帰還

 湖から引き上げられたリョウは、手に持った短剣二本の水を切って後ろの腰に装備している鞘に収めた。


「あの…」

「なんだ?」


 シロはリョウに声をかけた。

 薄暗いが相手の顔はギリギリ見える。

 リョウにはそもそも目が無いので見えないが。


「良ければ話を聞きたいんだけど…」

「…」

 リョウは考えるように黙り、答える。


「いいが…その前に此処は何処か聞いてもいいか?」

「え? ああ…此処は5階層だよ。本当はさっきの亀じゃなくて魚型の魔物が出るはずだったんだけど…」

「イレギュラーか」

「うん…」


 シロは空気を読み、君の存在も大概イレギュラーなんだけどな…という考えは口にしなかった。


「わかった。とりあえず階段へ行く。話はそれからだ」

「そうだね」


 魔物が倒されたとは言えダンジョン。何が起こるか分からない。再びリョウや巨大亀のようにどこからか現れるともしれなかった。


 リョウの言葉に否やは無かったシロは素直に頷いた。

 だがふらふらとしながら前を歩くリョウに怪我の具合が酷いのかと思って声をかける。


「大丈夫?」

「…ただの貧血だ」


 同級生とみて少し親しみやすさでも感じたのか、シロは先ほどよりも気軽に声をかけていた。一方のリョウは相変わらずぶっきらぼうな物言いだったが。その軽いシロの物言いを特に気にはしていない様子。そのことにシロはホッとした。こんな場所で揉め事など誰でも勘弁願いたいものだからだ。


 リョウに倒された亀が張っていた結界も無くなり道が通れるようになっている。

 その道を歩き、二人は階層と階層の間にある踊り場へと着いた。


 シロは台にとりあえず探索者カードをかざし、攻略進度を更新する。

 こうすることで最初の陣の部屋に戻る事が出来るし、ダンジョンを攻略するときに此処から始める事が出来るのだ。


 溜め息を吐きながらドサリ‥と豪快に床に座るリョウ。怪我を粗方治したとはいえ、疲労は溜まるもの。リョウは眠気に襲われていた。


:お疲れっすね

:なんか仕事終わりのサラリーマンみたい

:見た目年齢不詳だしな

:マスクしてるから分からん。よし、シロ外せ!

:プライバシーの侵害ですわ

:何でマスクしてんやろ


 シロはそんなコメ欄を横目に見ながらリョウに話し掛ける。


「これ、返すよ」

「ん…あぁ」

 シロから受け取った探索者カードを懐の内ポケットに仕舞った。


「…俺はリョウ。お前は?」

「お…僕はシロ。配信者をやっているよ」


 一瞬俺と言いそうになったが初対面の相手には言葉遣いに気をつけることを思い出し言い直した。

 要するに猫をかぶったのだ。


 二人はそれぞれ探索者名を名乗る。

 本名とはまた違うこの職業専用の名前だ。

 シロがいい例である。


「そうか…で? 聞きたい事って?」


 早速本題に入る。

 シロは少し身構え話し出す。


「君は…えっと…」

「?」


 しかし言いよどむシロは意を決したように話す。


「君はさっき、亀の上の天井から落ちてきた。その時に魔法陣…転移魔法陣によく似た陣が出現し、君が落ちてきた。君は一体…なんなんだ?」


:魔法陣?

:そんなんあったか?

:あーでもあったなら納得、いつの間にか甲羅の上に居たしな

:魔法陣って踊り場以外にあったか?

:いや…?


「何なのって…人間だが?」

「……ごめん聞き方間違えた。此処に来る前に何があった?」


 シロはダンジョンを全て攻略した事は無い。

 だから自分の知らない事が起きても不思議ではないと思っている。


「何があったか…ね」


 意味深に間を溜めているが、ただ単に貧血と疲れからである。

 だが暫くして語り出す。


「俺は元々80階層に潜っていた」

「80階…!?」


:嘘だ

:マ?

