第24話 よるかいわ【スローライフ回】
深夜、軍靴の記憶店内酒場は、ラランの爪弾く静かなリュートの音と、ギリアムが酒を飲む喉の音だけがしばらくこだましていた。
「久しく聴かなかったな、お前のリュート」
「クックにはよく、聴かせてあげてるけどね」
「元気か、あいつは」
「元気すぎるくらいよ。早くあたしを自分の物にしたくて、仕方ないみたいだもの」
ギリアムの表情は、苦笑するララン以上に複雑だった。愛憎、親愛、憐憫、深い友情。後悔は無い。だが最近起こったことも含めて、彼の内心は自身でも、とても定められそうになかった。
「…………ねえ」
「寂しいからって気の迷いはよしてくれ、最近気の迷いが起きた相手なら、尚更な」
「ふふっ、そうね……大丈夫?」
「想像以上だったな。事前に親父もなってるし、前もって知識が無かったと思うとゾッとするぜ。教会様々だよ、本当に……」
「……どんな感じ?」
「見つかってたら重犯罪スレスレのonparadeで、酷え気分悪ィい。Fuckした訳でもねえ女の、……悲鳴が」
ギュイィィンとしなる弦が鳴った。静かだった酒場に激しい旋律が、しばし響く。
かつての軍靴に刻んだ日々、決して、色褪せる事の無かった鮮烈な日々が、胸に蘇る。
応じるように、ギリアムは酒を呷る事ができた。
「聞いて悪かったわ。……どう?」
「良い音だ。吐き出せただけマシだな、話題を変えよう。回ってきたぜ」
「お酒が?」
「回状だ。盗みだとよ。……ララン」
ラランが受け取った依頼書には、何者かによって鉄機兵の部品が大幅に盗まれ、探索し取り返して欲しいと記入されていた。
◇
翌朝。マナギは女性陣の部屋をノックしていた。
「おーい。姫さん」
中からは音がしない。だが彼女が居る気配はある。ラランから預かっていたカギで、マナギは念のため中を確認しようとカギを開けた。
「入るぞー、俺だぞー、……なに、してんの?」
「あっ……!」
可愛らしいズレた寝巻き姿のまま、ミュレーナはハンモックにだらんとぶら下がって、床のシミのような点を見つめていた。
マナギに呼びかけられると、恥ずかしそうに毛布をかぶった。
「もー……紙切れさんが声かけちゃうから、目をそらされちゃったじゃないですか」
「はい?」
数歩歩いて近づくと、床のシミだと思っていたのは白っぽい毛の蜘蛛だった。大きさはとても小さい。マナギの指の先程も無いだろう。
彼はつぶらな複数の瞳で、ミュレーナをじっと見つめていた。
マナギは手を伸ばして、蜘蛛を捕まえて外に逃がそてやろうとしたが止めた。1人ならそうしていただろうが、ミュレーナが居たからだ。
「……優しいんだ?」
「姫さんがどうにかしちまうだろ?」
「そうだね。おいで〜、怖くないよ」
ミュレーナが手を控えめに床に差し出すと、蜘蛛はゆっくりと8本足で歩いて登ってきた。
「いらっしゃい。ふふっ……君はどこから来たのかな〜?」
「コイツとずっと喋ってたのか?」
「ううん。目が合ったら、なんとなくそらせなくて。寝起きだったし」
スリスリと指先で愛でると、心地よさそうに蜘蛛はミュレーナの指の上に座った。
なんの変哲もない小蜘蛛だ。この大きさなら毒も無い。
「なんの力も、特別も無くったって良いんですよ」
マナギの方を見ず、ミュレーナは見透かしたように言った。自然に出た独り言だったのかも知れない。
「ただ一緒にいる時間が、特別で、かけがえのないものになれば良いと願えれば、きっと良いんです」
「そうだな。良いことを言うじゃないか」
「私は良いことしか言えませんよ。……気味、悪がらないんですね?」
「それは姫さんもだろ、女の子だし」
「これでも魔女の弟子です。カエル、イモムシ、クモにヘビ、何でもござれですよ」
そっと窓辺に蜘蛛を置くと、彼は素直に降りてくれた。相変わらず、ミュレーナの方を見つめている。
「怖いのは、お嫌いですか……?」
「いいや。怖くったって、触れたいし、……見てたいよ」
ゆっくりと、ミュレーナの被る毛布に手を伸ばした。廊下を歩く誰かの足音。マナギの手は止まった。
「着替えるか」
「うん……」
「姫さん」
「愛してる、は。無しですよ?」
「なら、恋してる」
「ふふっ……残念ながら、今日は先客様の勝ちですね」
「ちぇ……そいつは姫さんの生着替え、見放題なわけだ」
「………………えっち」
毛布で深く身を隠す姫を尻目に、マナギは赤い顔を隠すように、そっぽを向いてドアの向こうに消えた。
蜘蛛は、ただずっと、自身の姫君を見つめ続けていた。
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