白雪先輩と旧校舎の百不思議

悠木りん

第一話 旧校舎の白雪先輩(1)

 わたしの通う高校には、いわゆる旧校舎というものがある。


 木造三階建て、白く塗られた外壁はほとんど塗装が剥がれ落ち、九月の明るい陽射しを受けてもどこか陰鬱とした印象を与える、いかにもなやつだ。


 その三階の突き当りの小さな教室、立て付けの悪い扉を引き開けると、窓際のこれまた古色蒼然とした木製机に一人の少女が座っていた。


「白雪先輩」


 わたしが呼びかけると、その少女――白雪先輩は、窓から射す陽を浴びて真っ白に光る細い首をゆっくりと巡らせた。腰まで伸びる黒髪の、赤い紐リボンで編まれた一房が肩口から零れ、さらさらと揺れる。


 首筋も、半袖の白セーラーから覗く細い二の腕も、紺のプリーツスカートから伸びるすらっとした脚も、その『白雪』という名に違わず透き通るように真っ白。木造校舎の一室で、小口が日に焼けて茶色くなった文庫本を繰るその姿は、どこか浮世離れした美しさだ。


「また騒々しいのが来たわね」


 机に肘を立て、手の甲に顎を置いていた先輩は、かくり、と首を傾げた。雨に濡れた石のように黒々とした瞳が、ひた、とわたしに注がれる。吊り目がちな大きな目にじっと見つめられると、なんだか心の内まで見通されそうな気配がする。


「毎日毎日こんなところへ来るだなんて、あなた暇なの?」


 こんなところ、というのは白雪先輩が根城にしているこの教室――ミステリ研の部室である。実際、まだまだ残暑というより全然酷暑である九月、冷房設備もない古びた教室は『こんなところ』という評に違わぬ過酷さではある。


 汗で張り付くセーラー服の裾をパタパタと煽ぎながら、わたしは憤然と抗議した。


「そりゃ来ますよ! わたしだって立派なミステリ研部員ですから!」

「あまり大声を出さないでちょうだい……」


 ぐむ、と迷惑そうに眉間にしわを寄せ、先輩はぼやいた。


「それに、結局私、あなたの入部を認めていないような気がするのだけど」

「認めてくださいよー!」

「……大声」


 蒸し蒸しとした部屋の湿度にも負けないくらいにじっとりと責めるような目で、白雪先輩はぴしり、とわたしを指差す。喉元に突き付けられた細い指先に、わたしは神妙な顔で口を噤んだ。


