第24話 よるかいわ【スローライフ回】

 深夜、軍靴の記憶店内酒場は、ラランの爪弾く静かなリュートの音と、ギリアムが酒を飲む喉の音だけがしばらくこだましていた。


「久しく聴かなかったな、お前のリュート」

「クックにはよく、聴かせてあげてるけどね」

「元気か、あいつは」

「元気すぎるくらいよ。早くあたしを自分の物にしたくて、仕方ないみたいだもの」


 ギリアムの表情は、苦笑するララン以上に複雑だった。愛憎、親愛、憐憫、深い友情。後悔は無い。だが最近起こったことも含めて、彼の内心は自身でも、とても定められそうになかった。


「…………ねえ」

「寂しいからって気の迷いはよしてくれ、最近気の迷いが起きた相手なら、尚更な」

「ふふっ、そうね……大丈夫?」

「想像以上だったな。事前に親父もなってるし、前もって知識が無かったと思うとゾッとするぜ。教会様々だよ、本当に……」

「……どんな感じ?」

「見つかってたら重犯罪スレスレのonparadeで、酷え気分悪ィい。Fuckした訳でもねえ女の、……悲鳴が」


 ギュイィィンとしなる弦が鳴った。静かだった酒場に激しい旋律が、しばし響く。

 かつての軍靴に刻んだ日々、決して、色褪せる事の無かった鮮烈な日々が、胸に蘇る。

 応じるように、ギリアムは酒を呷る事ができた。


「聞いて悪かったわ。……どう?」

「良い音だ。吐き出せただけマシだな、話題を変えよう。回ってきたぜ」

「お酒が?」

「回状だ。盗みだとよ。……ララン」


 ラランが受け取った依頼書には、何者かによって鉄機兵の部品が大幅に盗まれ、探索し取り返して欲しいと記入されていた。





 翌朝。マナギは女性陣の部屋をノックしていた。


「おーい。姫さん」


 中からは音がしない。だが彼女が居る気配はある。ラランから預かっていたカギで、マナギは念のため中を確認しようとカギを開けた。


「入るぞー、俺だぞー、……なに、してんの?」

「あっ……!」


 可愛らしいズレた寝巻き姿のまま、ミュレーナはハンモックにだらんとぶら下がって、床のシミのような点を見つめていた。

 マナギに呼びかけられると、恥ずかしそうに毛布をかぶった。


「もー……紙切れさんが声かけちゃうから、目をそらされちゃったじゃないですか」

「はい?」


 数歩歩いて近づくと、床のシミだと思っていたのは白っぽい毛の蜘蛛だった。大きさはとても小さい。マナギの指の先程も無いだろう。

 彼はつぶらな複数の瞳で、ミュレーナをじっと見つめていた。


 マナギは手を伸ばして、蜘蛛を捕まえて外に逃がそてやろうとしたが止めた。1人ならそうしていただろうが、ミュレーナが居たからだ。


「……優しいんだ?」

「姫さんがどうにかしちまうだろ?」

「そうだね。おいで〜、怖くないよ」


 ミュレーナが手を控えめに床に差し出すと、蜘蛛はゆっくりと8本足で歩いて登ってきた。

 

「いらっしゃい。ふふっ……君はどこから来たのかな〜?」

「コイツとずっと喋ってたのか?」

「ううん。目が合ったら、なんとなくそらせなくて。寝起きだったし」


 スリスリと指先で愛でると、心地よさそうに蜘蛛はミュレーナの指の上に座った。

 なんの変哲もない小蜘蛛だ。この大きさなら毒も無い。


「なんの力も、特別も無くったって良いんですよ」


 マナギの方を見ず、ミュレーナは見透かしたように言った。自然に出た独り言だったのかも知れない。


「ただ一緒にいる時間が、特別で、かけがえのないものになれば良いと願えれば、きっと良いんです」

「そうだな。良いことを言うじゃないか」

「私は良いことしか言えませんよ。……気味、悪がらないんですね?」

「それは姫さんもだろ、女の子だし」

「これでも魔女の弟子です。カエル、イモムシ、クモにヘビ、何でもござれですよ」


 そっと窓辺に蜘蛛を置くと、彼は素直に降りてくれた。相変わらず、ミュレーナの方を見つめている。


「怖いのは、お嫌いですか……?」

「いいや。怖くったって、触れたいし、……見てたいよ」


 ゆっくりと、ミュレーナの被る毛布に手を伸ばした。廊下を歩く誰かの足音。マナギの手は止まった。


「着替えるか」

「うん……」

「姫さん」

「愛してる、は。無しですよ?」

「なら、恋してる」

「ふふっ……残念ながら、今日は先客様の勝ちですね」

「ちぇ……そいつは姫さんの生着替え、見放題なわけだ」

「………………えっち」


 毛布で深く身を隠す姫を尻目に、マナギは赤い顔を隠すように、そっぽを向いてドアの向こうに消えた。

 蜘蛛は、ただずっと、自身の姫君を見つめ続けていた。


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