人魚に目を奪われた男

ピピ

奪われたモノ

※初っ端からグロ注意

□ □ □ □ □


「あ…ぁぁぁあああ”あ”あ”あ”あ”あ”!?!!」


 一人、苦痛に呻く男の声が広いダンジョンに響く。

 男の近くには、大きな湖が広がっていた。


「ふふっ。アナタのコレ、貰っていくわね。色違いのモノなんてどんな味がするのかしら! ふふっ楽しみねぇ」


 整った顔立ちの少女とも、妙齢の女性とも連想する不思議な高めの声が楽しそうに跳ねながら広い湖に波紋を作りながら広がる。

 湖畔こはんの付近で透き通るような上半身を浮き上がらせて寄りかかる金糸に輝く長い髪を靡かせる女は、血を手から滴らせながら、しなやかな細い指で手のひらにあるモノを弄ぶように転がした。


「ぐぅ…ぅ…が、…かえ、せぇ!」


 両目から血を流す血だらけの男――リョウは、唸るような声を這い蹲りながら出し、片手で元々を強く押さえ、もう片方の手で己の武器を握り締めた。

 リョウの周りには血痕が飛び散っており、薙ぎ倒されたような木も見え、まるで嵐が通ったかような戦闘痕だった。


 そんな女――人魚の魔物の彼女から見れば、惨めで滑稽な姿に笑い声をあげる。


「アハハハ! 惨めねぇ! 先祖はどうしてこんな脆弱な人間に一時期でも刈り尽くされていたのか不思議な位だわぁ~? あら?  人魚は人魚でも別の種族だったのかしら…? まぁどうでもいいことよね。コレがあれば何年だって飢えなくて済みそうだもの。コイツを倒してくれたお父様たちには感謝しても仕切れないわね~」


 オホホホ‥と様々な笑い声を女が口から出す度に、コロコロと変わる別人の女の声がリョウの耳を通っていく。

 暗い世界の中で気の障る声だけが頭に響き続けた。

 リョウは目元の喪失感を感じながらも痛みに耐えた。

 己の目を奪った女に一矢報いるために――。


「あらあら? まだ諦めて無いの? しつこい男ねぇ~嫌われるわよ? ふふふ!」


 何が可笑しいのか、人魚の女は笑い続けていた。


「良かったわね、私はコレ目玉しか食べないの。だからコレを渡してくれたアナタはダンジョンの上層に生かして送ってあげる! まぁ目の無いアナタなんて用は無いからサヨナラってことだけど。ふふっ」


 堪えきれないという風に嘲笑う人魚。


 リョウは決して潔く渡した訳ではなかった。その証に、二人の側にはリョウの2,3倍の大きさはある下半身が魚で上半身が男の人間と同じ見た目の人魚が複数倒れ伏して赤い血を流している。


 既に事切れている彼らは、彼女の言う”お父様たち”であった。彼女がどういう意味で、彼らをそう呼んでいるのか…リョウには分からなかった。


「さぁ、さっさと此処から立ち去りなさい。送っていってあげるから」


 その言葉と共にザブザブと湖から上がってきたのは二足歩行の出来る魚の魔物達。


 人魚の彼女よりも進化したかのような見た目をしているのにも関わらず、彼らが人魚の彼女の指示に従っているのは、ひとえに彼女の立場が上だからだった。


 サハギン二足歩行出来る魚達は湖から上がるなり、無警戒にリョウに近づいてくる。


 リョウは湖から聞こえてきた足音に耳を立て、警戒した。


 サハギンはリョウの様子を気にせずに、彼を持ち上げようと手を伸ばす。


”ザシュッ”

 リョウは手に持った短剣で近寄ってきた気配を容赦なく切り捨てた。


”ギエェ!?”

 サハギンが悲鳴を上げる。サハギンの腕が切り落とされたのだ。


 リョウはよろり‥と立ち上がるなり気配のする方へ駆け出し、匂いと音、そして勘でそれらを切って回った。


 辺りにサハギンの悲鳴が響くが、直ぐに弱まり静まった。

 残ったのは細切れとなったサハギンの肉片と血痕だけであった。


「あら? まだ抵抗する力があったのねぇ? まぁそれも、時間の問題でしょうけど」


 人魚が言うように、リョウはこれまでに大量の血を失っているせいで意識が朦朧としており、足元が覚束ないのか頭だけでなく足元もふらふらと不安定に揺れていた。


「ふふふ。私の力、見せてなかったわよね? とくと聞くがいいわ」


 そう言って彼女は自身の喉笛に空いた片方の手を添えて歌い出した。


 嫌な予感を感じ取ったリョウは咄嗟に両腕を使って耳を塞ごうとする。


 だが、その隙を突いて更なる刺客。サハギンが湖から先ほどよりも大量に上がってきて、リョウに向かって飛びかかった。


 耳を塞いでいたリョウはサハギンの存在にワンテンポ遅れて気づくも、抵抗する間もなく両腕両足を拘束されてしまう。


「チッ…」


 目元の痛みも健在なままサハギンに拘束されたせいで、これまで人魚の言うお父様たちと戦ってできた傷口を触れられ抉られるような痛みが体中を襲う。けれども抵抗を止めないリョウを意に介さず、人魚はサハギンに更なる指示を出した。