「……まったく、ただでさえ暑いのに、さらに暑苦しいったらないわ」

「あ! それなら先輩、涼を感じるのにちょうど良い話があるのですけれど!」


 懲りもせずにまた声のボリュームが大きくなるわたしに、先輩は諦めたようなため息。


「いいえ、大丈夫。あなたが部屋を出て行けば少しは涼しくなるもの」

「そう言わずに! とっておきの背筋も凍るような奴です……! 仕入れたてですよ……!」

「仕入れたてって、鮮魚じゃないんだから……」


 わたしが低いトーンを意識して言うと、白雪先輩はまたため息を吐く。


「つまり、例のやつよね?」

「はい! 『旧校舎の百不思議』のうちの一つですよ!」


 ばばーん! と自前の効果音を付けて盛り上げるも、先輩は胡乱げに鼻を鳴らす。


「……その『百不思議』とかいうの、いつ聞いても趣に欠けるわね」

「えぇ? いいじゃないですか、『百不思議』! 普通は七とかなのに百個もあるなんてお得ですよ!」

「何よお得って。業務用じゃないのよ。バカの数字よ、百なんて」


 この話は終わりだ、とばかりに文庫本に目を落とす先輩に、わたしは慌てて縋った。


「でも先輩、ミステリ研としては怪談を放っておくなんてもったいないじゃないですか!」

「……考えたのだけど、そもそも、怪談ってミステリというかホラーの領分じゃない?」

「それはほら! アプローチの仕方でなんとか! 不条理全滅エンドにするか、論理的解明エンドにするかの違いですよ! 解き明かしたくないですか、身近な謎を!」

「全滅する可能性があるなら余計に嫌よ」


 なんとか先輩の重い腰を上げようと熱弁を振るうも、先輩は却って暑苦しそうに身を捩ってわたしから距離を置く。


「私、別に自分が謎を解きたいとかないのだけれど。ミステリ小説を読めばいいじゃない」

「もぉー! 先輩の意地っ張り! 理屈屋! 運動不足!」

「な、何よ……」

「怪談調査しましょうよー先輩ー!」


 もう恥も外聞もなく駄々をこねる作戦に出ると、さしもの先輩も少し慌てた。


「……まったく、わかったから、高校生にもなって床で転がるのはよしなさい」

「はいっ! じゃあ早速現場に行きましょう!」

「……情緒どうなってるのよ」


 すくっと立ちあがり笑顔でスカートの埃を払うわたしを不気味そうに一瞥すると、先輩は諦めの吐息と共に文庫本を閉じる。


「なんだかんだ言って、結局付き合ってくれるのですよね、先輩は! まったく素直じゃないんですから」

「……やっぱりやめようかしら」

「もうっ、先輩! 早くその重い柳腰を上げてください!」

「褒めてるのか貶してるのかどっちなの」


 こつん、と文庫本の背でわたしの頭を叩くと、先輩はようやく立ち上がる。


 ぎしぎしと軋む扉を苦心して開けると、先輩はわたしを振り返った。細い背中、艶のある黒髪が誘うように揺らめく。


「ほら、さっさと済ませるわよ」



   *



 この高校の旧校舎は昭和の中頃に建てられたものらしい。一世紀とまではいかないものの、七十年ほどの歳月を経た建物――しかもかしましき学び舎とくれば、歳月と共に相応の数の噂話も染み付こう、というものだ。


 特に、不穏で、おどろおどろしく、適度に不謹慎で、刺激的なものほど思春期の少年少女の気を惹くもの。


 そうやって連綿と語り継がれる間にその数が一個二個と増え続けてきた結果、『旧校舎の百不思議』となったのである。


「……そんな継ぎ足し継ぎ足しで作られた秘伝のソースみたいに言われてもね」


 足を乗せると殺人的に軋む階段をわたしの後について下りながら、白雪先輩は呟く。


「趣がないのよ、趣が」


 まるでそれが大罪であるかのように言う先輩に、わたしは尋ねる。


「先輩がミステリ研の部室を旧校舎にしたのも、趣とやらのためですか」

「そうよ。いいでしょう、時の止まったような木造校舎で、小口が焼けてほんのりかび臭い文庫本を捲る。至福のひと時だわ」

「その代わり夏は死ぬほど暑いですけど」

「……いいのよ、少しの忍耐くらいは」

「先輩ってスマホじゃなくて敢えて使い捨てカメラで写真を撮るタイプですか?」

「何が言いたいのよ」

「えっと……あっ、それで今回わたしの仕入れた『百不思議』なのですけれど!」


 ぎろり、と吊り目がちの瞳がさらに剣呑に尖ったところで、わたしは話題を元に戻す。


「古きよき学び舎も経年劣化には耐えられず、どこかが壊れたりヤバくなったらその都度部分的に改修、といった具合でなんとか今日まで残っているのだそうです。なので、場所によってはひどく脆かったりして危険なので、立ち入り禁止になっているところもあるのだとか」


