかんいかん! 別の世界へトリップするところだった。


「えー? 風間くん、そういうことだったの?」


「ねえねえ、どういう関係なの?」


 先輩達が口々にオレに詰め寄る。


「いや、その、違くて……」


 オレは慌てて手を振るが、今度は凪咲が前に出た。


「私も悠真の大切な人です」


 純美も礼子も、負けじと声をあげる。


 あれ? おい、ちょっと待て……いつの間にか主語が変わっているぞ。


 悠真は、から、悠真の、に変わってる……。


 似てるけど意味は全く違うぞ!


「私も!」

 

「私だって悠真くんの大切な人よ!」

 

 凪咲たち3人の言葉に、先輩たちの目が点になる。

 

「ちょ、ちょっと待って……風間くん、これどういうこと?」


 伊藤先輩が困惑した声を上げた。


 そりゃそうだ。


「あの、これは誤解で……」

 

 その時、美咲が再び口を開いた。

 

「先輩たちこそ、悠真とどういう関係なんですか?」

 

 その言葉に、今度は先輩たちが言葉に詰まる。


「それは……その……後輩だし……」


 村上先輩が曖昧に答えるが、凪咲が鋭く切り返す。


「後輩ってだけで、放課後一緒にゲーセンで遊ぶんですか?」

 

 場の空気が一気に緊張する。オレは両手を上げて、必死に場を取り繕おうとする。


「みんな、落ち着いて! これには説明が……」


「 「黙ってて!」 」


 ……あ、はい。





 修羅場だ。





「悠真!」


「風間くん!」


 ほぼ同時に数人の声が混ざった。


「(悠真は)(風間くんは)どんな子が好きなの?」


 ん? なぜこうなった? ……いや、チャンスだ。


 個別の関係性を説明して納得してもらうより、当たり障りのない、不特定多数がYESと言いやすいような答えを出せばいいのだ。


 51脳がフル回転して答えを導き出す。


「えーっと……そうだな……。つまり、うん。自分の事を理解してくれて、そう……あとは自分が自分が! じゃなくて協調性のある人かな。もちろん他にもあるけど、美咲も凪咲も純美も、そして礼子も。それから先輩達もそうじゃありませんか? 自分を理解してない、しようとしない人は好きにはなれないでしょ?」


 オレの言葉に場の空気が一瞬凍りついた。全員がオレを見つめている。


「うーん……まあ、確かにそれは大事かも」


 村上先輩が最初に口を開き、美咲たちも、少しずつ表情が和らいでいく。


「でも悠真。それだけじゃ答えになってないよ」


「そう。私たちは、もっと具体的なことが知りたいの」


 凪咲が静かに言うと純美もうなずいて続けた。


「例えば、私たちの中で誰が一番好きなの?」


 ついには礼子も加わり、美咲が、じっとオレを見つめながら言う。


「それとも……みんな同じくらい?」


 先輩たちも興味深そうに耳を傾けている。オレは再び追い詰められた感覚に陥った。


 やばいやばいやばい!


 考えろ考えろ考えろ!


 ……よし!


「……礼子も美咲も、半分正解で半分間違い、というのが答えかな」


「どういうこと?」


 全員がオレを見る。……ううう、視線が痛い。


「……例えば誰か1人を選べって言われて選んだら、選ばれなかった人はどう思う? 悲しまない? もしかしたら、選ばれた人を恨むかもしれない。オレはそんな風になってほしくないんだ」


 ……。


「もし仮に、相手に一番に思われたくて他の人を蹴り落としても、と考える人がいたとしたらどうだろう。自分が蹴落とされたら? 蹴落としたら? そんな事は誰も望んでないんじゃないかな。今が楽しくて仕方がないとしたら、争う事で全てを失うかもしれない。そんなの嫌じゃないか?」


 オレの言葉に、全員が黙り込んだ。


 それぞれが自分の気持ちと向き合っているようだったが、しばらくの沈黙の後、美咲が静かに口を開いた。

 

「でも、悠真。いつかは選ばなきゃいけないときが来るよ」


「そう。私たちだって、このままずっとじゃいられないと思う」


 凪咲もうなずいて言った。純美と礼子も同意するように顔を見合わせる。


 先輩たちも、複雑な表情でオレを見ている。


 オレは深呼吸をして、ゆっくりと、感情を込めて言葉に出した。


「美咲、お前の強気なところ、実は俺、好きなんだ。自分の気持ちをはっきり言える勇気がある。でも、ときどき見せる弱い面も可愛くて……たまらないよ」


 美咲は一瞬驚いた表情を見せ、すぐにほおを赤らめて目をそらす。

 

「ば、ばか……そんなこと言われても……」


 と言いながらも、小さな笑みがこぼれている。


「凪咲、お前の明るさには救われてる。俺が悩んでるときも、その笑顔で元気をくれる。好奇心旺盛なところも魅力的だ。お前といると、新しい発見があって楽しい」


「えへへ、悠真と一緒にいるの、私も楽しいよ!」


 凪咲は目を輝かせ、大きな笑顔で返した。


「純美、お前の優しさは特別だ。みんなのことを思いやる心に、いつも感動してる。控えめなところも素敵だけど、たまに見せる積極的な一面に、ドキッとさせられるんだ」


 純美は顔を真っ赤にして、両手で頬を覆いながら小さな声でつぶやく。


「も、もう……悠真くん、恥ずかしいよ……」


「礼子、お前の一生懸命さが好きだ。料理を作ってくれたり、文化祭でのあの……な? どれも俺の心に深く残ってる。内気な中にある情熱、俺にはよく伝わってるよ」


 礼子は顔を真っ赤にして、震える声で『悠真……私、もっと頑張るね』と答えた。


「先輩たち、部活で一生懸命頑張ってる姿に憧れてます。汗を流しながら練習してる姿を見るたび、かっこいいなって思うんです。特に伊藤先輩のスマッシュ、村上先輩のレシーブ、杉山先輩のサーブ、加藤先輩のブロック、長谷川先輩のトスは本当に素晴らしくて……」


 先輩たちはお互いに顔を見合わせ、少し照れくさそうに笑った。

 

「まあ、そう言ってもらえると嬉しいけどね」


 と伊藤先輩が言うと、他の先輩たちもうなずく。

 

「みんな、それぞれ違う魅力があって……正直、誰が1番かなんて、本当は大事な事じゃないんじゃないかって思う」


 ……。


 ……。


 ……。


「まあ、いっか……よくは……ないかもしれないけど、今すぐどうこうじゃないかも」


 美咲がそう言うと、そうだね……。うん……。と言うような空気が芽生えてきた。


「私、頑張る! それで将来、悠真が私を選んでくれたら、嬉しいな♡」


「……私も♡」


「私も同じ♡」


「……私も同じ……気持ち♡」





 ……乗り切ったあああ!


 のか?





 次回 第39話 (仮)『高遠菜々子と近松恵美。事故の連続とAの次』

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