 人魚の歌は囮でもあり、本命でもあった。

 その人魚には歌うと聞いた者を魅了したり、眠りに誘う効果があったのだ。


 初めからコレを使わなかったのは、仮にも80階層までソロで登ってきた探索者で、加えて体調が良好な状態で効く事はないだろうと思っての事であった。


「その子を水底にある陣に連れて行きなさい。あぁそうそう、陣にはその子以外乗らない方が身の為よ」


 そう言った彼女に何の音も発さず、サハギン達は彼女の名に従い続ける。

 何故なら彼女は彼らの姫なのだから。

 サハギン達はずるずると抵抗するリョウを引きずりながら、湖の中に入る。


”ごぽっ”

 水中特有の浮遊感が身を包み、息をするのが難しくなった。そんな中でもサハギン達から逃れる為に打開策を探すリョウは、自身を掴むサハギン達の力が水中に入ってから増した事に気づく。


 事実その通り、サハギン達は水中の中でこそ力を発揮する。陸ではその力の半分も発揮されていなかったのだ。


 その事実に得心がいった。

 先ほどのサハギン達は、此処――滋賀県ダンジョン80階層にしては弱すぎたのだ。彼らは水中でこそ力を発揮するのだと暗闇の中でリョウは思った。

 既に抵抗を止めた手足は、リョウの意志とは反対に言うことを聞かなかった。血を流しすぎたせいで動かなくなったのだ。


 今もなお、塞がりきっていない傷口から血が水中に流れていた。

 このまま水の中にいればずっと傷口は塞がることは無く、失血死するだろう。

 けれどもリョウは生きることを諦めてはいなかった。今もなお生きるすべを探している。


「(隙を見せたら絶対に――)」


 目が見えなくなっただけでこんなにも無力な存在になるのだと、リョウは自身の力不足を不甲斐なく思った。

 だが――”死ねない”。あいつ等を残して死ぬことは出来ないのだと脳裏に大切なモノを思い浮かべて自分を戒めた。


 そしてとうとうサハギン達が人魚の指示した陣の側へつくと陣の前で止まった。


 水の中を流れる感覚が無くなり、動きが止まったことに気づくリョウ。

 目も鼻も使えない。耳は微妙な状態で、出来ることは限られる。

 そんなことを考えていると、サハギンの握る部分の力が強まったのを感じ取り、次の瞬間には陣の上へと放り投げられてしまったリョウ。


 何も見えない。けれど背中の方――水底の方から強く膨大な量の魔力を検知した。


「(こんな水底に――!)」


 あの女が言った事を思い出す。

 自身を上層へと送ると。だとすればこの魔力は魔法陣?しかしそれにしては魔力が多い。それにこんな海底に転移の魔法陣があるなど聞いたことが無かった。


 陣に引っ張られる感覚がしたリョウは最後の力を振り絞って懐に手を突っ込み一つの瓶を取り出す。

 瓶の中には濁った色の水が入っていた。


 それの蓋を緩め、自身が完全に陣へ吸い込まれる直前になるべく上へと行くように願ながら放り投げる。


 湖の底から投げられた瓶は、投げ出した本人が居ないところでスローモーションのように開き、瓶の中身もゆっくりと湖の水へと溶け込み始める。


 サハギン達はリョウがキチンと陣に吸い込まれるのを見届け、水中の中を揺蕩う瓶を見つめるが、何もする事は無かった。


 彼らの行動は全て姫の言う通り。

 彼女の言う通り、リョウを海底にある陣へと運んだのだ。

 命令に愚直な彼らはそれ以上も以下も無かった。


 一方。転移陣特有の魔力を感じ取った彼女はというと――。


「――ああでも。上層とはいえ、瀕死で見えなくなったあの子は生きるのも難しいのかしら…まぁ、今となっっては私に関係の無いことだけれど。ふふっ…ふふっ! このまま食べようかしら? それとも料理する? ふふふ! どちらでもきっとおいしいわぁ!」


 手に入れた珍しいモノ――リョウの色違いの両目の味に想像を膨らませて頬を赤く染めていた彼女の頭には既にリョウの姿など無く。自身の手のひらに乗る2つのモノ目玉に夢中だった。


 パシャパシャとヒレの足が水面を叩き、水しぶきが跳ねる。


――その頃、海底でサハギン達が息絶えていることに気づかないまま、湖の姫は呑気に目玉を見つめていたのだった。

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