金とデブの天秤

蛇トロ

第一話 金持携

9月の半ば、夏休みが終わって少し経ち、朝の涼しさが心地よい日々が続いていた。1年3組の教室では、生徒たちがそれぞれ夏休みの思い出や宿題の愚痴を語り合い、賑やかな雑談が飛び交っていた。


だが、その和やかな雰囲気が一変したのは、藤井先生が教室のドアを開け、ある生徒を伴って現れた瞬間だった。


「みんな、席に着け!」藤井先生のいつもと変わらぬ声が教室に響いたが、その言葉に反応した生徒たちの視線は、彼の後ろに立つ人物に釘付けになった。


「うわ、なんだあのデブ…きったねー」最前列に座っていた男子生徒が、ぼそりとつぶやいた。


「めっちゃ汗かいてるじゃん。なんか臭くない?」別の女子生徒が鼻をつまみながら、小声で隣の友達に囁く。


その声が広がると、教室中がざわつき始めた。皆がその少年に目をやり、囁きや笑いが少しずつ大きくなっていく。


「絶対あいつ、ヤバいやつだろ。友達になりたくねえ…」後ろの席の男子が、目を細めながら仲間と視線を交わし、軽蔑の色を浮かべた。


教壇の前に立つ金持 携(かねもち すがる)は、明らかに太りすぎた体を大きく揺らしながら、じっと下を向いていた。彼のシャツは汗で滲んでいて、肩や背中にくっきりとシミが浮かび上がっている。その姿は、生徒たちに嫌悪感を抱かせるのに十分すぎるほどだった。


「今日からこのクラスに加わることになった、金持 携(かねもち すがる)くんだ。みんな、仲良くしてやってくれ。」藤井先生は紹介したが、その声は生徒たちの耳にはほとんど届かなかった。彼らの関心はもっぱら携の見た目と、彼が発するどこか不快な雰囲気に集中していた。


「よろしく……」携がか細い声でそう言ったが、それは教室全体に不安や違和感を増幅させるだけだった。


「なんだよ、あいつ。絶対友達いないだろうな。」誰かが嘲笑混じりに言う。


「てか、あの体型で体育とか無理でしょ。なんか一緒のクラスって嫌だなぁ…」クラスの一角で、何人かの女子が顔をしかめて言い合っていた。


携の体は一層縮こまり、さらに下を向いた。彼の顔には汗がじっとりと浮かび、額に滲んだ滴がポタリと教壇に落ちた。


しかし、教室のざわめきが頂点に達した時、一人の男子生徒が立ち上がった。その人物は、中村 雫(なかむら しずく)。クラスの誰もが彼を「いいやつ」と認めている、穏やかな性格で知られる生徒だった。


「金持くん、よろしくね。俺は中村雫。何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれよ。」雫は携に微笑みかけ、優しく手を差し出した。


その瞬間、教室内の雰囲気が少し変わった。生徒たちは一瞬、息を呑んで静まり返った。しかし、その静寂もつかの間、再びひそひそとした声が聞こえ始めた。


「雫ってほんといいやつだよな。でも、あいつと仲良くしようとは思わないけど…」女子生徒の一人が、友達に小声で話しかけた。


「マジで関わりたくないよね。あんなやつと一緒にいたら、変な目で見られるだけだし。」別の男子が笑いを堪えながらそう言った。


携は、雫の差し出した手を一瞬見つめた後、ためらいがちにその手を握った。彼の手は汗で湿っていて、雫はその感触に少し驚いたが、何事もないかのように笑顔を保った。


「……ありがとう。」携がつぶやくように言ったが、その声はほとんど聞こえなかった。彼の表情には、どこか自分でもどうしていいかわからないといった困惑がにじみ出ていた。


「おう、これからよろしくな!」雫は携の肩を軽く叩き、彼に席を案内した。携は無言でその後をついていき、教室の後ろの空いた席に座った。


その瞬間、教室内には見えない境界線が引かれたようだった。誰もその席に近寄ろうとはせず、携の存在を無視するかのように、再び自分たちの会話に戻っていった。しかし、その話題の中には、彼への軽蔑や嘲笑が織り交ぜられていた。


「やっぱりあいつ、無理だわ。なんでこんなやつが転校してきたんだよ。」男子生徒が、小声で毒づいた。


「絶対、友達できないだろうね。私、関わらないようにしよ。」女子生徒が、友達と共にうなずいた。


携は、そのすべての言葉を聞いているかのように、俯いたまま動かずに座っていた。教室の片隅で、一人だけ違う空気を纏っている彼の姿は、まるで他の生徒たちとは異なる世界に存在しているかのようだった。


教室の中で流れる時間が、いつもより遅く感じられる。携の存在が、1年3組の教室に少しずつ重苦しい影を落とし始めたのだった。

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