第6章 邪魔者

第1話

 どうやって戻ってきたのか、璃斗はまったく覚えていなかった。


 気づいたら家にいた。そして自分が一番安らげる場所は、弁当屋の厨房だということに改めて気づかされた。


(父さん、母さん……)


 両親との思い出のつまった場所だ。幼い時からここにいた。弁当を作っている両親を眺めているのが好きだった。手伝いがしたくて仕方がなかった。


 ゆで卵の殻を剥く、エビの殻を剥く、玉ねぎの皮を剥く、手伝えることはなにかを剥くことばかりだった。それがいつの頃からか、包丁を握らせてもらえるようになり、野菜や肉を切る手伝いができるようになった。


 次はだし巻き卵を焼く、フライを揚げる、煮物の味付けをするなどの調理を任されるようになった。初めてのお手伝いから二年が過ぎた頃だ。ただただ楽しかった。幸せだった。


 だが、その幸せは長く続かなかった。


 十歳の時に母が倒れ、あっけなく他界した。


 その後は学校に通いつつ、父の手伝いをし、受験を終えて大学に入学したら新しい家族ができた。


 とにかく明るい父の再婚相手。そして不愛想だが親の言いつけをきちんと守る義弟。いろいろ問題はあっても、四人の生活は賑やかで華やかであった。


 ところが、たった二年。最悪の事故で璃斗はまたしても親を失った。

 どれほど悲しみ、泣いても、故人は帰ってこない。


 璃斗に残されたのは血のつながらない弟の真二郎だけだった。


(もうこの厨房には誰もいない。……誰も。僕は一人ぼっちになってしまった)


 両手を見ると、わずかに震えている。真二郎には嫌われていることはわかっていた。だが、ああもはっきり大嫌いだなんて言われたことは今までなく、ほのかな期待を抱いていたのは事実だ。


(大嫌い、か。そんなに嫌われること、したっけ? 大事にしなきゃとは思っていたけど、構いすぎないように気をつけていたんだけどな)


 見つめる両手が次第に滲んでくる。同時に鼻の奥がツンと痛くなって、それからぽとりと大きな雫が落ちた。


(バカ、泣くなよ、情けない)


 自分に向けてツッコミを入れ、苦笑する。手で涙をぬぐい、はあ、と大きく深呼吸をして上を向いた。


(バカは泣いてることじゃないだろ。小学生に怒鳴られて、しっぽ巻いて家に帰ってきてしまった弱虫な根性だよ。ここにいたってなにも始まらない。戻って、話し合わないといけない。なのに、足が動かない)


 外でガタンと音がした。なんだろうと思い立ち上がると、玄関の扉を誰かがドンドンと叩いている。


(玄関ならドアフォンを鳴らせばいいのに)


 シャッターを閉めているので、来訪を知らせるものはなにもない。だが。隣接している玄関にはドアフォンがある。


 璃斗は室内ドアフォンのボタンを押し、外にいる者と話せる状態にした。


「どちら様ですか? 扉を叩かないでいただきたいんですけど」

「璃斗、俺だ。早く開けろ」


 名乗らないが、声と口調で瞬時に正体を理解した。


(高須……)


 驚き、思案する間も、ドンドンドンと扉が叩かれ続けている。その音は璃斗の心を鋭く刺した。湧いてくるのは恐怖だ。


(どうしよう)


 会いたくない――そう思うが、ドアフォンで話をしてしまった以上、居留守を使うことはできない。


 高須は弱い者が困っている様子を面白がる男だ。体格に恵まれ、さらに運動神経もよく、鍛えていて筋骨隆々。誰も歯向かわないし、歯向かえない。


 さらに代々商店街の会長をしている家系だ。祖父もそうだったし、今の会長も彼の父親だ。いずれ高須も継ぐだろう。


 商店街の会長といっても、特段大きな権力があるわけではない。しかしながら、みな忙しく、なかなか商店街のためだけに時間を割くことができないが、高須家はそんな商売人たちに代わって商店街を守ってきた地元の名士だ。だから誰も高須家に逆らったりはしない。


 高須洋治が威張っていられるのは彼の体格と実家の影響力からのことだが、弁当屋を営む璃斗ももれなく同様で、どんなに嫌な目に遭っても、なにも言うことができなかった。


「璃斗!」


 怒声に反応して璃斗の体がビクンと跳ねる。意思に関係なく立ち上がって玄関に向かっていた。


 そっと玄関の扉の鍵を開けると、いきなり引っ張られて大きく開いた。


「いるならさっさと出ろよ」

「ごめん」

「お前、どこ行ってたんだ?」


 高須は尋ねつつ勝手に靴を脱いで上がり込んでくる。厨房脇に置いている休憩用のテーブルに向かっているようだが、璃斗はそれを止めることができず、あとに続くだけだった。


「臨時休業の張り紙なんて珍しいが、週末だし、一泊二泊の旅行かと思っていたら、一週間も休んでよ」

「ちょっと知り合いの家に、え? 今、なんて?」

「知り合いだって? どこの知り合いだ!?」


 互いの言葉が重なってかき消してしまい、よく聞こえなかった。

 驚いている璃斗に高須が畳みかける。


「お前んち、両親それぞれ実家は田舎だろう。親戚もこっちにはいなかったはずだ。一週間も転がり込める知り合いって誰なんだよ」

「いやだから、ちょっと待って。一週間ってなんだよ。僕らは二日厄介になっただけで」

「はぁ? お前、なに言ってんだ? 一週間いなかったじゃねぇか」


 璃斗はパチパチと目を瞬いた。


「一週間……?」


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