ポニテとヒカガミ
孤舟 一
第1話 夏の日の散歩
連日の熱帯夜で、早朝の散歩も休んでいた。いよいよフレイルかと思えるほど日々の起居に差し障りを感じるようになってしまった。日差しを遮る、いつもの遊歩道へは車で行った。橋の下の、広い駐車場には可愛らしい車が1台止まっていただけだ。その車から数台分空けたところに停めた。ゆうに橋の日陰だけでも50台以上のスペースがあるのに、例年になく暑い日が続き、熱中症アラートとかが毎日出てると、誰も来ないようだ。全く他に誰の車も無いとなると、この可愛らしい車に惹かれてしまうようだ。
午前10時、いつもなら犬の散歩や食後の運動に、中高年の人達が10名くらいは来ていた。さすがにこの暑さでは、人の姿は全く見られない。日陰といっても舗装された駐車場では、車から出るとムッとする熱気で気持ちが悪くなるくらいだ。もう、1台の所有者などは気にする暇もなく、木々の下の遊歩道へ急いだ。
大きく枝を這った木々の下、日陰にはなっているものの、吹く風はあまり心地良いものではなく、駐車場のアスファルトの焼かれた熱が流れてきていた。セミのうるさいくらいの鳴き声と、鳥達の諍いのような鳴き声、その中に微かに人の話し声が聞こえた。セミの鳴き声は、そうで無くても息苦しいほどの熱気を、さらに煽りたてているように思える。狭い右の脇道へは曲がらず、そこを通り越してから、用意しておいた氷水を飲んだ。
「あら、こんにちは」
声の方を向くと、全身が白く顔ばかりが黒い小さな犬、パグを連れた女性が二人歩いていた。目が合うと歩みを止めて、若い方の子はニコニコと、親しそうに会釈をした。
「こんにちは」
とは応えたものの、はたして誰なのか思い出せない。二人とも同じ様なユッタリとした、少し茶色の長目のショートパンツに、風通しの良さそうな白い半袖姿だった。若い子はすらりと伸びた色白な足で、腕も日焼けもしてないように白く、小首を少し傾けた笑顔が可愛らしかった。もう一人は姉なのか母親なのか、少し年長のようで、足も腕も肉感的で、若い子とは別の魅力を感じる。
「えーと、誰でした・・・。最近、どうも少し認知症気味で」
「ときどき、橋の上ですれ違っていたでしょう」
「ああ、高校生の・・・」
二人で声を出して笑い合うと、隣の年長の女性が、なに事かと小声で横の子に聞いている。
「数年前の秋頃かな、川を泳ぐカワウや白鷺を撮していて、カメラを構えたまま横を向くと、ちょうど自転車でこちらに向かっていて・・・」一呼吸空けて。
「ちょうど強い風が吹いて、役行者のように橋から落ちそうになりまして」
そう言って、また二人で笑ってしまった。
「ルミちゃん、なに・・・」
年長の女性は、何の事だか分からないようだった。
それが、二人だけの秘密のようで嬉しかった。
「今日はお姉さんと一緒に散歩」
「あら、嬉しい、お姉さんだって」
彼女の母親だそうで、二人して大笑いをしていた。
久し振りに会えて胸の高鳴りを覚えた、とはいってもあまりにも開いた年の差と、杖などを頼りに歩く我が身が、何とも哀れに思えてしかたなかった。
「では、また」
そう言って、先を歩いて行った。
判らなかったのは、春に東京の大学に入学し、ポニーテールの髪を切ってしまい、高校とは違い化粧も覚えたようで、わずかの間に垢抜けてしまった。もともと顔立ちの綺麗な、目鼻立ちのシッカリした笑顔の似合う子だった。
何かを話しながら笑い声を上げて歩く、仲の良い母と娘の後ろ姿は、二人ともショートカットがよく似合っていた。
どの様に書くのか聞かなかったが、話の途中で「ルミちゃん」と呼んでいた。橋の上ですれ違う時は、女子高生の制服に、少し長く束ねたポニーテールの似合う子だった。
少し前を行く母と娘は、普通に歩いていても次第に距離が開いていった。
そんな二人の後ろ姿、
遠い昔の高校生の頃、真夏の暑い日、体育館の横、土手の上で先輩と昼食を済ませ、何となく自分の将来の夢などを話した。夢は、けっきょく夢で終わり、叶うことなどないと分かっていたのに。先輩はしばらく黙ったまま聞いていて、急に横になり、向きを変えて両手に頬を乗せ、俯せに体勢を変えた。スカートが上に引き上げられ、白い足が、ヒカガミの膨らみが、妙に印象に残った。
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