 一階分の階段を降り、焦げ茶色にくすんだ廊下をぎしぎしと歩きながら、わたしは両手を広げる。


「……まぁ、これだけ古い建物だものね」


 白雪先輩は、床板の継ぎ目が浮いて段差になってしまっているところを上履きの爪先でちょん、とつつく。


「で! ですね! そんな立ち入り禁止の場所のうちの一つに、『出る』らしいんですよ……!」


 ぐっ、と潜めた声でそう告げると、先輩は、かくり、と首を傾げた。


 二階の廊下は、旧校舎のすぐ傍に植えられた木の落とす影で、幾分薄暗い。その影の中、先輩の異様に白い肌がやけに目を惹く。


「出る、って」

「ええ、なんでも、昔この校舎で無念の死を遂げた女子生徒がいたらしく」

「無念の死、ねぇ」

「その女子生徒の霊が、今もなおこの旧校舎を彷徨っているのだとか……!」

「ふぅん」

「う、薄い……! 反応が……!」

「だって、あまりにもベタなんだもの。無念の死なんて、よっぽどの大往生でもない限り、死ぬ時は大体無念でしょう」

「むぅ……先輩のその返しの方がよっぽど趣がないように思えますけれど!」


 せっかくの怪談で納涼を、との気遣いも、野暮な先輩のせいで形無しである。


「それで、その『出る』場所はまだなの?」

「もうすぐです――あ、ここですよ、先輩!」


 二階の端の教室――二年一組と札のついた教室に入り、わたしは窓側の後方に設けられた扉を指差した。


 狭いベランダへと通じるその扉は、何枚もの木の板が打ち付けられ開かないようになっている。何より、『絶対に開けてはいけない』と言うかのようなその光景は、古めかしい教室の風情も相まって、背筋がひんやりと強張る。


「この教室のベランダでは、かつて一人の少女が飛び降り自殺をしたそうです。この旧校舎が現役で使われていた昭和後期の頃だそうで。死因は頭部からの大量出血。それ以来、彼女が飛び降りた時間になると、このベランダに立つ人影が目撃されるようになったのだとか――頭から血を流し、白いセーラー服をべっとりと真っ赤に染めた姿で……!」


 自分で語りながら頭の中に血塗れの少女を幻視してしまい、肌がほんのりと粟立った。


「彼女は、自分の姿を見た人間を引っ張って道連れに飛び降りようとするらしく、そのせいでこのベランダに通じる扉は固く閉ざされるようになったのです……って先輩⁉︎」


 重々しく話を締めくくろうとしたわたしの目の前で、あろうことか先輩は閉ざされた引き戸に手を掛けると、ガタガタと乱暴に引っ張って開けようとした。この罰当たり!


「何をやっているのですか先輩! 呪われますよ⁉︎」

「いや、呪いじゃなくて物理的に心中してくるんでしょう? 設定が曖昧なのやめてくれる?」


 呆れたように言いながらも、先輩は引き戸から手を離す。


「まぁでも、本当に開かないのね。窓は……窓も全部鍵が壊れてるのね」


 わたしの制止も聞かずに、今度は全ての窓をガタガタと揺らし始める。怖いものなしか!


「そうですよ! というか先輩! 怪談系のお話でそういう不謹慎な行動をする人は真っ先に死ぬセオリーなのですから気を付けてください……!」


 他に誰が見ているわけでもないのに、わたしは押し殺した声で叫ぶ。過敏になった神経には、教室後方の壁に掛かった額の中――白黒の集合写真に映る昔の生徒たちの視線が、まるでこちらを咎めているようにも思えた。