:信じられない

:嘘っぱちだろ


 リョウは頷き続けた。

「このダンジョンの80階層は元々…と言われているのは知っているか?」


 シロは眉を寄せて考えたが。流石にそこまでは行けるとまでは思っていなかったのでそんな情報は知らなかった。もちろん上に登り詰めるという思いは諦めていないが。


 シロは首を横に振った。


 そんな反応を視ることもなく空気を読んだのかリョウは説明する。


「じゃあこのダンジョンが85階層まで攻略されていることは?」


 シロは頷く。


「そうか。この85階層まで攻略したパーティーは幾つか存在する。だが、そのいずれのパーティーも80階層では誰も襲われずに次の階層に進む事ができていたという…。まぁそんな事実を鵜呑みにしてこんなザマだがな…」


 そう言ってリョウは自嘲気味に苦笑いして自身の両目の目蓋に手を添えた。

 シロにはリョウが何を言っているのか察しきることは出来なかったが、何かがリョウの身に起きたのだろうと理解した。


「あの階には人魚の魔物が居た。後はそうだな…ちゃんと姿を見た訳では無いが人型の何かが居たのは確かだ」

「人型…?」

「ああ…スケルトンやゾンビのようにノロくは無かったが、デュラハンのようにきびきびした動きでも無かった。…と思う」


:人型…このダンジョンに居たっけ?

:聞いたこと無いけど

:85層より上とかならあり得なくは無いけど、既に攻略されたハズの階から出るとかイレギュラーの可能性ある?

:あり得ないこともないだろうね

:何たって何が起きるか分からないから!

:なんかここのコメ欄は他と何かが違うな…


 シロとリョウの会話を盗み聞き(?)するコメ欄は現場の空気とは大違いで賑やかであった。


「そこで傷を負った俺は人魚に命令されて動いていた人型の何かに湖に引きずり込まれ、水底にあった転移魔法陣の上に運ばれ、お前の言った亀の甲羅の上にいつの間にか居た訳だ」

「そっ…か…」

 飲み込みづらい話なのか、シロはぎこちなく頷いた。


「とりあえずこの80階層の事は俺からもギルドに報告するつもりだ。あまり気にしなくていい」

「いや流石に無理があるよ」


 今の自分では到底辿り着けないであろう階層の話。

 気にならない訳がなかった。


「……。取り敢えず俺はこのままギルドへ向かうが、お前はどうする?」


 言外に共にギルドへ向かうのかこのまま進むのかリョウは訊ねた。


「僕も帰ろうかな…流石に色々あって疲れたし…」

「そうか」

 その言葉にしかと頷いたリョウは立ち上がった。


「お前は怪我していないか?」

「え?うん。まぁ…君に比べればたいしたものじゃないよ」

「怪我はしているのか?」

「…うん」

「見せろ」


 有無うむを言わさずシロに詰め寄るリョウに、いきなり距離近くなったな‥と心中で思いながらも剣を持っていた両腕を差し出す。


 亀の光線から逃れるために足を酷使したが、甲羅に向かって無理に叩きつけていた腕の方がダメージが大きく、未だにビリビリ痺れるような感覚がシロの腕を伝っていた。


:え? 優しっ

:怪我してたんか

:むむむ…シロ様に近づく野郎…

:許してやれよ、怪我も治療してくれて命も助けて貰ったんだから

:依然怪しいのは変わらないけどね

:(あれ…シロも男じゃ…?)

:ありがとー! 黒衣の紳士ー!

:www

:草

:不審者じゃん?


 変な異名を付けられているとはつゆ知らず、リョウはシロの腕を魔力探知で彼の腕を診るなり手を翳した。リョウから見たシロの腕は少し波打って見え。魔力体と呼ばれるものを視ているリョウからすると、そこに異常があるのは一目瞭然だった。


 ただ目が無くなったことで、外傷を見ることが出来ず、確証が取れなかったので本人に聞くことにしたのだ。


 リョウは翳した片手から自身の魔力を送り、そのブレて波打って見える魔力をならす。


「あれ…痺れが無くなった…?」


 リョウが手を翳して何かをしているのを半信半疑で見ていると、自身の手の感覚が元に戻っていることに気づく。


:うそん

:どういう原理?

