第25話 ふゆう【ダンジョン回】
ラランは周りを確認して、剣に手をかけた。
眼差しを引き絞る。深く、集中。
剣の鍔を、左手の指で押し上げる。
深呼吸。息を長く、吐き出す。
深く、専心。
こより、束ねる。
深く、しずむ。
…………。
……。
斬る。
ぬまん……、という音が響き、いっそ遅く見える剣筋が閃いた。
ラランの日頃の鍛錬は、剣を納刀して一瞬で終わった。
かつてゴブリンだった真っ白い布切れには、すべての黒線が消えて無くなっている。
タロッキは何が起きたのか分からなかったのか、何度もラランの剣と、真っ白い布切れを交互に見比べていた。
「うーん、相変わらず、とんでもない技量ですね……」
「同じことできるやつは、頭目か。団長ぐらいだろうしなー……」
「事務仕事で紙の文字だけを斬れたら、楽だなって思いついてできちゃっただけなんだけどね。クックよく間違うし……」
クリスが真っ白になった布を作業台から持ち上げた。シミ1つ無いそれは、表面はツルツルで、太陽代わりの炉光を照り返している。
「やっぱりこれ、紙じゃない?」
「紙?」
マナギはあらためて手にとってみた。ツルツル滑る手触りで、布と言って良い厚さがある。だが言われてみれば、インクなどが染み込みそうな印象も受ける。
「少し調べる」
クリスが真っ白になった推定紙を、様々な方法で調べた。
やはり推測通り、よく燃え、水でふやけ、文字を書き込む事に適した紙の性質に近い物だと判明した。
「紙……のような物とは判明したけど……」
「そうね。問題は、どうしてゴブリンからこれになるのか、あの再生能力が何なのかが、まったくわからない事ね……」
「聞き出すしか無いな。素直に話すとも思えんが」
「うむ」
「お、もう行くのか?」
台車を運んできたギリアムにマナギ達は話しかけられた。今日中に旅立つ事を伝え、荷物をすべて背負っているので出発だと彼は察していた。
マナギ達はラランに少し先に行くように、目で促された。
ミュレーナの背をタロッキと軽く押して、マナギは先にゆっくりと歩き出した。
「世話になったわね」
「いや……今回はこっちの事だな」
「そうね……」
「あー……………、また来いよ、今度はクックのアホと一緒に」
「ええ。今度は3人で来るわ」
「うん? あぁ……また聴かせてくれ。ララン」
「うん。あなたはあなたらしく、また会いましょう。ギリアム」
◇
マナギ達は炉心塔迷宮のぐるりとした坂道をしばらく登ると、小さいトンネルのような通路に辿り着いた。
奥行きのある道で、緩く上昇する坂道がずっと奥に続いていた。
「今もいるのか、蜘蛛」
「え、ああ。まだ居るかな……」
「スプウドゥンディ?」
トントンと軽く指先でミュレーナが自身のこめかみを叩くと、ひょっこり小さな蜘蛛が、黒髪の隙間から姿を覗かせた。
「クモか」
「糸吐かないのか、そいつ」
「吐かないみたいですね。自然の多い場所なら逃がしてあげられるんですが……」
「上に行けば地面はあるわ。着いたわよ」
「うお……!」
通路を曲がると独りでに緩い速度で、瓦礫が多く上昇していく外の区画にたどり着いた。
何人か先客が居て、こちらに手を振って大きな瓦礫に掴まり上昇していく。
その光景にララン以外全員。口を開けっ放しでポカンと見つめてしまった。
「ウティス ブディイクンム……」
「ここまで大規模な、重力歪曲……あるんですねぇ……」
「上下巡回してるから、通り過ぎたらもう一周になるわ。塔から離れすぎるとぐるぐる出られなくなったし、ゆっくりだけど気をつけてね」
「え、出られなくなった……?」
「離れれば離れるほど上と下の重力が拮抗する空間になるのよ。危うく渇き果てるまで、ずっとそこに居るハメになるところだったわ」
「運良く瓦礫を伝うか、翼でも無いと死ぬって事か……」
マナギがタロッキの翼を見つめると、彼女は尻尾の先を少し得意げにマナギの肩に乗せた。甘えたような、頼もしく思えと促すような仕草だった。
「下の迷宮内よりマシよ。完全に真空。重力無しの牢獄空間すらあるんだから。じゃ、行きましょう」
マナギ、ミュレーナ、ラランの3人は特に問題なく浮かび上がったが、クリスと人以上に身体の部位が多いタロッキは、ゆっくりときりもみ回転しながら登ることになった。
「あ。身体が大きいとそもそも回りやすいって、言い忘れてたわ」
「おー……」
「アハハッ!! フオム〜!!」
「あははっ、変な顔!」
「姫さんもなんか変だぞ?」
「おお! 生まれて初めて変って言われました! やったぜ!!」
「喜ぶのか……」
遥か遠くまで見える景色。水辺には大型の魚影も見て取れる。上をみると、上昇していく瓦礫の隙間から光が溢れる。まるでそれは、澄んだ湖の底から浮遊する光景に似ていた。
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