 きょろきょろと教室を見回すわたしを胡乱げに見遣ると、先輩はつまらなそうに鼻を鳴らす。


「死ぬわけないでしょう。そんな適当な作り話で」

「また先輩はそうやって死ぬフラグを――って、作り話、ですか?」

「そうよ。作りが甘いったらないわ」


 趣がないのよ、と重い息を吐く先輩だったが、ようやくわたしの物問いたげな視線に気づいたらしくこちらを見る。


「……何よ」

「作り話だなんて、どうしてわかるのですか?」

「逆にどうしてわからないのかしら」


 心底不思議だ、とばかりに首を傾げる白雪先輩。この人は……。


「先輩ぃぃぃ?」

「……わかったわよ。説明するから、その恨めしい顔はやめてちょうだい。気味悪いわよ」

「可愛い後輩に向かって気味悪いなんてひどいです!」

「なんでよ。気味悪いお話は好きでしょう?」

「自分が気味悪くなりたくはないです!」

「わがままね……」


 至極真っ当なはずのわたしの抗議を聞き流すと、先輩は指先で顔にかかる髪を払う。艶やかな黒の中、赤い紐リボンがどこか蠱惑的に揺れる。


「それで、先輩、さっきの話が作り話って、どういうことなのですか?」

「そうね……あなた、その女生徒が投身自殺をしたのはいつ頃のことだと言ったかしら?」

「えっと、確か聞いた話だと昭和の後期とのことでしたが」


 今日仕入れたばかりのお話なので、その点は記憶違いはないはずだと答えると、先輩は切れ長の瞳をスッと細める。


「つまり、昭和後期に死んだ女生徒の霊がこのベランダに現れる、ということね?」

「はい。その認識で間違いないかと」


 念押しする先輩に、わたしはこくりと頷く。別に何も不思議はない、というか不思議な話ではあるけれど、不思議なりに筋は通ってるというか……。


「それならやっぱり筋が通らないわね」


 わたしの内心の戸惑いを見通すかのように、白雪先輩はきっぱりと言い切った。


「ど、どこがですか?」

「あなたはさっきこう言ったわよね? 『彼女が飛び降りた時間になると、このベランダに立つ人影が目撃されるようになったのだとか――頭から血を流し、白いセーラー服をべっとりと真っ赤に染めた姿で』と。でもそれはありえないわ」

「えぇ? 何がです?」

「あれを見なさい」


 ピンとこないわたしが聞き返すと、先輩は顎をしゃくって教室の壁を示した。そこには白黒の集合写真――おそらくこの校舎が使われていた昭和の頃の写真が額に入れられている。


「……あの写真が何か?」

「まだわからない? さっきの話とあの写真が食い違う点――『制服の色』が違うのよ」

「――あっ」


 先輩の指摘に、写真の中の生徒と自分の制服を見比べると、思わず声が漏れた。


 わたしや白雪先輩が着ているセーラー服は白、対して白黒写真の中ではみんな(白黒写真なのでわかりづらいが恐らく)紺色のセーラー服を着ている。


「この学校のセーラー服のデザインが変わったのは、確か平成に入ってから。だから、昭和後期の少女の霊が『白いセーラー服をべっとりと真っ赤に染めた姿で』立っているなんてありえないのよ」

「はぁ……だから作り話だと……」


 一瞬で怪談話の瑕疵を見破った白雪先輩を、わたしは改めてまじまじと見つめた。全然乗り気じゃなさそうに聞いていたくせに……。


「……ん? でもおかしいですよ、先輩。だって、この話をわたしに教えてくれた人は『自分で見た』って言っていたのですから! 作り話なら実際にこのベランダに少女の霊が現れるなんて変です!」

「実際に見た、ねぇ」


 わたしが慌てて言い募ると、先輩は考え込むように指先で赤い紐リボンに触れる。その目がベランダに向き、何かを見通すように見開く。


「その人はどういう経緯で少女の霊を見たのかしら? この場所に出る、と知っていたの?」

「ええと、確か友達からこの話を聞いて、肝試し的な感じで見にきたのだとか」

「ちなみにだけれど、その霊が出る、というのは女生徒が飛び降りた時間なのよね? それは何時頃?」

「確か六時〜七時頃でしたかね」

「なるほど……それならやっぱり作り話ね」


 幾度か確かめるように頷くと、先輩はなんてことないふうにそう言った。


「えぇ⁉︎ 先輩、それってどういう――」

「なんなら、実際に再現してみましょうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る