:大変興味深い

:回復魔法?

:治癒魔法じゃね?

:何をしたのかさっぱりわからん

:痛いの痛いの飛んでいけの原理…?

:↑お前が意味わからん


 リョウはひとまずシロの腕の波が収まったのを見て手を離した。


「後は専門家に診て貰え」

「え、あ、うん。ありがとう…?」


 ひとまず応急処置の治療を終え、リョウは踊り場にある石の台に近付いた。あくまでも応急処置。暫くは平気だろうが、時間が経てば再び腕に痺れが戻ってくるかもしれない。


 骨折や打撲。切り傷ならば絶対に痛みは帰ってくるのだ。ちゃんと包帯や湿布を貼るなどするなら話は別。直ぐに治すならポーションが確実だ。…少々値は張るが。


「戻るぞ」


 シロは慌ててバックから探索者カードを取り出しリョウと同じように台に翳す。


 直ぐに辺りはピカッと光に包まれ、5階層と6階層の間に居た二人の姿は消えた。

 ついでにドローンも主人シロと共に姿を消した。



―――――――――――――――

―――――――――

――――



 一方その頃。

 鱗湖りんこダンジョン80階層では。


 人魚の魔物でありこの階層の主。

 姫である彼女は――。


「え…?」


 ぽちゃんっ‥手に持ったご馳走が一つ手から零れ落ちる。


 鱗湖ダンジョン80階層では現在人魚にとっての想定外が起きていた。


 澄んだ湖の底から、ぷかり‥浮かんできたものを見て言葉を失う。

 そして次いでいやな予感が彼女を襲った。


「(何? 既に転移陣は発動してあの人間は居ない筈。なのに転移陣が発動してから湖の様子が変――)」

 そう、それはまるで。

「(湖が息をしていない…?)」


 ぴったりな言葉を見つけると同時にいやな予感が増してきた。

 直ちに人魚は配下のサハギン達を呼び出した。

 だが近くに侍っていたサハギン以外は誰も来る気配が無く。嫌な静けさが湖の水面に広がっていた。


「なんで? なんで来ないの?」


 苛立ちと焦りだけが増えていく。

 人魚はその湖に居るとよくないと直感的に察知し、少ないサハギン達に命令して自身を持ち上げさせた。


 一つ落としてしまったリョウの片目も、忘れてしまうぐらいに人魚は初めてのことで焦ってしまう。


 そして持ち上げられたことで見えた湖全体の景色に絶句する。


 湖の中央部分。つまりは転移魔法陣がちょうどある位置に何かが浮き上がっているのが見えた。


「嘘…」


 人魚はその浮き上がったモノに言葉を無くす。

 ピクリとも動かないそれは、サハギンの亡骸だった。


 人魚は忌々しげに手に握った深い青色の瞳の眼球を見る。

 それパクリと口に入れ恨みを込めて噛み潰した。


「美味しいわね…」


 今まで食べた中でも特に絶品であった。それで機嫌が幾ばくか治った人魚は、自身の力が上昇する感覚がした。


 それと同時にグチャリ‥と音を立てて人魚の額にもう一つの目が生まれた。


 その目は青く、酷く澄んでいた。


 そんな美味しい思いをした人魚は欲張って湖に落としたもう一つ

の目をサハギンに取りに行かせた。湖に異常が起こり、毒が蔓延されていると察していたにも関わらず…。


 案の定一匹のサハギンは戻らず、再び静かな湖に後戻り。

 冷めた目でそれを見届けた人魚は「使えない…」と言い捨てるように呟き、数匹のサハギンと共に、湖を囲む森に姿を消した。


 辺りに残ったのは幾つもの死体に血の池。薙ぎ倒された木々。

 嵐が過ぎ去り静寂が辺りを包んだ。



 彼女が去った後。

 コポリ‥気泡が畔の近くでまた一つ消えた。

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